第33話 先見と炎(1)

 全身に吹き付ける熱さで、沙苗は目を覚ます。


 沙苗はぼろぼろの姿だった。

 どうして、こんなぼろぼろの格好なのだろう。


 ――あ、あれ?


 沙苗の頭に疑問が湧き上がる。

 どうして自分の姿を第三者の視点から見ているのだろう、と。

 それから目の当たりにしている光景が現実ではないことに気付く。


 先見を見ているのだ。


 黒煙に咳き込んだ沙苗は、這うようにして建物から出ようとする。


 ――ここは、土蔵?


 まとっていた着物がぼろぼろなのはもちろん、剥き出しになった肌には打撲痕や斬り傷が無数についている。

 髪もぐちゃぐちゃで痛々しくて、未来の自分に何が起こったかなんて考えたくもなかった。

 なのに顔を背けることは許されず、目を閉じることもできない。


 土蔵の中は外から流れ込んでくる黒煙で、視界がきかない。

 着物の袖で鼻と口を押さえ、外へ出た。

 目の前に広がったのは瓦礫の山と、紅蓮の炎。


 無数の人々が真っ黒に焼けて物言わぬ骸になって倒れ、瓦礫がうずたかく積まれている。


 これは一体何の先見なのか。


 ふらふらと頼りない足取りで、沙苗は瓦礫の散乱する中を進んでいった。

 炎で揺らめく視界の中、見慣れた後ろ姿を見た。


 その時、こみあげるのは安堵の気持ち。


「かげとら、様……」


 先見の中で自分がこぼした声はひどく頼りない。

 しかし景虎には届いたようだった。


 右手に刃こぼれした軍刀を構えた景虎は、沙苗を見るなり、笑みを浮かべた。

 瓦礫の山と炎という取り合わせからは考えられないほど優しげな表情。


「良かった、沙苗。無事だったんだな……。待っていろ。今、お前を苦しめる者たちを始末するところだ」

「え?」


 景虎の足元には、薫子。顔を青ざめさせ、沙苗以上にぼろぼろの姿をしていた。


「た、助け……」


 仰向けに倒れている薫子が胸を大きく上下させながら喘ぐ。


「黙れ」


 景虎は薫子の心臓めがけ刀を振り下ろせば、血飛沫がその顔を、髪を、汚す。


「どうして、どうして、こんなこと……」


 沙苗は足下から崩れ落ちてしまう。


 景虎と再会できた喜びはもはや、どこにもない。ただ寒々とした気持ちばかりが心を吹き抜けていく。


「さあ、帰ろう。俺たちの家へ」


 景虎が浮かべた壊れた笑顔を前に、沙苗は恐れを抱いた。



「ん……んん……っ」


 重たい瞼を持ち上げる。

 全身に嫌な汗をかいて気持ち悪い。

 先見の余韻を引きずり、心臓が痛いくらいばくばくと音をたてている。


「こ、ここは……?」


 そこは先見で見た、土蔵の中。

 よろよろと立ち上がった沙苗は扉に手をかけるが、びくともしない。


 ――このままじゃ、あの先見が実現してしまう!


 沙苗はどうにか土蔵から逃れられないか、肩から扉にぶつかっていくが、沙苗の小さな身体はあっという間に弾き飛ばされてしまう。


「おい、静かにしろっ」


 土蔵の扉が開いたかと思えば、男が顔をだす。

 その男は沙苗を馬車に引きずり込んだ人間だ。


「ここから出してくださいっ!」

「うるせえ女だ。おい、旦那様たちを読んで来い」

「旦那様?」


 さっきの先見には、薫子がいた。ということはつまり。


 ――薫子と、その夫の仕業ってこと?


 パーティー会場で沙苗を辱めただけでなく、まだ追い詰めたいのか。

 どうしてそこまでされなければいけないのか。自分が一体、薫子たちに何をしたというのか。


 ――私はただ静かに暮らしたいだけなのに!


 薫子と、その夫、嘉一郎たちが姿を見せる。


「あら、お姉様。お目覚めね。とんでもなく無様! アハハハ!」

「……薫子、お願い。帰らせて……。このことは誰にも言わない……黙ってるから……」

「誰にも言わない? 化け物の分際で! 立場を理解しなさいよね!?」

「落ち着け、薫子。目的を忘れるな」


 嘉一郎がまるで物分かりのいいような顔で、近づいてくる。

 その不気味な笑みに、沙苗は後退ってしまう。


「手荒な真似をしてしまって申し訳ない。乱暴な真似はしないように言っておいたんだが、これだからちんぴらは困る」


 嘉一郎が軽薄な笑みを浮かべた。口元は笑っているが、目は全く笑っていない。


「……何が目的なんですか」

「簡単だ。あなたの力を借りたい」

「わ、私の?」

「薫子から聞いたが、未来予知ができるんだろう。その力を私のために使って欲しいんだ。今後、この社会で何が起こるのかとか、どの会社に投資すればいいのか、とかね」

「本当に未来が分かるのなら、だけど」


 薫子が蔑みの視線を向けてきた。

 どうやら先見というものが、自分の意思で見るものを決められないことを知らならしい。


「……条件があります」

「はあ!? 条件って何様……」

「薫子、落ち着いて。条件ってなんだい?」

「こんな土蔵ではなくて、ちゃんとした部屋に移してください」

「何言ってんの! 化け物なんだから、この土蔵で十分じゃない!」

「薫子」

「……分かったわよ」

「もし、有益な情報を教えてくれるんだったら、いいだろう」

「どこへ投資するのかが知りたいんですよね」


 パーティーで、見知らぬ人たちがしていた会話を思い出す。

 しかしすぐに言っては駄目だ。

 いかにも先見でそれを知ったと振る舞わないといけない。


 沙苗はその場で座ると目を閉じる。


 そしてさも意識を集中しているかのような素振りをする。

 たっぷり時間を取ると、もったいぶるようにゆっくりと目を開けた。


「……見えました」

「教えてくれ」


 嘉一郎は目を輝かせ、前のめりになった。


「さ、三洋に投資すればいい、と……」

「三洋? なぜ」

「……汽船事業に新しく参入しようとしているからです。き、木之元汽船という会社が買収されたはず」


 最初は手妻を前にわくわくする子どものように目を輝かせていた嘉一郎だったが、具体的な名前が出て来たことで、その顔がにわかに真剣みを帯びる。

 薫子が、嘉一郎の洋装の袖を引く。


「今の話は本当なの?」

「……確かに木之元汽船が買収された。だが、買収したのは三洋じゃない」

「じゃあ、でたらめじゃないっ」

「――三洋が、他社に気取られないように秘密裏に進めたかったから、別会社に買収させた、とありました」


 自分でも何を言っているのか理解はしていない。でもパーティー会場で耳にしたことを間違いなく言えているはずだ。あとは偶然、耳にしたこの情報が間違っていないことを祈るしかない。


「詳しく調べよう。他には?」

「……先見は一日に一回が限度なんです。すごく体力を使うので……。お願いです。こんな場所じゃ体力を回復させられません。せめて、ちゃんとした部屋に」

「いいだろう」

「嘉一郎さん、正気なの!?」

「木之元汽船が買収された話を知っているはずがない。つい最近の出来事だ。薫子、君はそのニュースを知ってたかい?」

「知らないわよ、そんなこと」

「三洋という会社は?」

「それは、なんとなく聞いたことがあるけど……」

「女はだいたいそんなもんだろう。仮に経済に関心があったとしても、木之元汽船買収なんて新聞にちらっと出たにすぎない。たしかに、あの買収はきな臭いと思ったんだ。裏に三洋か。たしかに……真実みはある。分かった。部屋へ案内しよう。体を休めて、その調子で明日も先見を頼むよ。もしもっと有益な情報をくれたら、ここから解放しよう」

「ありがとうございます。がんばります」


 嘉一郎の顔には嘘だと書いてある。

 しかしここは従順なふりをする必要がある。


「こっちだ。ついてきて」


 薫子が気に入らなさそうに睨み付けてくるのを、沙苗は背筋を伸ばし、胸を張って、無視して歩き出す。目の端で薫子が今にも噛みつかんばかりに歯ぎしりしそうな顔をしていたが、嘉一郎の手前、何もできないようだった。


 沙苗の身柄は、土蔵から本宅――洋館の三階にある一室へ移された。


「ここでどうかな。寝台もある。机も。食事は?」

「大丈夫です。今は休みたいので」

「じゃあ、また明日。いくぞ、薫子」

「……ええ」


 薫子は嘉一郎と一緒に出ていった。

 窓は一つだけ。開けると、夜風が部屋に入ってくる。ここは三階。窓からの脱出はさすがに無理だ。それを見越してこの部屋に案内したのだろう。


 今し方嘉一郎たちが部屋を出ていく時に見えたが、沙苗を誘拐した男が部屋のすぐ前にいた。見張りだろう。


 窓から見える景色を見る限り、先見で見えたのはここに違いない。

 つまり、あの瓦礫はこの館。燃えていた人々はきっと、この館で働く使用人たち。


 運がいいことに、沙苗の手元には木霊たちがいる。


「みんな、ここを脱出するためにも力を貸して」


 任せろ言わんばかりに木霊たちは自分の胸をたたく。

 心強さに、くすっと笑みがこぼれた。


 景虎の助けがなくても十分、抜け出せる。

 景虎が来なければ、先見で見た悲惨な状況は回避できるはず。


「私は一人じゃないわ」

「なに独り言を言ってるの。気持ち悪いんだけど」


 邪悪な笑みを浮かべた薫子が、部屋に入ってきた。

 沙苗は思わず身構える。


「……私に何かをしたら、嘉一郎さんが怒るわよ」

「嘉一郎さん? 馴れ馴れしいのよ! 多少、痛めつけたところで別にどうってことないでしょ。その髪飾り、綺麗よね。さっきから気になってたの。よこしなさい」

「……これは大切なものなの。あなたなら欲しいものは夫に買ってもらえるでしょう」

「分からない? あんたから奪うのが楽しいのよ! 化け物の分際で逆らうんじゃないわよ!」


 薫子に苦しめられるのはたくさんだ。


「私はもう座敷牢に閉じ込められた時の私じゃない」


 口に出すと、


「あの時のままよ! 化け物!」


 薫子が向かってくる。


「みんな、お願い……!」

「は?」


 その瞬間、部屋中に散らばった木霊たちが体当たりをして、花瓶を割った。


「ひ!」


 薫子が何の前触れもなく割れた花瓶に、声を上げた。

 木霊を認識できない薫子からしたら、勝手に物が動き、壊れていくようにしか見えないだろう。


「奥様、何の音ですか!?」


 物音に監視役の男が洋燈を手に、部屋に飛び込んでくる。男もまた勝手にものが壊れるの様子を目撃して、顔を青くする。

 さらに机が倒れ、家具を動かす。


「や、やっぱり、あんたは化け物だわ!」


 薫子たちは肝を潰しながら部屋を飛び出していく。

 沙苗は悠然と廊下に出る。


「ちょ、ちょっとあんた! 何とかしなさいよ!」


 薫子が男に追いすがる。


「冗談じゃない! 邪魔だ!」


 男から邪険に振り払われるが、薫子はしがみついて離れようとしない。男が苛立ったように薫子を足蹴にした瞬間、その手の燭台が絨毯に落ちた。


 絨毯に引火する。

 炎はたちまち大きくなり、男と、沙苗、薫子の間を分断する。

 たちのぼる黒煙が廊下にたちこめ、視界を奪う。


 木霊たちも元々は木より生まれたあやかしのせいか、炎を恐れ、沙苗にしがみつく。

 沙苗が元来た道を戻ろうとするが、「待ってぇ!」と薫子が情けない声をあげた。


 ――薫子はいたぶるために部屋にきたのよ。助ける必要は……。


 しかしここで見捨てれば、それこそ薫子と同類になってしまう。

 沙苗は薫子の腕を掴んだ。


「ああああああ……!」


 彼女のまとう霊力が、沙苗の手を焼く。無論、痛みは、景虎に触れられた時よりもずっと弱い。それでも痛みは感じ、肌が破れ、血が流れてしまう。

 それでも歯を食いしばり、窓まで引きずっていく。


 ――嫌な女だけど、大嫌いな女だけど、それでも!


 手に痛みが走った。景虎ほど強い霊力がないとはいえ、半妖の身体は傷つけられた。

 それでも腰を抜かした薫子ともども、部屋に避難する。

 薫子から手を離したあと掌を見ると、真っ赤に腫れ上がり、ひりつく。


 ――これくらいだったら大丈夫。


 扉を閉めるが、扉の継ぎ目からは黒煙が入り込んできていた。

 沙苗は窓を開ける。


「助けて……!」


 あらんかぎりの声で叫ぶ。


 火事に気づいた人間たちが、屋敷から逃げ、屋敷を見上げている。

 薫子もまた窓から顔を出し、「助けてぇぇぇぇ!」と泣きべそまじりに絶叫する。


 ――せっかく景虎様の力を借りずに、逃げられるはずだったのに!


 部屋に侵入してくる煙もどんどん濃くなってくる。

 どれだけ沙苗たちが声を上げても、火の勢いが強いせいで、外の人々は屋敷に近づくこともままならない。


「も、もう駄目よ……。おしまいだわ……」


 薫子がその場に崩れ落ちる。

 煙を吸い込みすぎた沙苗は激しく咳き込みながら、その場に崩れた。


「ちょっと、薫子!」


 ぐったりしてしまっている。叫んだ拍子に煙を吸い込んだ沙苗も咳き込んだ。


「みんな、逃げて……」


 自分にすがりつく木霊たちに呼びかける。彼らなら窓から外へ逃げられる。

 彼らは、沙苗と一緒にいると言ってくれるが、甘えるわけにはいかない。


 炎は何もかもを飲み込む。


 それは弱い霊力しか持たぬあやかしも例外ではないのだ。

 彼らは、沙苗にとって人生の恩人。それをこんなところで失うわけにはいかない。


「これまで、ありがとう……ゲホゲホ!」


 窓辺にいる木霊たちは右往左往する。


「みんな!」


 木霊たちがぴくっと動きを止めた。


「お願いだから逃げて……!」


 可哀想だと思いつつ、沙苗は木霊たちを窓の外へ追いやった。

 木霊たちがふわふわと漂いながら、窓の外へ下りていくのを眺め、ずるずると足下から崩れ落ちていく。


 煙を吸いすぎたせいで身体に力が入らない。


 ――……ここで、私……。

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