書くために書く短編集

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リオンと森のエルフ

リオンと森のエルフ①

 森の入り口にはご丁寧に『立ち入るべからず』と古代文字で書かれていた。古代文字で書かれている、つまりは、森の前にすら普通の人は近づかないことを意味している。見習い程度あれば読めないこともないであろうが、依頼内容から察するに、経験を積んだ魔法使いを前提としていたように思う。

 それにしても不気味だ。森というものは生き物の気配に溢れていそうなものだが、あるのは静寂だけで、風の音もない、葉擦れも聞こえない。リオンの耳に届くのは自らの心臓の鳴る音、呼吸、そして師匠が淹れてくれたエーテルブルームティーから聞こえる鈴のような高い響きだけだった。

「よし」

 足を踏み出した。降り積もった枯葉にブーツが沈むのがわかる。しばらく誰も足を踏み入れていないのだろう、降ったばかりの雪を踏むような柔らかな感触だった。鼓動がさらに高鳴り、リオンは自らに言い聞かせる。新しい冒険がこの先に待っている、見たことない何かが、宝が、知が、魔法が、僕を待っているのだ。さらに一歩踏み出した。鈴の音が聞こえ、不思議と心は落ち着いた。

 森の中は思いのほか明るかった。入り口に立った時は光魔法の本を持ってこなかったことを後悔したが、中に入ればいらなかったことがわかる。ところどころに光苔や光茸が生えているおかげか、樹々の梢からさす柔らかな光が反射し、あかりを灯してくれる。

「悪くない」というリオンの言葉には、誰も返事をしなかった。


 依頼は極めて単純ではあるが、だからといってそれは簡単であることを意味しない。

 森の奥深く、セレスティア山のふもとにある祠の近くにオークが棲みつき、供物を食い荒らすだけにとどまらず、山を訪れる魔法使いに襲いかかってクリスタルを奪い取るのだという。

 セレスティア山には森を迂回して立ち入ることはできるものの、近くから現れるオークには多くの魔法使いが手を焼いた。

 祠に祀られているのは調和を司る神アルモニウスだ。魔法使いは必ずアルモニウスに誓いを立て、その契約によって魔力を授かる。そのため、祠の近くでは魔力が強められてしまい、力の暴発が起こりやすかった。魔法は調和がすべてだ。大きすぎる力は自らを滅ぼし、小さすぎる力では何の役にも立たない。祠に近いことが魔法使いにとって足枷となる。村の結界すらも破れないオークに手こずるのはそのせいだ。並の魔法使いでは魔法を用いて暴発するか、用いるのを恐れて逃げ出すか、二つに一つしかなかった。如何ともしがたい、と、そこで白羽の矢が立ったのが村一番の魔法使いアルディアンの弟子、リオンだった。

 要するに、オークを退治することが今回の依頼ということになるが、これはなかなか難儀だ。


「アルモニウス・エーテリア・プレギュー、トレメリー・ルナ・ヴィータリーン、アル・マギーク・イー・プリズマティコー、シンクロニス・コ・ナチュラー・ポトエントィアエ」


 魔法使いはこの誓いの言葉をそらんじ、ことあるごとにそれを口にする。意味は「天と地との調和を乱さぬ」という旨のアルモニウスに対する誓いだった。誓いを破ることはアルモニウスに背くことを意味し、それはまた、セレスティア山の頂きに住まう神々とエーテリアに暮らす地の民とを同一視することだ。不遜だ。神々の怒りは雷となり、雪崩となり、雹となり、火の粉となって地の民を滅ぼす。かつて栄華を極めた都市エルナクシアはセレスティア山から流れた雪崩に飲み込まれ、いまだに固い氷の下で眠っている。エルナクシア城の空に向かって伸びていたであろうピナクルがたった一つ、今でもその青い屋根を覗かせている。だが、エーテリアの地の者で、そこに近づこうと思うものは一人としていない。

 道がひらけ、にわかにセレスティア山の頂きが瞳に映ると、リオンは小さく身震いした。遠い。彼の地に手が届くなどという不遜を誰が抱くというのだろう。

 胸にそっと手をあてると、懐に熱を感じる。そこに忍ばせているのはアルディアンから預かったクリスタルだった。セレスティア山のクリスタルは魔力を封じ込めるのに用いられるのだ。師の力を借りずに完遂してみせる、そう意気込んで出たのに、クリスタルに宿るアルディアンの守護魔法を思い、たちまち安心している自分に気がつく。悔しいが、まだ師匠の足元にも及ばないのだ。たとえ師匠の魔力を用いることがなくとも、心理的なお守り代わりにしてしまっている……。

 リオンは悔しさを振り払うように、さらに歩を早めた。


 一つ目に道標にたどりついた。リオンは御影石でできた道標の前で跪くと、両掌をぴたりと合わせ、唱えた。

「アルモニウム・パシス」

 静寂を裂くようにして樹々が低い声を立ててうめき出した。地響きのような音が近づいてくる。樹々の梢から鳥が飛び立ったが、リオンはまぶたを閉じているので気づかない。アルモニウスの祠に続く道を見出すには、誓いを立てた過去と今とを結びつける必要があった。記憶を辿るのではなく、誓いをあらたに立て、何度も重ねた誓いは魔法使いたちに力を与えると同時に、また、それと同等の忠誠をアルモニウスに捧げる。

「アルモニウス・エーテリア・プレギュー、トレメリー・ルナ・ヴィータリーン、アル・マギーク・イー・プリズマティコー、シンクロニス・コ・ナチュラー・ポトエントィアエ」

 胸が高鳴る。寒くもないのに鳥肌が立ち、刹那、血流や呼吸、鼓動までもが止まってしまったかのような沈黙が訪れた。

 リオンはまぶたに太陽ような熱を感じた。目を開いた。道ができ、来たはずの道はすでに塞がれていた。頬が濡れている。不思議と涙があふれでていたらしい。感情のたかぶりも緊張も消えて、師匠の家の暖炉の前で休むような穏やかな熱を全身に感じる。リオンの誓いがアルモニウスに受け入れられたのだ。


 そこからはリオンの記憶にある道とはどうしたって一致しない。御影石の道標からの道は常にあたらしく作られる。それでも必ず祠には通じているのは、アルモニウスの魂の一部がその場所と結びついているからだという。もう迷うことはない。

 リオンは道の途中、太陽が高くなった頃合いを見て昼食を取ることにした。今朝アルディアンが淹れてくれたエーテルブルームティーの水筒を取り出し、コップに注いだ。透明な鈴の音が森中に響く。共鳴するように、梢で葉擦れの音、そして鳥の声が聞こえた。

 一口、ゆっくりと啜った。まだ温かかった。革の鞄からパンを取り出す。切り込みには光茸のソテーを挟んであった。紙包みを解き、大きな口でかぶりついた。光茸の香りが鼻を抜け、ようやく自分が空腹だったことを知る。二口目からは手や口の動きが止まる隙すらなく、ほとんど一息でパンひとつを食べ切ってしまい、最後にまた、ゆっくりとエーテルブルームティーを啜る。体力がみなぎるのがわかった。

「魔力より、まずは体力」

 食事を終えると、リオンは時計を見る。循環水時計と呼ばれる時計で、真昼のうちはただのガラスの透明な球体だが、日暮れが近づくと中の水が青みがかってくる。今日中に帰ろうと思うならばもう出なければならない。まだ水は澄んでいたが、リオンはその微かな青を見逃しはしない慧眼の持ち主だった。

「さあ、急がなきゃ」


 オークは闇を好む。明るいうちに祠の近くにたどり着いたのはリオンにとって幸いだった。住処とおぼしき崖の中腹にある穴の入り口には、これ見よがしにクリスタルがちりばめられていた。見張りがいる様子はない。今はまだ眠っているはずだ。結界で封じてしまえば、オークを穴の中に封じることができる。

「オークといえども飲まず食わずでは長くはもつまい」

 リオンは祠へ近づく。跪き、アルモニウスへの誓いをあらためて唱えた。

「アルモニウス・エーテリア・プレギュー、トレメリー・ルナ・ヴィータリーン、アル・マギーク・イー・プリズマティコー、シンクロニス・コ・ナチュラー・ポトエントィアエ」

 全身に魔力がみなぎっていく。暴発を防ぐには、ただ力への欲望を自制心によって抑えこむ以外になかった。心を静かにする。暗い水の底に沈むように、呼吸を、心拍を、全身の筋肉を、毛穴のひとつひとつまで、沈黙させる。

「ふぅー」

 リオンは長く息を吐き、立ち上がった。大丈夫、抑えられている。そう思いながらも、懐のクリスタルに自らの手が伸びていることに気づく。やはりここでもアルディアンに頼り切っていた。リオンは懐に手を入れ、クリスタルを取り出してじっと見つめる。それを革の鞄の中へとしまった。

 周囲をあらためて見渡した。祠の周りは樹々でぐるりと囲まれていて、オークがどこかに隠れていないとも限らないと思った。慎重に、祠の裏手にあるオークの住処へと近づいていく。入り口に立つ。ここに来て初めて、中にオークの気配を感じた。一体、二体、三体はいるかもしれない。魔力を制御しながら相手にできる数ではない。

「セイルド・エクリプス」

 リオンは結界の呪文を唱えた。白い光が入り口に蜘蛛の巣のように絡みついて蓋をかたちづくっていく。複数の光が交差し、瞬く間に入り口が塞がれていく。最後に光が中央に集まると、一瞬にして消えた。封じた。リオンがそう思った瞬間、ガラスが割れるような甲高い音が周囲に鳴り響いたかと思えば、入り口の封印が砕け散った。

「えっ」

 リオンはなにが起こったのか理解できず、その一瞬、その場に立ち尽くした。入り口の周囲にちりばめられたクリスタルが光っているのに気づく。

「くそ、結界返しか!」

 ごおおっと穴の奥からオークの唸り声が聞こえた。あの音で目を覚さないわけがない。だが、どうしてオークが結界返しなんて魔法を知っているのだ。しかもあたかも魔法使いが来ることをあらかじめ知っていたかのように。なにかがおかしい。どうして。誰が。

 そんなことを考えている暇などなかった。一日で終わる、そんな単純な話ではない。とにかくこの場からすぐに遠ざからなければならない。リオンは小声で悪態をつき、崖の中腹から跳び退いた。……つもりだった。足を踏み外したリオンは祠へ向かって崖を落ちていった。

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