第3話 噂


「そろそろミーティングでしょ。早く準備をして、ノア」

 青年がノアの手からコーヒーカップを取り上げ、早く着替えて準備しろと言わんばかりにノアをキッチンから追い出す。

 ノアは渋々寝室へと戻り、ブルーのシャツと肌触りの良いリネンのボトムに着替えて書斎へと移動した。


 これから始まるオンラインミーティングの相手は政府と民間が共同で進めている最先端技術開発プロジェクトの責任者だ。

 このプロジェクトはいくつかのグループに分かれていて、ノアが関わっているのはAIとロボット技術の分野だ。

 ノアはこの分野では天才と言われている人物で、世界中の国や企業がノアの頭脳を確保しようと躍起になっている。だが極度の対人恐怖症のノアにとって人と関わりながら研究や開発を進める仕事をこなすことができない。どんなに条件の良いオファーでも断る以外の選択肢はなかった。

 今日のミーティング相手のプロジェクトにはあくまでアドバイザーとして参加し、直接対面での作業は行わないことを条件に引き受けた。


     ****


「そう言えば妙な噂を聞いたので先生にご報告をしなければと思っていたことがあります」


 オンラインミーティングが終わりかけた時、プロジェクトリーダーが妙なことを言い出した。

「先生と呼ぶのは止めてくださいと何度もお願いしてるのに……」とノアがため息混じりに呟き、「どんな噂ですか?」と続けた。


「闇サイトでAIの学習能力を爆発的に進化させた先生を人類の敵と見なす発言をして大炎上しているユーザーがいるらしいです。ヒートアップした言い争いの末に人類が存続するには先生という存在は抹殺しなければならないと言い放ったらしいです」

「そうですか。殺人予告とか脅迫の類は日常茶飯事ですよ。警察にも相談していますし、ホームセキュリティも強化してます。それにリアムもいますし」

「リアム?……ああ、あのプロトタイプのアンドロイドですか」

「はい、いざとなれば彼が守ってくれるでしょう」

「でも彼には人間を攻撃する機能は付与されていませんよね。2040年に制定されたAI/アンドロイド法で禁止されていますから」

「はい、でも私を守る機能は付与されています」

「先生、くれぐれも気をつけてください。先程話に出た闇サイトですが並の技術者ではアクセスできないようなサイトらしいです。私のチームメンバーがアクセスを試みたのですが歯が立たなかったそうです」

「ほぉ」

 ノアは自分が標的になっているにもかかわらず、その闇サイトに興味を持ってしまった。

「先生、呑気にそのサイトに興味を持っている場合じゃないですよ。先生のホームセキュリティに侵入するくらい簡単にできる相手かも知れませんよ」

「分かりました、気をつけます」


 オンラインミーティングを終えてキッチンに行くと、ダイニングテーブルの上には美味しそうな食事が用意されていた。


「お疲れさま、ノア」

 先程の青年がにこやかにノアを迎える。

「朝食を食べ損なったから昼食は豪華にしたよ」と言いながら青年はノアの頬に軽くキスをする。

「さあ座って。コーヒーは淹れたてだよ」

 青年は微笑みながら椅子を引きノアを座らせると、自分はノアの正面に座った。

「召し上がれ」

 食事は一人分。青年はノアが食べているところを微笑みながら眺めているだけ。


 青年の名前はリアム。ノアが開発した最先端のAI機能を搭載した世界に一台しか存在しないプロトタイプのアンドロイド。

 外見は人間そのもの。触れればちゃんと体温さえ感じられる。飲み物を人間と同じように飲むことはできるが、固形物の摂取はできない。

 リアムの学習機能にはノアが開発した画期的なアルゴリズムが組み込まれており、学習スピードは汎用アンドロイドの10倍以上、学術研究用のアンドロイドと比べても2-3倍は速い。


 ノアのこの才能こそが闇サイトで殺害予告がなされた理由だ。

 人工知能が驚異的な速度で学習すると、人間と同等、もしくはそれ以上の知能を習得するシンギュラリティが訪れる。ノアの才能はシンギュラリティ到来の時期を早め、人間とAIの立場が逆転する未来を創りかねない。それを恐れた多くの技術者がAIの進化のスピードは上げるべきではないと警鐘を鳴らしている。


「リアム、ホームセキュリティのレベルを上げておいてくれないか」

「分かった」


 そう答えたリアムは静かに目を閉じた。

 しばらくして目を開けたリアムが怪訝な表情で「ノア、最近システムのセキュリティテストをした?」と訊いてきた。

 ノアは食事の手を止め「いや。不審な点でも?」と少し表情を固くした。

「外部からのアクセス回数が急激に増えてる。もちろん侵入はされてないけど」


 リアムに搭載されているAIにはホームセキュリティシステムにアクセスする権限が与えられている。まるでテレパシーを使うようにシステムにアクセスすることが可能だ。


「もう行動に移したのか」

「えっ? 何の話? ノア、ちゃんと説明して」


 危険が迫っている時のノアの表情と態度は学習済だ。今のノアの表情と態度が正にそれ。


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