23話

 リューズナードが迷わず近付いて来て、ロレッタの横に腰を下ろした。


「連絡を取っていたのか。向こうの様子はどうだ?」


「……お姉様がお怒りなのと、有事の際はお父様も前線へ出るお覚悟でいらっしゃるそうです」


「……姉のほうはともかく、父親も戦う気でいるのか。王族が二人も並んでいたら、ナディヤ一人では抑え込めないだろうな。それなら、ひとまず兵力差で敗れる心配はないか」


「駄目です!」


 反射で大きな声が出てしまった。リューズナードが驚いたような顔をしている。慌てて頭を下げた。


「も、申し訳ありません……。お父様は長らく病を患っており、ひどく衰弱されているのです。リューズナードさんも、王宮へいらした際に、お父様の様子をご覧になったかと思います。戦争に参加するだなんて、お体が保つとは思えません……っ」


「……そうなのか。悪い、軽率なことを言った。確かに、万全の体調には見えなかったが、お前の父親はそんなに具合が悪いのか?」


「……十年以上前に一度、大きな手術をされていらっしゃるのですが、術後の経過が芳しくなかったそうで、症例のない合併症が現れたと聞いております。水の国アクアマリンの医療技術では治療が難しく、現在でも静養していただく他に打つ手がない状態なのです」


「……そうか」


 まだ自分が幼い頃で、しかも母が亡くなって日が浅いうちに起きた出来事だった為に、ロレッタも全容を把握できてはいない。矢継ぎ早に両親が倒れ、当時はただ惑乱するばかりだった。


 今思えば、ミランダが国を守ることに執着し始め、何もできないロレッタを見限ったのも、あのタイミングだった気がする。きっと彼女も必死だったのだろう。両親が背負っていた義務や責任を、全て彼女に引き受けさせてしまっていた。己の無力さに嫌気が差してくる。


「一つ、訊いても良いか」


 何事かを考え込んでいたリューズナードが、ロレッタの目を見ながら尋ねてきた。


「はい、なんでしょう……?」


「俺の中にはその感覚がないから、上手く想像できないんだが……生まれ故郷が襲撃されるというのは、そんなに不快に感じるものなのか?」


「…………」


 一瞬、「そんな下らないことでグチグチ悩むな」と突き放されたように感じて、悲しくなった。しかしすぐに、違うと思い直す。


 言葉の通り、彼は純粋に、分からないから訊いただけだ。生きる為に家族も故郷も捨てているから、そうしなくとも生きていられるロレッタの気持ちを汲み取れなかっただけ。ロレッタが、原石の村ジェムストーンの住人たちの繊細な心に寄り添いきれないことがあるのと同じだ。そうだと信じたい。


「……不快、という言い方が適切なのかは分かりませんが……これまで私を育んでくれた国や家族が傷付けられ、明日には無くなってしまうのかもしれない恐怖は、計り知れません。自分が傷付くよりもずっと、怖いのです」


「怖い……。つまり、このままだとお前は、嫌な気持ちになるということだな?」


「……はい」


 一体なんの確認なのだろう。意図は不明だが、返答に迷う内容でもないので、ロレッタは頷いた。家族も、民も、国も、傷付けられれば間違いなく嫌な気持ちになる。


 すると、リューズナードも何か納得したように頷いた。


「分かった。それなら、行くか」


「え?」


 咄嗟に理解できなかった。彼は本当に、いつも言動が唐突である。ほとんど説明もないまま同意を求められても困る。


「……ええと……行く、と言うのは……? まさか、水の国アクアマリンへ、ですか……!? 駄目です、リューズナードさんを戦争に巻き込んで良い理由などありません! 貴方も、村の皆様も、もう魔法国家に関わるべきでは──」


「違う、落ち着け。戦争はもう、今から行っても間に合わないだろう。行くならそっちじゃなくて、炎の国ルベライトだ」


「ル、炎の国ルベライト……?」


 ますます混乱するロレッタ。折に触れて「関わりたくない」と言っていた祖国へ、今さら何をしに行こうと言うのか。


 次いで、彼の口から凄まじい言葉が飛び出した。


「ああ。炎の国ルベライトを襲撃する」


「え!?」


炎の国ルベライトの戦力は今、大半が水の国アクアマリンへと差し向けられている。逆に、本国の守りは手薄になっているはずなんだ。水の国アクアマリンが万全の状態ではなく、他の国もそれぞれ睨み合いをしているから、多少守りを緩めても攻め込まれる心配はないと踏んだんだろう。だから、今このタイミングで本国を襲撃されれば、かなりの打撃になる」


 近隣に位置する魔法国家のうち、大陸南側の雷の国シトリン風の国アクロアイト土の国アンバーの三国は、未だ冷戦下にある。いつ戦争が勃発してもおかしくない一触即発の状態で、北側の情勢にまで干渉できる余裕はないだろう。


 炎の国ルベライトがそう判断するのは、ロレッタにも理解できるのだが。


「それは、そうかもしれませんけれど……なんの為に……?」


「例え他国を攻め落としても、自国が攻め落とされていたのでは話にならないからな。究極的には、攻めるより守るほうが優先だ。本国が危機に陥れば、前線からいくらか戦力を引き返させることができるかもしれない。水の国アクアマリンへ差し向けられた戦力の一部……欲を言うなら、単騎で最も戦闘能力の高いナディヤを撤退させられれば、少なくともお前の父親まで引っ張り出されるような事態にはならないだろう」


「! ……お父様の、為に……?」


「父親じゃない。お前の……いや、俺自身の為だ」


「え……」


「お前が嫌な気持ちになって、暗い顔をしていたら、俺だって嫌な気持ちになる」


 そう言うなり、リューズナードは身を乗り出して手を伸ばし、布団の横に置いてあった花束を掴んだ。自身が作ったのだろうそれを、ロレッタへ差し出してくる。


「俺は、そんな顔をさせる為にお前をここへ連れ戻したわけじゃない。正直、国家間の戦争に関心なんて全くないが、お前が嫌な気持ちになる原因の一端が俺にもあるのなら、責任は取る」


「責任……」


 彼が水の国アクアマリンの兵を傷付けたことが引き金となり、戦争が始まろうとしている。ナディヤからもアドルフからもその事実を付き付けられ、さすがに思うところがあったのかもしれない。そうだとしても、国家に対して平然と喧嘩を売ろうとするのは如何なものか。時折、垣間見える彼の柄の悪い精神は、温室育ちのロレッタに何度でも新鮮なカルチャーショックを与えてくる。

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