第十六章 災厄と希望の匣

百三十四話 半月

 漣さまのお部屋に来てから、十五日目の朝を迎えた。

 半分の月が回ったわけで、大海寺(だいかいじ)で解呪の法を受けている翔霏(しょうひ)のことも、気になるっちゃあ気になる頃だ。

 私にできることはないので、文字通り祈るのみなんだけれどね。

 男世界の夜の事情に関しては、椿珠(ちんじゅ)さんたちがうまく探ってくれると信じよう。

 昨日、間者の乙さんと話したときには、そっち方面の情報戦術も授けてある。

 細工は流々、あとは仕上げをご覧じろ。

 と、言っていいのかどうかわからないくらい、私の予測も不確定である。


「まだ、欠片(ピース)が足りない」


 物品庫の掃除を口実に、今後の悪だくみで使えるものを物色しながら、私は呟く。

 パズルが完成するためには今一つ、もっとも重要な部品が欠けていた。

 いったい誰が、なぜ、なんのために?

 翠さまに呪いをかけ、眠り姫にさせなければいけなかったのか。

 そこに至る道筋はまだ暗中霧中で、照らす光さえもおぼろげなのが現状なのだ。

 私が苦し紛れに策を弄したところで、暗闇の中で拳をあてずっぽうに振り回しているに過ぎない。


「おお、麗女史。こちらにいると博(はく)女史から聞きましてな」


 もやっとしたまま倉庫漁りをしてたら、来客があった。

 とても偉い宦官の、馬蝋(ばろう)総太監(そうたいかん)である。

 どしんとした体型に、相変わらず福助のような穏やかな表情で笑っていた。


「こんにちは。中書堂のことでなにかありましたか?」


 私たち後宮の女は今現在、東庁(とうちょう)の男性官僚とコミュニケーションを取れない。

 それがために相談事のメッセンジャーとして馬蝋さんが来たのかな、と私は思ったけれど。


「その話もないわけではございませぬが、少し拙(せつ)と一緒に、市場までお遣いに付き合っていただけないものかと思いまして。博女史には了承をいただいております」

「お買い物ですか。わかりました。ご一緒します」


 おそらくは新生中書堂の完成を前にして、必要となる小物の準備だろう。

 わざわざ、総太監の場蝋さんが市場へ買いに行くのかなあ。

 なんて疑問は、市場での買い物の合間に、豆入りモチを食べ歩きしていたら、いつの間にか消えた。


「拙は河旭(かきょく)の生まれ育ちでしてな。銀府(ぎんぷ)も土木府(どぼくふ)の市場も、我が庭のようなもの。ここに来るたび、幼い日のことを思い出します」


 土木府と言うのは大路を挟んで銀府の反対側にある、名前の通りに建築土木関係の業者がひしめく公設取引所だ。

 要するに公共事業の工事を請け負う業者さんの窓口であり、中書堂の再建工事も土木府に出入りしている商人や職人が中心となって進めている。

 銀府より若干、治安が悪いことに関しては深く語るまい。


「馬蝋さんはどんな子どもだったんですか?」


 必要品の購買は終わったようなので、茶店の奥まった席で一服を楽しみながら、世間話に興じる。


「家で学問をしている風を装い、市場に遊びに出るような、不良息子でありました。今となれば恥かしい限り」

「あはは、それで家の人にバレなかったんですか?」

「近所の同じ年頃の子に菓子を握らせましてな。おれの振りをして机に座っていろと、影武者に仕立てたのです」

「面白すぎます」


 すぐ発覚するだろ、そんなん。

 子どもってそういうことするよね。


「もちろん、後でさんざんに父に打擲(ちょうちゃく)されました。今は枯れた身でありますが、青春というものがあったとすれば、あの頃でしょうなあ」


 今ではこんなに福福としてるけれど、若い頃はやんちゃ少年だったんだねえ。

 いいよいいよ、そういう話、大好き。

 まだ漣さまのお部屋に戻るには十分に時間がある。

 今日はのんびりと馬蝋さんの思い出話を聞いて過ごすかと思っていた、そのとき。


「おっと、約束していた御仁がいらしたようです」


 濃いめのお茶をゆっくりと嚥下したのち、馬蝋さんが唐突に言った。

 周囲を確認すると、確かに店の入り口に立って、客席をきょろきょろと眺めて確認している男性がいる。

 あのお兄さんは、馬蝋さんとこの店で落ち合う予定だったのかな?

 私がいてお邪魔にならないかしら、などと思っていたのだけれど。


「……とりあえず、五体無事そうではあるな」


 その男性は私たちの席の前に来て、目深に被っていた旅人風の鍔広帽子を外し、その顔を見せた。

 凹凸の少ないしょうゆ顔、もみあげから薄く顎に繋がる、整えられた髭。


「げ、玄むっぐ!」


 思わず叫びそうになった私の口が、彼の掌で塞がれた。


「お前の声は大きすぎる。少しは声を殺して話すことを覚えろ」


 苦々しげに忠告して席に腰を下ろしたのは、そう、翠さまの兄であり、今や角州(かくしゅう)左軍正使を務める、司午(しご)玄霧(げんむ)さんだった。

 いつぞやの砦で会った以来だし、そのときはゆっくり話すことができなかったので、嬉しいよぉ~!

 玄霧分が足りなかったのよ最近、マジで。


「お、お仕事で河旭に来るついでで、来てくれたんですか?」


 戒められた通りに私は小声で訊ねた。

 玄霧さんは注文した蒸留酒の発酵茶割りをこくりと一口含んで、軽く首を振る。


「お前に会いに来て、今さっき着いたばかりだ。仕事はそのついでだ」

「え、私に」


 や、やめてよねそういうこと言うの、ドキッとしちゃうでしょ。

 小娘からかって楽しいのかよ、良い歳した妻子持ちの旦那さんが。


「拙がいては、話しにくいこともおありでしょう。先に戻っておりますので、ごゆっくり」

「お、お疲れさまです」


 気を遣ってくれたのか、馬蝋さんは先に帰った。

 私を玄霧さんに会わせるため、わざわざ連絡を受けてセッティングしてくれたのか。

 玄霧さんと二人取り残された私は、彼が飲み物をゆっくりと口に運ぶのをただ、ボケッと眺める。

 度数の薄いであろう温かいお酒をちびり、ちびりと口に運び、玄霧さんは話し始めた。


「妹は、翠(すい)は、大海寺の僧の施した平癒の術の下にある。命に別状あるわけではないということは、お前も知らされておろうが」

「はい、飲み物を口にしたり、血色も良かったり、お腹の子にも異変はないという報告を受けています」


 そこに誤解はないようで、玄霧さんもウムと頷いた。

 しかしその先で語られたことは、私にとって新しい情報だった。


「翠本人と腹の子を守るために、寺の連中は念

のためにと、翠の命を『遅らせる』術を施した。どういうことかわかるか」

「す、すみません、よくわからないです」


 命を遅らせる、とは?

 死期を伸ばしたり寿命を長くしてくれるのだろうか?

 分からない私に、バカにする風でもなく、玄霧さんは丁寧にしかし端的に教えてくれた。


「人は、いや人ならずとも、生きるものは常に、生きるために力を消費している。失った力を補うために、飲み、食い、休むということは、感覚として理解できよう」

「それは、はい、わかります」



 要するにエネルギー、カロリーということだ。

 頑張って動いたら、その分余計にカロリーを摂取したり、たっぷり休まなければならない。

 逆を言えば、大した頑張らずにダラダラと一日を過ごせば、摂取するエネルギー、ご飯を食べる量も少なくて済むし、多少の寝不足が続いてもなんとかなるよね。

 半分ほど納得している私の顔を確認し、玄霧さんが続ける。


「人が生きるために費やす力を、術の力で最小限に抑えている、ということだ。そのために今の翠は、わずかな獣の乳や果物の汁を飲むだけで、衰えることなく生きながらえている。寝たきりだからこそ打てる手と言えるがな」


 あ、要するに新陳代謝を遅くして、基礎消費カロリーを抑えているということか!

 一般の成人なら、ただ生きているだけでそれなりに大きな量、だいたい1500キロカロリーを消費する。

 コンビニのおにぎりで換算すれば8~9個分くらいだ。

 しかし今の翠さまは、それをなんらかのおまじないで極限まで低くしているわけだね。

 え、でも。

 

「そ、そうなると、お腹の子は?」


 翠さまはそれで良くても、今の翠さまは二人分の命を運んでいるのだ。

 私の疑問に、玄霧さんは周囲をちらっと一瞥し、余計に声を潜めて答えた。


「死ぬるようなことはない。しかし、生育が遅くなる。生まれ出でるのは夏の予定だったが、早くても晩秋、遅ければ冬を越すかもしれぬ」

「そ、そんな……」


 翠さまベイビーに会えるのが、まだまだ先の話になってしまうのか。

 うううう、けれど、仕方ないのかなあ。

 そうしないと母子ともに命が危ないと判断したから、そうしているのだろうし。

 泣きそうな顔でお茶碗を抱えている私に、多少の逡巡を覗かせた顔で、玄霧さんが言う。


「お前もいろいろと悩んでおるのだろうが、俺も今、よくわからんのだ」

「どういうことですか?」

「なぜ俺は、このことをいち早くお前に伝えなければならんと思ったのか。自分でもはっきりせん。しかし、翠の赤子が遅れて生まれることになるだろうと知らされたとき、なにはなくとも、いち早くお前に知らせなければならんと思った。なぜだ……?」


 玄霧さんの格好を見れば、一人で急いで馬を駆けて、ここに来たのだということがわかる。

 そんな粗末な旅装に身を包んだ玄霧さんの、自問と懊悩は続く。


「そもそも、翠が倒れておるというのに、側にお前がいない理由がわからぬ。いくら参謀どの、いや、今は尾州宰(びしゅうさい)か、あいつの策と算段としても、お前は本来、翠の側にいるべきで、後宮の調べ物など、他のものにいくらでも任せられるだろう……」


 あ。

 玄霧さんに言われる今の今まで、私だって考えもしなかった。

 今まで私は、なぜそこに思いを馳せなかったのだろう!?

 脳と脊髄に、ビシャーンと電撃が降りた気がした。

 翠さまが倒れた混乱とその後のドタバタに流されるように、私は後宮に来た。

 けれど玄霧さんが言うように、本来なら私は、翠さまの側にいるはずだったのではないか。

 翠さまが無事に目を覚ましたその瞬間に、誰よりも早くおはようと言って笑いかけるために。


「ま、まさか」


 私は一つの仮定に辿り着いた。

 敵の目的は、翠さまの出産を遅らせることで。

 それは見事、達成されてしまっているのだ。

 ならばそれを仕掛けることのできるやつは、どこの、なにものだ?

 認めたくないけれど、私の想像の中に、確実に、いる。

 深く、嫌と言うほど、そいつを知っている。


「お前は、なにかわかったのか」


 渋い顔で訊く玄霧さんに、私は。


「……まだ、わかりません」

 

 半分だけ、嘘を吐くのだった。

 そう、まだわかっているのは半分。

 ああ、神さま。

 この想いが、真実でありませんように。

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