第90話 告白

 その部屋に通された瞬間、ミモザはなぜレオンハルトが店を変更したのかを理解した。

 完全個室である。

(これはやべぇ)

 密談のための部屋なのかなんなのか、内装自体はなんの変哲もないオシャレな高級レストランだが、扉は入ってきた所一つきりである。後は分厚い壁で覆われており、一面だけがその圧迫感を軽減するようにはめ殺しの窓だ。その窓の向こうも庭のようなスペースが作られているが、それはあくまで観賞用でその奥はすぐに壁になっている。

 つまり、逃げ場がない。

 扉に向かって駆け出した瞬間に彼なら背中を切り付けることが可能だろうし、そもそも逃げ出す隙などレオンハルトは作らないだろう。

(これは間違いなく……)

 殺人事件が起きる。

 いや、さすがにこんなに犯人もろわかりの状態で殺しはしないだろうが。

 逃げ出すことも出来ずにミモザは恐る恐る案内された席へと座る。

 店員が礼をして退出するのを見送ってから、対面に座るレオンハルトは「さて」と口を開いた。

「それで? 話というのは何かな?」

 彼が腕を組んで微笑む。

 にっこり。

 さらりと波打つ藍色の髪がその動きに合わせて流れ、片方しか見えない黄金の瞳がこちらを射抜いた。

 その表情は格好だけは笑っているが、全然笑っていなかった。


「ええーと、あのですね」

 ミモザは緊張の面持ちで切り出した。

 冷や汗がだらだらと流れる。からからに乾いた口内を潤すためにミモザはグラスの水を少し口に含んだ。

「レオン様に、告白しなくてはならないことがありまして」

「……ふむ」

 レオンハルトは難しい顔を作ると、腕を組んだ姿勢のまま目を瞑って押し黙った。

「れ、レオン様?」

 それにミモザは動揺する。内容を伝える前からなんだか雲行きが怪しい。レオンハルトはわずかに首を横に振った。

「いや、詐欺か殺人かどちらだろうと思ってね。窃盗ではなさそうだ」

 犯罪の心配をされていた。

「お、思っていたよりも僕に対する信頼が低い!」

 ミモザは地味にショックを受ける。

 そんな彼女にレオンハルトは目を開いて腕組みを解くと「大丈夫だ、ミモザ」と神妙に言った。

「適当な山を買うから遺体はそこに埋めよう」

「殺人に確定してる!」

 そして隠蔽に協力的である。

 ミモザは思わず叫んだ。

「そういう罪の告白ではないです!」

「……なんだ、そうか?」

 レオンハルトは首を傾げる。

「ならなんだ」

「……えっと」

 冗談だったのか本気だったのかがわからない。

(たぶん本気で言ってたな、これ)

 ミモザはどっと一気に体の力が抜けた。

「えーーとっ」

 ついでに話そうとしていたことがすべて吹っ飛んでぐだぐたになる。

「えっとですね、告白、そう、告白しなくてはならないことがありまして……」

「ああ」

 レオンハルトが軽く頷くのに勇気をもらって、ミモザは口を開いた。

「もしも、僕に『未来の記憶』があると言ったら、レオン様は信じてくださいますか?」

 二人の視線が絡む。彼は訝しげに眉を寄せた。

「『未来の記憶』……?」

「ええ、そうです」

 ミモザは頷く。

 ミモザは決心したのだ。彼の秘密を暴く以上、ミモザの秘密も白状しようと。

 彼女はその湖のような青い瞳でじっとレオンハルトを見つめた。

「僕には、『今の人生を送った僕の記憶』があるのです」

「……ややこしいな」

「えっと、すみません、説明が下手で……」

「いや、いい」

 レオンハルトは片方しか見えない黄金の瞳で静かにミモザを見据えて言った。

「続けろ」

「……はい」

 そのミモザの言葉を一笑に伏す気のない真剣さに、彼女は唾をごくりと一つ飲み込んだ。

「僕には、僕のこれからの人生の記憶が知識としてあるのです」

「それはつまり未来がわかると言うことか」

「はい」

「ふむ」

 レオンハルトは思案するように顎に指を当てて視線を斜め上へと向ける。

「にわかには信じがたいな」

「そうですよね」

「もしも君に本当に未来がわかるなら……」

 レオンハルトは思案しながらゆっくりと言葉を続ける。

「ステラ君が起こした事件をすべて事前に知っていたということか?」

 ミモザは言葉に詰まった。

「ええっと、それは……、知らなかったというか知ってたというか……」

「はっきりしないな」

「えっと、すべての記憶があるわけじゃなくて、抜けてる記憶があるというか」

 レオンハルトは眉をひそめた。

「不完全なのか」

「はい」

 彼は再び何かを考え込むようにしばし押し黙り、静かに口を開いた。

 その黄金の瞳が、ひたりとミモザを見据える。

「俺と出会うことは知っていたのか」

 その質問の重さにミモザはあえぐ。

「えっと、はい、いいえ」

「どっちだ」

 曖昧な答えに不機嫌そうに彼は唸った。ミモザは慌てて捕捉する。

「レオン様と初めて出会った時は、いずれ会うことは知っていましたがあのような出会い方だとは知りませんでした」

「……弟子になったのは?」

「ええーと、その時は知らなくて、後からその記憶がですね、出てきて……」

 ミモザの説明にレオンハルトの目が段々と呆れたように半眼になっていく。

「アベルが石を投げて追いかけ回してきた時、俺が駆けつけることは知ってたのか?」

「………知りませんでした」

 彼は盛大にため息をついた。

「何もわかってないじゃないか」

「わ、わかってることもあったんですよ!」

 ミモザは思わず声を張る。

「ただちょっと、ちょーっと思い出すのが後からだったり、足りない記憶があってその場にならないとわからないことが多いだけで!」

 レオンハルトは呆れたように椅子に背を預けた。

「それをわかってないと言うんだろう」

「うう……」

 ミモザは拗ねる。

「違うんですよ、わかってることもあるんですよ、事前に知ってたこともあって……」

「例えば?」

「例えばー、試練の塔で銅の祝福ばっかりになることとか」

 レオンハルトは無言で顎をしゃくる。続けろということだろう。

「えっと、お姉ちゃんが金の祝福を取る可能性が高いこととか、強いってこととか、お姉ちゃんがいろんな男性と仲良くなる可能性があることとか」

 こうして話してみるとなんにもわかっていないように聞こえる。

 ミモザは慌てて弁明する。

「いや、違うんですよ、ちょっと元々の未来とずれがあって、いや、僕の行動が違くなったからかなんか違うことが多くて予想できなくて!」

「つまりわかってないんだな?」

「わ、わわ、わかってることもありますよ……」

「それをさっき聞いたのにろくに……」

「僕が殺されることとか!」

 レオンハルトの目が驚きに見開かれる。勢いよく言ってからミモザはしまったと口を押さえた。

(もっとちゃんと言うつもりだったのに)

 しかし後悔してももう遅い。一度口から放たれた言葉は戻らないのだ。

 レオンハルトは深く深くうなるような声を出した。

「それはどういうことだ」

「えっと、そのですね」

「どういうことだと聞いている」

 言い逃れは許さないと殺気立った視線がミモザに突き刺さる。ミモザはふるりと身を震わせた。

「えっと、そのまんまの意味で……」

「誰にだ」

 レオンハルトの黄金の瞳が鋭くミモザを射抜いた。

「誰に殺される?」

 そのレオンハルトから放たれる静かだがおどろおどろしい威圧感にミモザはぐぅ、と喉を鳴らした。

「そ、それがわからないんです……」

「は?」

 侮蔑するような視線が辛い。

「わ、わからないから困ってるんです!」

 わっと叫ぶミモザに、レオンハルトは一気に体の力を抜いた。そして疲れたように眉間の皺を揉む。

「やっぱりなにもわかってないじゃないか」

「死ぬことはわかってるんですよ」

「信憑性がない」

 言い捨てられてミモザはうっと言葉に詰まる。それはそうだ、証拠など何もない。

 その時が来てミモザが殺されたら立証できるかも知れないが、それでは意味がないのだ。

 俯くミモザに、しかしレオンハルトは

「だが、君がそのような意味のない嘘をつく人間ではないのは知っている」

 と続けた。ミモザは弾かれたように顔を上げる。レオンハルトは疲れたようにため息を吐くと、「状況を整理しよう」と言った。

「君は何者かに殺される。それで? 他に情報はないのか?」

「信じてくださるんですか?」

「信じてはいけないのか?」

 当たり前のような口調でそう問われて、ミモザは首を強く横に振った。

「いいえ」

 噛みしめるようにミモザは言う。

「いいえ、信じてください」

「ああ、君がそう言うなら信じよう」

 レオンハルトは苦笑した。

「俺は君のことを、疑うつもりはないよ」

 その言葉にミモザは、

「申し訳ありませんでした!」

 勢いよく頭を下げた。

 これからミモザはレオンハルトがミモザを殺した犯人ではないかと疑ったことを白状しなくてはならなかったからだ。

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