第36話 重なり合う運命の糸

視覚障害者情報提供施設【ブルーベリー】では、宮守結子がソワソワしていた。


「ねぇ、今日、杏菜ちゃんと約束してたんだけど、来ないの? ヘルパーの堀込さんも休みみたいだし」




 ソファに座り、足をぶらぶらさせながら、膨れっ面の結子は、いつもいっしょにいるヘルパーの坂本淳子さかもとあつこに声をかけた。




「結子ちゃん。仕方ないでしょう。家庭の都合で用事がある時もあるのよ。


 残念だけどね」


「えー、つまんないなぁ」


(雄輝くんに連絡しないと行けなくなったって……)




 本当は、今日は杏菜とともにお目当ての声フレンドで知り合った友達と


 会う約束をしていた。突然の変更に結子は仕方なく、相手の雄輝という男子にお断りのDMを送った。




「あ、結子ちゃん。今日、杏奈ちゃんとお出かけはできないけど、視覚障害者の方にぜひ来てくださいっていうイベントがあるんだけど、行ってみない? 実は、ここの施設の人行ける人みんなに招待されてて、お知らせするの忘れてたわ」




 施設長の遠藤尚子が、事務所から出てきて、近辺の利用者に声をかけた。




「え、施設長。急ですね。前からわかってたんじゃないですか?」




 ヘルパーの坂本は目を丸くしていた。




「ごめんなさい。連絡忘れです。送迎バスの手配は連絡済みですから。


 もし、都合が良い方は午後1時発ですので、バスに乗ってくださいね」


「もう、施設長はいつも忘れたって言って、ギリギリまで教えてくれないんだから。スタッフは困ってしまうっての」




 小声でブツブツと話す坂本に、結子は肩をポンポンと触れた。




「まぁまぁ、悪気はないから。あの施設長。ただ、忘れているだけだから」


「結子ちゃん。それ言ったら、施設長失格でしょう?」


「ここの施設長をつとめるのはあのくらいがちょうどいいの。厳しいのはちょっと困るから」




 どこか達観してる結子は坂本をなだめた。




「確かにそうかもしれないね」




 イライラが和らいだ。




「どこに行くのかな。行ってみようかな、私も。用事がなくなっちゃったし」


「そうよ、結子ちゃん。私もついてくから」


「当たり前よ、坂本さん。今日は、私の担当坂本さんなんだから」


「そうでした。んじゃ、部屋から荷物持ってこよう」


「うん」




 結子は、外出が久しぶりだということもあり、ドキドキしていた。




*****




その頃の笹山杏菜は、冷蔵庫の野菜室からバナナを取り出して、おもむろに食べ始めたが、一口食べて受け付けなかった。食欲が湧かない。部屋の中には杏菜が1人。湊が部屋を出て行った。




ヘルパーもいない。今日はお願いしていないことになっている。




1日くらいだったら、1人でどうにか過ごせるだろうと、自室のベッドの上、


ふとんの中にくるまって、ずっと眠っていた。


今は、何も考えたくない。




ただ眠ることだけだった。




結子との約束なんて頭には入っていなかった。




▫︎▫︎▫︎




 スーツ姿のまま、黒髪でビシッと格好を決めていたが、特に仕事をするわけじゃない。教授のサポートとして、本当は開発した商品のお披露目会で


司会進行を頼まれていたが、それさえもやる気を失せた。




たくさんの人が行き交う街中の交差点、路上に転がる空き缶を蹴飛ばして、行くあてもなく、ただただ歩いていた。




 金髪の頃はホストもしていたこともあっていろんな人から声をかけられていたが、今は、黒髪でどこのサラリーマンなのかと思われているのか、誰も声をかけない。




 一緒に働いたことのあるホストのメンバーが通りかかっても、気にされない。あえて、こちらから声をかけることはしなかった。


金髪の影響力に思い知らされる。






湊は、ふとひらめいて、ある人のところに行こうと決めた。


インターフォンのチャイムが鳴る。




「はーい。こんな時間に誰だろう」




 インターフォンの画面には誰もうつっていない。




「ミカ? 何してるの?」


「ゆうくん、ちょっと見てくるから待ってて」




 小柄な犬のような男がミカに寄り添う。




「うん。わかった」




 玄関のドアを開けた。ミカは見てすぐにドアを閉めようとすると


 足で押さえられた。




「な、な、何してるのかな?」




 ミカは恐れながら、小さい声で言う。




「ミカさん? 俺に貸しがあるの覚えているかな」


「な、何のことかしら?」




 ぷるぷるとドアをおさえる手が震えている。湊の足ががっちりと閉まらないように必死だった。




「お邪魔しまーす」


「え? どなた?」


「ごめんね、ゆうくん」


「ん? どういうこと? 男の人だよね」


「そうです。男の人です」




 ゆうは、湊を指差した。ミカはがっかりした顔をして、うなだれた。




「なんで、うちの中に入れるの? お知り合い?」


「え〜えっと……。そのー」


「知り合いですよ!かなり密接な。なぁ? ミカ。借りがたくさんあるもんな」


「……」




 ミカは、杏菜に傷を負わせた挙句、逮捕されずに逃げた過去がある。


 湊は、近づかないことを理由に目をつぶった。その借りがあった。


 杏菜の傷だけではなく、当時のホストクラブの損害賠償金を負担したのは、湊だったのだ。




「ミカ? 教えてくれる?」


「ゆうくん、何を言わずにこの人の言うことを聞いて。お願いします」


「大丈夫、ミカを取って食いはしないよ。2人はラブラブで結構。ただ、俺を住まわせてもらえたらそれでOK。部屋空いてるだろ? 1つ」


「え? 居候ってこと?」




 ゆうは突然来て、居候宣言されてびっくりしないわけがなかった。




「湊、突然来て急すぎるよ、何もかもが。今、私、ゆうくんと一緒に


 住んでるからさ」


「どーせ、そいつもホストだろ。」


「?!」


「違う?」


「ちょっと違いますね。元女性用風俗店で働いてました。」


「ふーん、あいつと一緒か。セラピストだっけ?」


「そうです。それで知り合いました。もうその仕事は辞めましたけど」


「それで、ミカのヒモか。金は持ってるもんな。ミカは」


「ヒモとは失敬な。ロープです!」


「ズブズブじゃねぇか」


「てへへ……」




 なぜか照れている。




「ゆうくん。湊のことはいいからあっち行こう」


「ってことは部屋を使っていいってことね。さんきゅー」


「仕方ないからね。あの時のお礼も兼ねてです」




 ミカは、舌を出して、2人はリビングのソファに座った。湊は、慣れた手つきで奥にあるゲストルーム専用の部屋に入って行った。投資家でもあるミカはかなりの金持ちだった。持っている部屋も広い。それをわかって、ミカの家を訪ねた。一時的な避難だ。




 杏菜と住む部屋から引っ越しするには手続きも要する。


 とりあえず今はお互い冷却期間だと思っていた。


 ふわふわの大きなキングベッドにどかっと寝っ転がった。


 1人の時間をこんなに有意義に使ったのはいつぶりだろう。






 スマホの電源を切り、湊は現実から離れて、そのまま眠りについた。


 何も考えなくていい夢の世界が心地よい。

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