出戻り勇者、かつて自分が救った異世界で配信する ~迷惑配信者を懲らしめたらバズりました~

佐藤謙羊

01 会社をクビになりました

 主人公がなにかを成し遂げ、やりきったところで世界は終わる。それが物語というものです。

 しかし現実ともなると、やりきったあとも世界は続きます。例えそれが、誰も興味がなくても。


 定時を告げるチャイムが鳴ります。となりの席の後輩は、だいぶ前から私用電話に夢中のようです。


「あっ、そっか! 今日はパーティだったっすね! もちろん行くっすよ! 残業あるっすけど、こっちは奴隷がいるんで!」


 後輩はスマホを首に挟みながら立ち上がり、椅子に掛けていたジャケットを羽織っていました。

 机にあった書類の束を、私に投げてよこします。


「おいフーセン野郎、その書類は明日の朝に課長が会議で使うから、今日じゅうに仕上げとけよ」


 私は気が小さいのです。深海のなかで肺が押しつぶされているように、声と勇気が出ません。

 後輩に残業を押しつけられても、猫背のまま頷くことしかできませんでした。


「あっ……はぁ……」


「じゃ、おつかれっすぅ~!」


 世間はなにかのパーティみたいで、社内の誰もが帰りじたくを始めています。

 私は今日も残業。思えばこの会社に入ってから、定時に帰れたのは入社日くらいでした。


「なんだフーセン野郎、今日も居残りかぁ? テメーは相変わらずドンくせぇなぁ」


 その声に、私の身体はさらに縮こまりました。

 声の主は金牙絶斗キンガゼット。このキンガ重工の若社長です。


 逆立てたモヒカンに、左右にZのレザーアートを入れた髪型。

 いつも口を開けていて、犬のようにだらしなく舌を出し、純金の八重歯をチラつかせています。


 その顔は世紀末のチンピラみたいなのですが、キンガグループの跡取り息子のひとりで、いわゆるボンボンというやつです。

 いつもタンクトップ姿で、鍛え上げた身体と腕に彫られたZのタトゥーを見せびらかしていますが、今日は珍しくスーツ姿。しかしミラーボールみたいにギンギラした派手すぎるやつでした。


 でもどんな格好をしていようと、相手をするとロクなことになりません。

 とりあえず「はぁ」と無難な相槌を打っておきます。


 するとそれが気に入らなかったのか、ゼット社長は私の髪をいきなり掴んで窓のほうに向けたのです。

 そこには、この世の春を謳歌しているようなマッチョな若者と、この世の冬に置き去りにされたような中年男の姿が映っていました。


 目が隠れるほどの長い前髪、無造作に結んだ後髪にヨレヨレのシャツ。

 やせたかなしい姿という形容がピッタリくる……それが私です。


「しけたツラしやがって! 今日は楽しい日だってのにそんなツラ見せられて、こっちは迷惑なんだよ!」


「はぁ……」


「はぁ、じゃねぇよ、このフーセン野郎が! 謝れよ!」


「すいません……」


「すいませんじゃねぇよ、このクソ野郎が! 慰謝料よこせ!」


「えっ……?」


 言うが早いがゼット社長は私のポケットから財布を抜き取っていました。


「なんだ、たった3千円ぽっちしか持ってねぇのか!? ガキの小遣いかよ! テメェ、俺様よりひとまわり以上歳上だろ!?」


「はぁ……」


「あ~あ、こんなオッサンにだけはなりたくねぇなぁ……! ってことでお前、クビ~っ!」


 ゼット社長は立てた中指で、首を掻っ切るポーズをしてみせます。

 こうやって、難癖をつけられてカツアゲされるのは初めてじゃありません。

 でもカツアゲされながらの解雇宣言は初めてで、にわかには信じられませんでした。


「え……? ウソ、ですよね……?」


「ウソじゃねぇよ。もう手続きはぜんぶ済んでるから、明日からくんなよ。あ、社員寮にあった部屋の荷物はぜんぶ売っ払っといたから。預金通帳もあったけど、合わせてもたいした金にはならなかったぜ」


「えっ、そんな、勝手に……?」


「勝手にって、社員のものは俺様のものって社則があるんだよ! 長いこと勤めてたクセに、そんなことも知らなかったのかよ!」


「そんな、ムチャクチャです……。それに、急にクビなんて言われても……寮を追い出されたら、行くところが……」


「しょうがねぇだろ! お前の部屋、俺様のヤリ部屋のひとつにすることになったんだから!」


「ど……どうして? どうしてなんですか……? ゼット社長はもうなにもかも持ってるのに……。なんで、なにもない私から奪おうとするんですか……?」


「あれ、知らねーの? 貧乏人をケツの毛まで毟り取って、その金をドブに捨てるみてぇな使い方するのが俺様の趣味なんだよ」


 ゼット社長は鼻唄まじりに窓際に向かうと、窓を全開にします。

 吹き込んでくる風にジャケットをキラキラさせながら、懐から札束を取り出していました。


 その札束にさらに、私から奪った3千円を合せています。

 なにをするのかと思ったら、まとめて外に向かってばら撒いていました。


「ま……まさか……」


 舞い散る紙幣。私は青い顔で窓際に駆け寄りました。


 ここはビルの8階。下の歩道からは「金が降ってきたーっ!」と歓声が響いています。

 ゼット社長は私の頭をヘッドロック、さらにゲンコツで小突きながら、最高のレジャーを楽しんでいる最中のような弾んだ声で言いました。


「ぎゃはははは! 金の雨のあとは、やっぱ暴力の雨だよな! これで、お前は無一文のホームレスでぇ~っす! このあとの人生を考えるとマジで笑えるよな! ……あ、こっから飛び降りんのだけはやめろよ! 人が死ぬのは見飽きてっからさ!」


 ぎゃはははは……! ぎゃーっはっはっはっはっはっはーーーーっ……!!


 頭の中で鳴り響いていた嘲笑に、警笛の音がまざります。

 その音にズキリとした痛みを感じて我に返ると、地下鉄のホームに立っていました。


 あれからどうやって、ここまで来たのか覚えていません。


 私は今夜、会社をクビになりました。

 それどころか住むところを追われ、財産もすべて奪われてしまいました。


 ゼット社長がしたことは労働基準法違反だし、それ以前に犯罪です。

 でも私には、警察に駆け込む度胸などありません。


 かつてゼット社長が武勇伝のように、社員たちに語っていました。

 クビにした社員が訴えてきたから、一族全員追い込んで根絶やしにしてやった、と。


 それはたぶんウソではないでしょう。

 キンガグループは世界に名だたる大企業。大物政治家や宗教家との繋がりがあり、揉み消した犯罪のウワサには事欠かないからです。


 そう……。私のような持たざるものが立ち向かったところで、絶対にかなわない相手……。


『まもなく電車がまいります、白線の内側まで下がってお待ちください』


 地下鉄のアナウンスが遠く鳴り響き、私の足はひとりでに白線をまたぎ越えていました。


 もう、終わりにしましょう。私の人生は、とっくの昔にクライマックスを過ぎています。

 誰からも見てもらえない物語なんて、続けてもしょうがありません。


 奈落に落ちるように、私の身体がホームに吸い込まれようとした直前、


「ちょ、あぶねーっ!?」


 甲高い絶叫とともに、私の身体は引きずり戻されてしまいます。

 振り向くと、うら若き女性が私の腕を掴んでいました。


 年の頃は高校生くらい。ギャルっぽいメイクでミニスカートな魔女のコスプレをしており、背中には大きなリュックサックを背負っていました。

 よく見たらホームにいる乗客のほとんどがコスプレをしていたので、むしろ私のほうが浮いている感じがします。


 ギャルはホームに入ってきた電車に長い金髪をなびかせ、アイシャドウの引かれた瞼をこれでもかと見開き、虹色のまなこで私を見ていました。


「ちょ、オジサン、なにやってんの!? あとちょっとで轢かれるとこだったし!」


 こんな時だというのに、私は空気が漏れたような相槌を返すことしかできません。


「はぁ……」


「って、顔どしたん? めっちゃ腫れあがってるけど、もしかしてゾンビとかのコスプレ?」


「え、これは……」


「なら、ちょうどいいし! これから『特区』のなんとかランドってところで仮装パーティがあるんだけど、いっしょに行かね?」


 『特区』というのは、ひらたく言うと異世界『アストルテア』のことです。


「オジサンのゲストをひとり連れてこいって言われてるんだよね! いこーよ、ねっ!」


「はぁ……でも私、お金が……」


「いや、キャッチとかそういうんじゃねーし! あたしも行くのは初めてなんだけど、なんか超楽しいパーティらしいよ!」


 彼女はそう言ってはいますが、瞳には『¥』のマークが浮かび上がっています。当人も気づいているようでした。


「あ、あたしの目になんか出てる? あたし、考えてることが目に出る体質なんだよね。でも、気にしなくていーし! さ、行こ行こ!」


 私は押しに弱く、断ることができません。流されるように腕を引かれて地下鉄を出て、駅前の『特区ステーション』へと連れていかれます。

 普通の男性なら心躍るシチュエーションなのかもしれませんが、私には不安しかありません。しかもその道中も、けっして楽しいものではありませんでした。


 私は極度の運動音痴で、躓きやすい体質です。美しい脚線を持つギャルがいっしょだとなおさらで、階段とかではまわりから笑われるほどに何度も前のめりに倒れてしまいました。


「ちょ、オジサン、しっかりしなよ! もしかして酔ってんの!?」


「いえ、シラフです……」


「マジ!? そんなんでよくいままで生きてこられたね!?」


「それは、よく言われます……」


「それに、その猫背! おじいちゃんじゃねーんだから、もっとシャンするし!」


 ギャルに背中を叩かれながら、ようやくたどり着いた特区ステーション。そこは異世界に行くための駅のような施設で、今日は仮装した多くの人たちで賑わっています。

 受付のカウンターにいたのは長い耳が特徴の、エルフ族の女性でした。


「いらっしゃいませ、特区ステーションへようこそ。本日はネイブルランドの王都で仮装パーティが開かれております」


「うん! そのナントカ王国に2名よろしく!」


 ギャルはダブルピースを返します。瞳にもピースマークが浮かんでいたので、クアトロピースになっていました。


「承知いたしました。それではお名前をフルネームで頂けますか?」


「あたしは清木キヨキ真瞳夏マドカ! マドカって呼んでいーし!」


「マドカ様ですね。……はい、特区利用者リストとの照合が完了しました、そちらのお連れ様は……」


 受付の女性とマドカと名乗るギャルに同時に見つめられ、私はちょっとキョドってしまいます。


「えっ……? あっ、あの……その……虚無コム……虚無コムアユム……です……」


「コム様ですね。コム様のお名前は、特区利用者リストに無いようです。特区のご利用は初めてですか?」


「えっ、マジ!? アユムっち、特区に行ったことないん!?」


「は、はぁ……」


「承知いたしました。それでは今回は、マドカ様のお連れのゲストとして手続きをさせていただきます」


 よくわからないうちに受付が終わって列に並ばされ、空港の保安検査のようなものを受けさせられました。

 そのあとは、出発ロビーという場所に案内されます。そこは広い体育館のような場所だったのですが、今日は混雑していて大勢の人がひしめきあっていました。

 楽しそうなざわめきの中で、アナウンスが繰り返されています。


『この便は、ネイブルランド王都行きです。間もなく転送を開始いたします』


 マドカさんはしゃがみこんで、リュックサックの中から魔女の仮面を取りだして顔に着けていました。

 さらに、ジャックランタンの大きな被り物を取りだして私に押しつけてきます。


「アユムっち、これ被って」


「はぁ……」


 私は言われるがままにそれを被ったのですが、中は真っ暗でした。


「あの、なにも見えないんですけど……?」


「うん。パーティは秘密の場所にあるから、これを被せて連れてこいって言われてんの。そんな心配しなくても、あたしがちゃんと手を引いて連れてってやるし」


「はぁ……」


『それでは特区への転送を開始いたします。転送の際、大きく揺れることがありますのでご注意ください』


 その直後に激震がおこり、周囲からは「キャーッ!?」と悲鳴が起こっていました。

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