第12話 何もしない部に、君と その③


「制服、汚れませんでしたか?」

「ええ。不幸中の幸いと言ったところね」


 ふと橘さんの方を見ると、屈んだ彼女の白い太ももの間から薄いピンク色の下着が見えそうになっていた。


 というか多少見えていたのだけれど、それを馬鹿正直に話してせっかくの機会をフイにする僕ではない。このことは少し黙っておこう。


「……ねえ、聞いてるの?」

「な、何をですか?」


 僕が慌てて顔を上げると、橘さんとばっちり視線が合った。どうやら彼女はずっと僕の方を見ていたらしい。


 橘さんは小さくため息をついた。


「どうして今日、私の家の前を通らなかったの? それとも早い時間に家を出たのかしら」

「ああ、それなら、朝ちょっと用事があって早めに学校へ行ったんですよ。どうしてそんなこと聞くんですか?」


 そして、どうしてそんなことを知ってるんだろう。


「私、家の前であなたが来るのを待っていたのよ。だけど宇津呂くん、来なかったから」

「わざわざそんなことを? それは大変でしたね」

「そうじゃなくて。他に言うべきことないの?」

「明日から迎えに行きましょうか? ポルシェに乗って、花束でも持って」

「あら、そうしてくれる?」

「……一応、冗談のつもりなんですけど」

「男に二言はないわね、宇津呂くん。明日から毎日花束でいっぱいの高級車に載って私を迎えに来なさい」

「とりあえず、まずは運転免許を取得するところから始めさせてもらっていいですか?」

「仕方ないわね。高級車と花束は我慢してあげる。だけど、朝はちゃんと迎えに来て頂戴。代わりに私はお弁当を作ってあげるわ」

「僕は構いませんけど、いいんですか? それじゃまるで僕らがつ――」


 あ。


 さっき橘さんが言いかけたことが、今になって分かったような気がする。


 僕は顔が熱くなるのを感じた。


「まるで僕らが、何かしら?」


 いじわるな目をした橘さんが、僕の顔を覗き込む。


「まるで僕らが、つ、ツーリングしてるみたい……?」

「何よそれ。どういう意味?」


 橘さんがいたずらっぽく笑う。


「し、知りませんよ。僕そろそろ教室に戻ろうかな。五限目、移動教室なんですよね」


 僕はベンチに置いた弁当を持って立ち上がろうとした。


 だけど橘さんに制服の袖を掴まれて、出来なかった。


「宇津呂くん、こっち向いて」

「は、はい……⁉」


 振り向くと、上目遣いの橘さんと目が合った。


「まるで付き合ってるみたい、って言いたかったんでしょ?」

「だ、だったらどうだっていうんですか? 橘さんだって同じこと考えてたんじゃないんですかっ⁉」

「急に慌ててどうしたの? 宇津呂くん、大人ぶった話し方するわりには、やっぱりまだ子供なのね」

「残念ながら僕は正真正銘の十六歳なんでね。二十歳の人からすると子供に見えるかもしれませんね」


 橘さんに掴まれた袖を振りほどき、僕は今度こそ教室に戻るべく立ち上がった。


「待ちなさいよ、怒ったの?」

「別に。ただ、そろそろ戻ろうかなって思っただけですよ」


 橘さんに背中を向けたまま僕は言った。


「まだ昼休みは残っているわ。そんなに急がなくていいじゃない」

「急いでるわけじゃ――」


 ぐう。


 僕の言葉を遮るように、誰かのお腹が鳴った。


 もちろん僕のお腹ではない……ということは。


 恐る恐る振り返ると、橘さんがなんだか気恥ずかしそうにこっちを見ていた。


「ほ、本当に、最悪のタイミングだわ……!」

「もしかして、お腹空いてるんですか?」

「もしかしなくても空いているのよ。あなたが戻って来るのをずっと待っていたのだから」

「あの、弁当、半分食べます?」

「頂くわ。というか、そのお弁当は元々私が作ったものなのよ。少しくらい分けてくれてもいいじゃない」


 恥ずかしいのをごまかしたいのか、わざとらしく冷たい口調で橘さんが言う。


 僕は仕方なくベンチに座りなおした。


「まったく、子供っぽいのはどっちなのか……」

「何か言ったかしら?」

「いいえ何も」


 水色の弁当箱を開けると、色彩が綺麗に整えられた見栄えのいい具材が並んでいた。


 さっき見た橘さんの弁当の中身よりも気合が入っているのは一目瞭然だ。


「これ、作るの大変だったでしょう?」

「そうかしら。一人分作るのも二人分作るのも、大して手間は変わらないもの」


 橘さんの目がなんとなく泳いでいるところから察するに、多分嘘だろう。


「これ、蓋に取り分けますね。形を崩しちゃうのが少しもったいない気もしますが」


 橘さんは僕の隣に腰かけながら、


「気にしないで。そのくらいでよかったらいくらでも作ってあげるから。それよりも宇津呂くん、昼休み始まってすぐ、どこへ行っていたの?」

「……ああ、そういえば。すっかり忘れていました。生徒会室に、部活新設のための書類を貰いに行ったんですよ」

「部活?」

「はい。何もしないことが活動内容みたいな、夢のような部活を作ろうと思いまして」


 おかずとご飯を乗せた蓋を橘さんに渡し、僕はポケットから部の申請書を取り出した。


 少し皺がついてしまったけれど、このくらいは許される範疇だろう。


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