第24話 少女の初恋

 沙苗に見送られ、いつものように家を出る。

 正直、沙苗の先見の力は頭から信じたわけではなく、半信半疑だった。


 しかしこれまで突飛なことを一度も言い出さなかった沙苗が真剣な顔で伝えてきたことだ。

 今さら景虎の関心を引くような子どもぽいことをするはずもない。


 ――信じるべきだな。


 内容が内容だ。それこそ、何もなければそれに越したことはない。

 しかしもし本当にそういう事態が起こるのであれば、部下たちの命を守るためにも気を配るべきだ。


 分かっていることは、夜であること、尖塔の建物がそばにあることと、そして空を飛ぶあやかしが出てくること。


 と、馬車の向かいに座っている三船が小さく笑う。


「三船。なにがおかしい?」

「笑っていたのではなく、微笑ましいなと思っておりました。今日も沙苗様のお弁当ですね」


 三船は、膝においた弁当の包みを見ている。


「せっかく作ったものを無下にはできないだろう。それだけだ」

「最近、大佐の雰囲気が変わったと皆が噂しております。これも、婚約者のおかげなのだろうか、大佐も人の子だったんだ、と」

「……誰がそんな馬鹿なこを言っている」


 景虎の目が鋭くなったことに、三船は慌てる。


「それは!」

「人の子だとかほざいてるのはどうせ一臣だろう。馬鹿なやつだ」


 三船は曖昧に笑う。

 庁舎へ出勤し、いつものように仕事をこなしていく。


 その日は結局何事も起こらずに過ぎていった。

 沙苗にそれを話すと安心していたようだが、それでも彼女の表情にある影は去らなかった。いつかは絶対に起こるということを経験しているからだろう。


 景虎も夜の出動要請に関しては常に気を配るようにした。

 そして沙苗から先見を聞いた一週間後、日が暮れた時間帯。


 あやかしの出現を三船が伝えてくる。

 現場指揮は他の狩人が任されたが、景虎は自分も向かうと半ば強引に了承させた。

 退魔部隊が保有する自動車に乗り込み、現場に急行する。


「……大佐がご自身が行かれるとは、なにか予感があるのですか?」


 常にない強引さで現場に急行している景虎を、ハンドルを握る三船は不安そうに眺める。


 ただの人間であれば虫の知らせというのは、本人も周りも大して気にも留めることはないが、こと常人にはもてぬ強い霊力をもつ狩人――特に、全ての狩人諸家の頂点に立つ天華の当主の虫の知らせというのは、特別な意味を持つ。


「杞憂であればそれでいい」


 景虎はそう言葉少なに答えるに留めた。余計なことを言って必要以上に不安にさせる必要はない。


 無線通信機により現場の情報が逐一、伝えられる。


 出現したあやかしは蝙蝠型。そして急行する現場には、教会の尖塔がある。


「三船、もっと急げっ」

「は、はいっ!」


 現場に到着するなり、景虎は三船の制止も聞かずに飛び出した。


 景虎は頭上高く飛び回るあやかしではなく、尖塔を見る。そしておそらくあれが崩れた場合の落下地点にいるだろう部下たちに目を向ける。


「お前ら! そこから離れろ!」


 景虎の叫びに、部下たちがびくっとして振り返る。


「命令だ!」


 景虎がどすのきいた声で叫べば、部下は慌てたように指示に従う。

 直後、あやかしが尖塔のそばを横切ると同時に、その巨大な翼が、尖塔を裂いた。

 ぐらりと揺らいだ尖塔が切断され、ついっさきまで部下たちがいた場所に落下した。


 巨大な土埃が巻き上げられ、辺りに立ちこめた。

 その全てが、沙苗から聞いていたとおり。


 ――次に起こることは……。


 刀を抜く。


 ――あやかしの襲来!


 顔を覆って怯んでいた部下を突き飛ばした景虎は、襲いかかってきたあやかしの攻撃を、受け止めた。

 まさかこの状況で、冷静に動ける人間がいるとは思わなかったのだろう。


 あやかしの顔が驚きに包まれる。

 一刀の元に、あやかしを斬り伏せた。


「全員、体勢を立て直せ! くるぞ!」


 あやかしは一体ではない。

 尖塔の落下から間髪いれずにやってくる襲撃に一時は恐慌状態に陥っていた部下たちだったが、景虎の叫びが彼らに理性を取り戻させた。


 彼らは冷静にあやかしに対処する。

 あやかしも体制の立て直しの速さに慌てているようにも見えた。


 景虎は闇夜にも映える美しい白髪を振り乱し、あやかしを両断する。

 周囲に気を張り巡らせる。あやかしの気配は完全に消失した。


「全員、すぐに撤収準備に入れ!」

「はっ!」


 敬礼する部下たちにあとのことを任せ、三船の元に戻る。


「大佐……どうして尖塔が崩れることが分かったのですか?」


 景虎の行動は明らかに、尖塔が崩れることを前提にしたものだったから、疑問に思うのも当然だ。

 まさか沙苗が教えてくれたとは言えない。


「あのあやかしは飛び回るばかりで一向に攻撃をしてこなかった。だから何か思惑があると思ったんだ。すぐそばに、崩しやすい建物があることに気付いたから、念の為に避難させた。それだけだ」


 もし無防備なままの部下たちの上に、あの尖塔が落下していたらと思うと、背筋がぞくりとする。


 部下の多くが下敷きになり、さらに巻き上がった土埃によって視界が奪われるとい

う最悪の副次効果も合わさって、どれだけの命が奪われていたか分からない。


 ――被害が出さずに済んだのは、沙苗のおかげだな。


 景虎があやかし出現に関する処理を終えて帰宅する頃にはまたも深夜近い。

 しかし気持ちは晴れやかだ。


 ――明日は、三船に言って、沙苗にショートケーキを届けさせようか。それとも食べたことがない、アイスクリーム、パンケーキもいいかもな。

 本当は連れていってやれればいいのだが、非番は当分こなから仕方がない。

 そんなことをあれやこれやと考えて、はっと我に返る。


 ――また沙苗のことばかり、考えていたな。いや、これは正当な礼のためで……。


 誰に言い訳をしているのか分からないが胸の内でそう自分に言い聞かせるように呟く。

 三船に礼を言い、馬車を降りて屋敷に入った。


 そして居間に入るなり、


「景虎様!」


 沙苗が縋るような眼差しを向けてきた。


「どうしてまだ起きてるんだ」

「胸騒ぎがしたんです。気のせいだと言い聞かせたんですが、どうしても気になってしまって眠れず……」

「……胸騒ぎ。春辻の血、かもな」

「はい?」

「いや、こっちのことだ。お前の胸騒ぎは正しかったようだな。安心しろ。お前から聞いていたから、被害は出ていない。あやかしも倒せた。お前のおかげで、将来有望な連中を失わずに済んだ。ありがとう」

「景虎様もお怪我は……」

「平気だ」

「良かった……!」


 沙苗は少し涙ぐみながら、はにかんだ。

 先見というのはまるで現実の出来事のうように生々しいと沙苗は言っていた。

 大勢の人間が崩れた尖塔の下敷きになるのを沙苗はまるで自分が体験しているかのように生々しく感じ取っていたということになる。


 今の安堵の表情は、先見で一足早く体験していたということもあるのだろう。


 泣き笑いの表情の沙苗を前に、胸が締め付けられるように苦しくなった。

 普通の夫婦であればこういう時、抱き寄せ、安心させるべき言葉をささやけるのだろう。


 しかし景虎にはそれがそうすることが叶わない。それが悔しい。


「景虎様? ぼうっとしてどうされましたか?」


 沙苗に呼びかけられ、我に返る。


「お茶を淹れましょうか?」

「あ、ああ……頼む」

「はい、すぐにっ」


 すぐにお茶を運んで来てくれる。

 切なかった気持ちを押し流すように、茶を一気に飲んだ。


「先見で見るのは、怖ろしいことばかりだったのか?」

「ほとんどは。でも一つだけ……幼い頃からずっと見ていたものがあったんです」

「ずっと?」

「先見でそれまで見えたものは近い将来の出来事のはずでしたが、それだけが違ったんです。それに、怖いことでもありませんでした。それどころか私にとってはとても素敵な先見で……」


 沙苗は、ちらっと景虎を見てくる。


「まさか俺と関わり合いがあるか?」

「関わり合いどころか、そのものです。景虎様のお姿を、幼い頃から見ておりました。寂しげに、切なそうに笑う、景虎様です。そして私にとって…………初恋の人でした。あ、初恋と言っても、あの、その気持ちを今も引きずっているということではありません! 幼い私にとっては、景虎様のように輝くように美しい方を見るのが初めてで……! ちゃんと自分の分は分かっているつもりですので……」


 景虎が『愛するつもりはない』と口にしたことを気にしているのだろう。沙苗はしどろもどろになりながら言葉を重ねた。


「……そ、そうか」


 景虎はぎこちなく頷くのがやっとだった。

 こういう時、どう反応を示すべきなのが正しいのだろう。

 景虎には分からなかった。


「とにかく俺は無事だ。だからもう眠れ」

「はい。おやすみなさいませ」


 沙苗は小さくお辞儀をすると、居間を出ていく。


 ――初恋……こんな俺に?


 この顔も美しいだなどと言われたのは初めてだ。

 他人は元より奇異なものとして見ていた。それが普通だったし、景虎自身それに対して特別な気持ちを抱くこともなかった。


 今でこそ馴れたとはいえ、この白い髪に赤い目は景虎にとっては忌まわしいものでしかなかったのだから。それは今も変わらず、鏡に自分の顔をうつすことさえ嫌っていた。


 それなのに、美しい、と彼女の澄んだ声で聞くと、胸が締め付けられるような錯覚を覚える。



 沙苗は部屋に戻ると、布団にもぐりこむ。

 しかしなかなか眠気はこず、ずっと、さきほどの景虎とのやりとりを思い返す。


 ――景虎様からお礼まで言ってもらえるなんて。


 まるで夢を見ているような心地。

 自分の先見がはじめて、誰かの役に立った。そのことが嬉しい。はじめて先見を役立ててくれたのが景虎で嬉しい。


 気味悪いと思うことなく、その場で話を聞くだけのふりをするわけでもなかった。

 だからこそ、そのあとの己の軽率さが悔やんでも悔やみきれない。


「いくらなんでも、初恋なんて言うべきじゃなかったのに……」


 きっと最悪の事態を回避できた上に、景虎も無事でいたことに心から安心したせいで、話さなくてもいいことが口からこぼれてしまったのだ。


「今ごろ、“俺たちの関係が契約にすぎないというものだと忘れたのか?”って、思われたらどうしよう……」


 思い返すと、初恋と聞いたあとの景虎は口調が心なし、ぶっきらぶだったように思える。


 今からでもさっきのことは嘘ですと言ったほうがいいだろうか。

 いや、そんなことをしたら余計、煩わせるだけだ。


 これだったら、未来予知なのではなく、人の心が読める力であってくれたらどれだけいういだろう。

 相手の心さえ手に取るように理解できるのなら、こんな風に戸惑うこともなかっただろう。

 でも景虎のことを先見ではじめて見たときの気持ちは、沙苗にとってかけがえのないものであることに他ならない。


 傷だらけの身心に、あの時の気持ちがどれだけ救いとなってくれたか。

 だからこれからも出来ることはしよう。少しでも役に立てるように。


 沙苗はそう思いながら眠りに落ちていった。

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