第8話 正統派ヒーロー、改め、ダークヒーロー
チロを構える。そのまま大きく振りかぶると、目の前にいる敵へと向かってー……、
(違う……っ!!)
直前でミモザは理性を取り戻した。しかし振りかぶった手の制御がきかない。目の前の景色がチカチカと赤と白に明滅を繰り返す。
「……っ、お前は僕のものだろうが……っ!!」
あまりの怒りにミモザは怒鳴っていた。その瞬間、身体のコントロールがミモザの手の内へと戻る。
「うんん……っ!」
唸る。モーニングスターメイスの無数にある棘のうちの一つが振った勢いに合わせて槍のように伸び標的を突き刺そうとするのをーー、
直前でその軌道を無理やりずらした。
「……っ」
息を呑む。棘はレオンハルトの脇に生える木を貫いた。
それにレオンハルトはわずかに眉をひそめただけだった。おそらく直前で軌道が変わり、自身に当たらないことを悟ったのだろう。微動だにせず、けれど油断なく剣を構えて立っていた。その身体からは適度に力が抜けており、どこに攻撃を仕掛けてもすぐに対応されてしまうであろうことが素人のミモザでもわかった。
その場に沈黙が落ち、膠着状態に陥る。
ふっふっ、と荒い息を漏らしながら、ミモザは身体を支配しようとしていた狂気が引いていくのを感じていた。
「君はーー、」
レオンハルトの声にびくりっ、と身をすくませる。
「ち、違うんですっ、いや、違わないんですけどっ、違くてっ、あの、襲うつもりなんてこれっぽっちも……っ」
そこまで半泣きで言ってから、棘がまだ木に突き刺さったままなことに気づき慌ててそれを戻す。
「あのっ、ごめんなさいっ!!」
そのまま敵意がないことを示すために頭を深々と下げた。
顔を上げられない。
(どうしよう……!)
涙が溢れた。
(怖い)
アベルなど比較にもならない。そこには圧倒的な強者がいた。
その気になればミモザのことなど赤子の首をひねるように殺すことができるのだと、本能でわかる。
(いや、おそらく殺されはしない)
心の中で必死に言い聞かせる。殺されはしない。相手は聖騎士である。殺人鬼ではない。
けれど捕まってはしまうだろう。または処置としてチロを取り上げられてしまうかも知れない。
守護精霊との接続を切り離すことは原則禁止だが、狂化個体に関しては適切な処置として行われることがあった。
「ふむ、自力で押さえ込んだか」
その声音には面白がるような感心するような響きがあった。彼はそのままミモザの近くに散らばる野良精霊の遺体を見て目を細める。
「いい腕だ。教会に引き渡すのは惜しいな」
その言葉に思わずミモザは顔を弾かれたように上げる。
その顔は恐怖と涙でぐちゃぐちゃだ。
彼は悠然とミモザを見返すと、顎に手を当て思案するように首を傾げた。
「君、一生その狂気と付き合う気はあるかい?抑え続ける自信は?」
にっこりと微笑んで、彼はまるで明日の天気でも尋ねるような調子でそう問いかけた。
その笑顔はとても爽やかで整っているのに、ミモザには何故か悪魔の微笑みに見える。
しかしこの悪魔に気に入られなければ未来がないことだけは理解できた。
「あります!」
食い入るように答える。
「……素直に教会で『処置』を受けた方が楽だぞ。一生自らの業に振り回されて苦しみ続けることになる」
「それでも……」
ぐっ、と唇を噛み締める。
「それでもいいです。自分のこの、感情を手放すくらいなら」
きっとチロを手放せばそれと引き換えにミモザはこの憎しみも妬みも投げ出せる。
しかしそうした時のミモザは果たしてこれがミモザ自身であると自信を持って言えるだろうか。
チロはミモザ自身だ。ならばチロを失ったミモザはもう元のミモザではないだろう。
嫉妬も報復も、元々愚かな選択なのは重々承知だ。
「いいだろう」
レオンハルトは満足げに頷いた。
「見逃してやる。君は自由だ」
その言葉を聞いた途端、ミモザの体から一気に力が抜けた。しかし疑問は残る。
「……なぜ、」
「わからないか?君にならわかるはずだ」
「……?」
そう言われてよくよく目を凝らす。レオンハルトは何も隠すことはないというように剣を翼獅子の姿へ戻すと両手を広げてみせた。
その姿はどこからどう見ても愛想の良いただの美形だ。
立っているだけできらきらしい。
けれどミモザは歪みにも似た違和感を覚えた。
「あなたは、」
「うん?」
「あなたも、狂気に囚われているのですか?」
肯定するように彼はにやり、と笑った。金色の目が肉食獣のような獰猛さで輝く。
そしておもむろに右目を覆う前髪を手でかきあげた。
「……あ」
そこには右目全体を潰すように火傷のような傷跡があった。まつ毛もないその右目の瞼がゆっくりと開かれる。
ぎらぎらと輝く紅の瞳が真っ直ぐにこちらを射抜いた。
慌てて翼獅子を確認する。しかし彼のオーラはまばゆいばかりの白色で、特に黒い塵のようなものは混ざっていない。
しかしそれなのに何故かわかる。目の前の彼が自分と同類なのだと。
そこにはシンパシーのような運命共同体に出会ったかのような何かが確かに存在していた。
「これをやろう」
差し出されたのは彼の髪を結っていたリボンだ。黒色のビロードで出来たそれは黄色く透き通った石と、それを守るように描かれた黄金の翼獅子の刺繍がされたいかにも高価そうなものだった。それを外した途端に彼の翼獅子からは黒い塵が濃密に噴き出し、その瞳が赤く染まる。
ミモザはその光景に目を見張った。
彼は苦笑する。
「これについている宝石は実は魔導具の一種でね。幻術を見せる効果がある。大したものは見せられないが狂化の兆候を誤魔化すくらいの効果はある」
ミモザは戸惑い、逡巡した。正直に言えば喉から手が出るほど欲しい。これがあれば今後の憂いが大きく減るのは間違いなかった。けれど、
「でもこれがないと貴方が……」
「ああ、俺は家に帰れば予備がもう一つあるからいいんだ。それよりもこれがないと君はすぐにでも捕まってしまうよ」
どうにも詐欺にも似た怖さを感じる。
しかし悩みながらも結局ミモザはおずおずと手を伸ばしてそれを受け取った。
その様子にレオンハルトは目を細めて微笑む。
「いいこだ。これがあれば同じように狂化した相手以外は騙せるだろう。狂化した者同士はなんとなく感じ取れてしまうのだよ。困ったことにね」
「……どうしてこんなによくしてくださるのですか」
「君には才能がある」
間髪入れずに言われた言葉にミモザは目を見開いた。
「君は精霊との親和性が高いな。それは精霊騎士を目指す上ではとても素晴らしい才能だ。そしてその上で狂気に引きずられない意志の強さがある。正直感情のままに狂気に飲まれるようなら教会に引き渡すつもりだったよ。けれどコントロールできているなら誰に迷惑をかけるわけでもない。わざわざ取り締まる必要性を感じないな」
「………」
その言葉を聞きながらもミモザの疑心暗鬼は収まらなかった。それをレオンハルトも察したのだろう。「そう警戒してくれるな」と苦笑する。
「……まぁ、共犯者の優遇だよ。俺も人間だからな。判断基準はわりと不公平なんだ」
そう告げると彼はミモザを安心させるようにおどけた仕草でウインクをしてみせた。
「では、俺はこれで失礼するよ。せいぜいバレないように気をつけるんだな、検討を祈る」
パッと手を上げて颯爽と身を翻す姿は潔く、どこまでも爽やかだ。
しかしその身と守護精霊から噴き出す濃密な闇の気配がそれを裏切って禍々しい。
「え、えっと……」
ミモザは焦る。
彼は恐ろしい。自分の命を簡単に脅かすことのできる存在への恐怖は拭えない。ーーけれど、
「待ってください!!」
気づけばミモザは彼を引き止めていた。彼は怪訝そうな顔をして振り返る。
(……う、)
ミモザなど比較にならないほどの濃密な黒い塵の濃度と威圧感に身がすくむ。
「あ、あの……」
ごくり、と唾を飲む。恐ろしい。恐ろしいがこれを逃したら、きっとミモザに次のチャンスはない。
「ぼ、僕を貴方の弟子にしてくだひゃいっ!」
ミモザは盛大に噛んだ。
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