第1話『Serial killer』 <21>

 僕とアルペジオは苦戦を強いられながらも迷宮を潜り抜け、打ちっぱなしのコンクリートの壁に覆われた最上階と思われるだだっ広いフロアにたどり着いた。

 そこにはゆらゆらと炎が揺らめいているドラム缶。無造作に置かれたベッド。そのベッドにはあちこちに赤黒い汚れがついており、ところどころ破れたシーツが床にまで広がって乱れていた。


 ベッドの主は侵入者に動じることなく、粘りつくような視線で下から上へ僕らを味見するように見つめているだけだ。

 この男が時任暗児――何人もの女性を凌辱した連続殺人鬼(シリアルキラー)か。

 何が面白いのか、こちらを舐め回すようにして見ながらニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。一目見て明らかに常人ではないと思わせるその佇まいには嫌悪感以上に、見た者を震え上がらせる威圧感がある。


「時任暗児だな? 殺人容疑で逮捕する」


 怒りと恐怖で声が震えそうになるのを努めて抑えながら誰何(すいか)したつもりだが、緊張と喉の渇きからどうしても声がかすれてしまう。

 僕の心が萎縮しているのを見透かしたかのように、時任がにちゃりと大きく引きつったように笑う。


「俺を? 逮捕? そりゃ大変だ」


 時任暗児は、魔法使いになる以前から殺人者だった。街で目に留まった女性を家まで尾行し、昼夜を問わず家に押し入り、犯し、殺す。家族がいた場合は家族も殺す。子供だろうが老人だろうが容赦ない。典型的な快楽殺人者だ。

 被害者遺族は極刑を望んだが、心神喪失が認められ、死刑を免れた。その後は医療観察中で厳重な監視体制の下、入院中のはずだった。その時任暗児が、なぜか魔力を身につけ、再び野放しになっている。この情報は警察および日本政府の威信に関わるため、かん口令が敷かれ、現時点においてもマスコミも世間も知らない。


「この世は天国だよなぁ。何人も犯して、何人も殺したっていうのに、心神喪失で罪に問われないなんてよぉ。笑っちまうぜ、なあ?」


 刑法39条1項および2項には、「心神喪失者の行為は、罰しない」「心神耗弱者の行為は、その刑を減刑する」とある。この法を盾にして、本来罰せられるべき犯罪者が罪を免れたケースは少なくない。

 心神喪失者には責任能力がないという理屈なのだろうが、それならば被害者には何の責任があったというのか。法を守り守らせるべき立場である警察官の僕でさえ、大いに思うところがある。ましてや、目の前にいるこの男は心神喪失者などではない。確信犯だ。それはこの男と対峙してはっきりとわかった。


「施設で大人しく骨休めしていたら、俺を魔法使いにしてくれるってやつが現れたんだ。いや~、日頃の行いがいいと幸運が舞い込んで来るもんだなぁ」


 何だって?

 厳戒態勢の中、施設に収容されていたはずの時任に魔力を与え、解放した何者かが存在するというのか。

 強制覚醒の成功率は10%に満たず、90%以上は死に至るというのが定説であるため、時任の日頃の行いうんぬんはともかくとして、幸運であったことには違いないだろう。

 しかし、時任の幸運は、被害者たちの不幸であった。その不幸をもたらしたのは時任自身、そして意図的に時任を魔法使いにした何者か、あるいは組織なのだとしたら……。


「誰が? 一体、何のためにそんなことを……?」


「さあな。けど、俺にとっちゃ最高のプレゼントだった。おかげでこの通り、ここをねぐらにしてやりたい放題のパラダイスってわけさ」


 相手は時任一人。こちらは僕とアルペジオの二人。

 時任にしても、魔法を施した廃ビルの最上階まで上ってきた時点で僕とアルペジオが魔法犯罪捜査係の刑事だと認識しているはずだ。この状況下では逃げ場もなく、追い詰められていると言っていい。それなのに時任は憎たらしいほど余裕しゃくしゃくの態度を崩さない。その根拠は一体何なのか……?


「捜査官殿。オラクルで彼の魔力を計測してみてください」


 アルペジオが時任から目を逸らさずに促す。その瞳には怒りも恐怖もなく、仄暗い湖面のような静けさをたたえている。

 管制官との通信手段であるオラクルには魔力の測定機能も備わっている。言われるがままオラクルを時任にかざしてみると――


 LV99


「馬鹿な……」


「オラクルの測定に間違いはありません。レベルいくつでしたか?」


「きゅ、99……LV99です!」


 絞り出すように答えた声は、まるで悲痛な叫び声のようだった。

 僕の悲鳴に近い声を耳にして、時任が嬉しそうに口角を吊り上げる。


「なるほど。彼の自信の根拠はそれですか」


 アルペジオは相変わらず時任から片時も目を離さず、瞬きすらせずにいる。

 レベルの上限は99というのが定説である。要するに最強。要するに誰も勝てない。しかも相手は血も涙もない連続殺人鬼(シリアルキラー)。ようやく山頂まで登ったと思った瞬間に、突然足元に穴が開いて奈落の底に急転直下、地獄送りにされたような心境だ。


 やっとの思いで鬼畜にも劣る連続殺人鬼を追い詰めたというのに、僕たちにはこの男を確保するだけの力が無いだなんて……。

 くそっ!!

 僕は歯を食いしばり、拳を握り締めて、己の無力を恨みながら、ただ立ち尽くすしかなかった……。




次回更新は来週金曜日12:00を予定しています。

どうぞお楽しみに。

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