第1話『Serial killer』 <2>

 ここで魔法についておさらいしておこう。

 近年、魔法は世界に広く知れ渡っており、その存在を誰もが認識している。しかし、それは決して良い意味ではなく、特殊かつ異質な能力として忌避されている。「魔法使いは人間ではない」と断言する者すら少なくない。

 魔法使いではなく、ただほんのわずかばかりの魔力を備えている者にすら、世間の風当たりは厳しい。それゆえ魔法を使えるなどもってのほかで、魔力があること自体に背徳感、罪悪感を抱きながら生きていくことになる。


 そんな魔法だが、その歴史は古い。起源は神話の時代にまでさかのぼる。

 しかしながら、科学が進歩した現代に至っても解明されていないことがあまりにも多く、それが余計に魔法使いに対する人々の恐怖と不安を増幅させている。

 古代においては魔法を神の奇跡、神の恩恵と称えた時代もあったようだが、科学技術の進歩につれ、正体不明の力は次第に呪いの類と同様に畏怖の対象へと変遷していき、現代においては完全に異物として扱われている。


 少しでも魔法が絡んだ事件が発生すると、ここぞとばかりにマスメディアは魔法の危険性を喧伝し、大衆はそれを鵜呑みにする。

 後進国の山村においては中世で時間が止まっているらしく、いまだに魔法使い狩りや魔法使い裁判が公然と行われているとも聞く。

 一方で、魔法を神の力、魔法使いを神の使徒として崇め奉っている狂信的なテロ組織やカルト教団の噂も存在する。中でも終末思想に傾倒する者たちの間では「魔法使いが世界を浄化する」「現世の終わりは近い」などと、まことしやかに囁かれているという。

 それでも所詮、魔法使いなんてものは自分には関係ない。今でも多くの人がそう思っているし、僕自身、つい一週間前まではそうだった……。


 あれは、一週間前のこと。

 僕は捜査一課の殺人犯捜査係の刑事から同じく警視庁刑事部捜査一課内にある魔法犯罪捜査係、別称MIP(Magic Investigation Police)の捜査官として異動を命じられた。

 童顔だの、坊やだのと先輩たちに馬鹿にされていた僕にもようやく刑事の仕事とスーツが馴染んできた頃だったのに……。

 青天の霹靂、寝耳に水とは、まさにこのことだ。


 警察官になって間もない頃から魔法犯罪捜査係の噂は、よく耳にしていた。

 犯罪捜査において、通常の人間が起こした犯罪と、魔法使いが起こした犯罪とは、明確に区別されるため、ひとたび魔法犯罪が発生すると天下の捜査一課のベテラン刑事も素人同然の扱いを受けて、完全に捜査から締め出される。そんなわけで、捜査から締め出された刑事たちのやっかみも多分に含まれているだろうが、魔法犯罪捜査係について耳にする噂にはロクなものがない。


 曰く、毒を以って毒を制す。

 そのために上層部は元犯罪者や、出自が不明な人間まで魔法使いとして登用しているという噂。


 曰く、魔法犯罪捜査係に配属後、無事に定年を迎えた者はいない。

 なぜなら殉職するか、いずれ危険視されて上層部に消されるからという噂。


 曰く、魔法犯罪捜査係に所属する魔法使いは、全員怪物だ。

 その恐るべき魔法は、もはや人間の領域を超えている。一歩間違えれば、彼ら自身が日本国民の安全にとって一番の脅威なるだろうという噂。


 こういった噂が警察関係者内で都市伝説のごとく、知人の知人、そのまた知人へと蔓延している。

 だが、すべての噂が虚構かと言えば、そうでもないのがまた厄介なところで、僕自身、以前に魔法犯罪捜査係が関わった事件の事後処理にあたったことがある。

 その事件とは未登録の魔法使いが引き起こした、かの悪名高き“新宿ニルヴァナイト猟奇通り魔事件”だ。


 魔法使いには先天的なものと後天的なものがある。

 先天的に魔法使いの素養、すなわち魔力を持つ人間は、法律によって国家の管理下に置かれることになる。

 魔力を有する者は『グリムロック』――通称、首輪と呼ばれる魔力制御装置の装着により魔力を完全に0の状態に保つことで、ようやく一般市民に近い生活をすることが法律上、許されている。


 先天的な魔法使いは、普通に生活している者であれば、早い場合で出産時に発見され、魔力が微弱なため発見が遅れた場合でも小学生の頃には発見される。

 発見される場所の多くは病院か学校だ。発見次第、即座に専門施設へ緊急搬送。翌日には首輪のお世話になるという、お役所仕事とは思えない手際の良さ。この一点だけ見ても、どれだけ人々が魔法と魔法使いを恐れているかがよくわかる。

 政府発表によれば、その発見率は99%を超え、抜け漏れは基本的にないことになっている。


 時折、新聞やニュースで目にする事件の多くは、魔力の暴走や魔法使いによる犯罪ではなく、グリムロックを装着している人間が首輪を付けられた狂犬と同様の扱いを受けており、学校、そして社会に出てからも酷い差別の対象になっていることに起因する。

 こうした差別を苦にした自殺者は、法の施行以来、一度も前年度を下回ったことがない。


 差別を苦にした者が起こす事件を社会問題として取り沙汰する政治家やマスコミもいるが、本心では魔法使いの存在を忌避しているため、根本的な解決に向けて本気で議論を続ける者はいない。人権擁護団体ですら、こと魔法に関しては及び腰だ。

 魔力を持つ者、とりわけ自らの意志で自在に魔法を行使することのできる魔法使いに対しては、『人間』と定義するのが果たして本当に適切なのかという議論すらある。


 後天的に魔法使いになる者は、二通り存在する。

 一つは、ある日突然、魔法使いとして魔力に目覚めるケースだ。この現象は『覚醒』と呼ばれ、覚醒した者は『覚醒者』と呼ばれる。

 中学生から成人するまでの間、特に思春期に覚醒しやすい傾向にあるようで、多くの場合は突然の発症に混乱し、何らかの事件か事故を起こす。死に至るケースも少なくない。

 魔力を制御できず暴発して死ぬ者。魔法犯罪捜査係に殺処分される者。幸か不幸か死を免れた人間には、もれなく首輪が待っている。本人からすれば、降って湧いた不幸に神を呪いたくなるだろう。

 成人するまでに魔力を発症する割合は5000人に1人程度。決して身近ではないものの、世間は確実にその存在を認識している。


 もう一つは、科学的根拠による証明はなされていないが、人為的に魔法使いに変異するケースだ。

 彼らは潜在する魔力を顕在化させる特殊な薬物の投与、あるいは禁書とされる『魔導書(グリモワール)』を使った儀式によって強制的に魔法使いへと覚醒する。

 その成功率は極めて低く、9割方の人間は覚醒せぬまま死亡すると言われている。


 現在、日本国内における行方不明者の数は実に年間8万人を超える。そのうち捜査の結果、所在確認される者が85%、死亡確認される者が5%、その他が10%というのがおおよその内訳だ。

 その他10%という数字は、この一見平和に見える日本において年間8000人を超える人間が行方不明のままであるという恐ろしい事実を意味しているが、政治家もマスコミも誰もこの事実を直視しようとはしない。

 ちなみに、その他10%のうちの大半が強制覚醒の確率を上げるための人体実験の犠牲になっているというのがネット界隈では定説になりつつある。それが事実だとするなら、強制覚醒の成功率が10%だとして、毎年年間80人の強制覚醒者が(おそらくロクでもない理由で)生まれていることになる。


 そして、かの“新宿ニルヴァナイト猟奇通り魔事件”の犯人は、後天的な魔法使いだった。

 逆咲夢郎(さかざき ゆめろう)。当時、22歳。

 未登録の魔法使いであったことから強制覚醒者であったと推測されるも、その背後関係は今もなお解明されていない。


 逆咲は犯行現場で死亡。民間人15名が犠牲になり、警察官が10名殉職した。警察官の殉職者のうち、4名は魔法犯罪捜査係の捜査官と魔法使いだったと記録されている。

 現場は、それは凄惨なものだった。新宿歌舞伎町にあるニルヴァナイトと呼ばれる歓楽街は、誰が誰だか見分けも付かないほどに四散した肉片とおびただしい血の匂いで充満していた。

 マスコミや野次馬が遠巻きに見ている中、僕は吐き気を堪え切れずに恥も外聞もなく嘔吐した。激しい動悸とめまい。まともに立っていることができず、四つん這いになって何度も何度も吐いた。

 産まれてこの方、魔法も魔法使いもお目にかかったことはなかったが、世間がヒステリックなまでに魔法を忌み嫌い、法が徹底的に魔法の使用を禁ずる理由を、このとき僕は身に染みて理解した。

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