百二十九話 花園の棘

 私が厄介に巻き込まれているとしても、漣(れん)さまには関係のないこと、と言わんばかりに。


「うち、寝とったから知らんし。あんたらと紅(こう)ちゃんで勝手にやってえな」


 お祈りの後でそう言って、すべての処置を塀(へい)貴妃に丸投げした。

 今日は、小さな積み木をどれだけ高く積めるかにチャレンジしているようだ。

 いちいち話しかけるな、というオーラがぷんぷん出ている。

 想定の範囲内ですので、今さら驚きませんよ。

 と言うわけで、憂鬱そうな顔をした塀貴妃を中心に関係者が集まり、事情聴取である。

 皮切りに塀貴妃が話す。


「やったことは疑いもないこととして、どうしてこんなことをしたか、という話になりますけど」


 下手人の若い侍女を困惑の目で塀貴妃は見つめる。

 一方的に非難しているのではなく、まず事情を聞きたいという真摯な姿勢が滲み出ていた。

 そしてこの場にはひとつ、問題がある。


「欧(おう)美人は、まだいらっしゃらないのですか」

「主人は、朝がことのほか弱くございますれば……」


 孤氷(こひょう)さんの冷たい問いに、欧美人の部屋から来た別の侍女が狼狽して答えた。

 おそらくはこんなことをけしかけた指示者であろう欧美人が、話し合いの場に来ていないのだ。

 やった本人が怯えて泣いてだんまりを決め込んでいる以上、親分に登場いただかねば話が進まない。

 もっとも、彼女の来室が遅い理由にも、多少の心当たりがある。


「環(かん)貴人がおられない今、朱蜂宮(しゅほうきゅう)で第一の艶麗は私なの」


 欧美人がどうやら本気でそう思っているという噂話を、私はチラリと耳にしたことがある。

 大方、今も急に朝早く呼びつけられたせいで、化粧や衣服の合わせに必死なのだろう。

 確かに見た目はなかなか、いやかなり綺麗な人だけれどね。

 べっぴんさんが多い後宮の中で、そこまで突出しているかなあ、というのが私の感想。

 玉楊(ぎょくよう)さんほどの、美しさによる「圧」はないと思うよ。

 あれは調整アプデが必要なくらいのチートだ、チーターや、ビーターや。

 マジ世の中はクソゲー。

 私は可愛いのよ! と思い込む力は、女子として大事なことだけれどね。

 他人を貶めなければ、という前提。


「来るのが遅いってことは、自分たちに有利な言い訳を考えて、裏工作を今からでもしようと悪あがきしてるのでは」


 私が問いかけると、孤氷さんは「そんなバカな」と言いたげな呆れた顔で首を振った。


「南苑を統括されている塀貴妃がここにいるのに、これ以上どう小細工しようと言うのです」

「確かに。正義と公平はこの部屋にあり、です」


 塀貴妃は誠実な人だから、変に事実を捻じ曲げることはしないであろう。

 私たちがこのように、勝利を確信していると。


「みなさま、遅れて申し訳ありません」


 ちっとも悪びれていない声で、欧(おう)鈴風(りんぷう)美人が、部屋に入って来た。

 その顔には笑みすら浮かんでいた、そんな彼女は後ろに。


「なにか良くないことが、あったようですね」


 正妃殿下、素乾(そかん)柳由(りゅうゆう)さまと、その侍女たちを、伴っていた。

 ふっざけんなよ、オイイイイイイィィィィィ!?

 こいっつ、自分たちの立場が悪くなりそうな話し合いだからって、正妃さまに泣きつきやがった!!

 権威パワーで事実や責任の所在を有耶無耶にして、結論をグチャグチャにするつもりかよォォォォォォ!?

 正妃殿下は病み上がりのためか、少しやつれた顔をしている。

 乙さんが話していたように、復活はしたようだけれど、本調子でもないようだ。

 私が最初にお目にかかったときより、頬の肉が若干、削げているように見受けられた。

 下痢が続いたのかしら、なんて失礼な推測をする私。


「これはこれは、柳由さまにお越しいただくようなことでは。汚い部屋でまことに見苦しい限りでございます」


 恐縮しながら、塀貴妃が正妃さまに上座の席を奨めた。

 これで、昨夜に起こった刃傷沙汰の是非を問う主導権が、正妃さまに完璧に移ってしまった。

 単なるオブザーバーだとすれば、中心奥、欧美人の近くには座るまいよ。

 塀貴妃と侍女頭さんは、昨夜に南苑中庭で発生した事件のあらましを、過不足なく正妃殿下に説明した。


「指の跡が出ている以上、麗侍女の狂言ではありませぬ。仕掛けたものははっきりしているので、なぜこんな凶行に及んだのかと言う点が、焦点となると思われます」


 慎重な面持ちで塀貴妃が述べるのを、正妃さまはうんうんと静かに頷き。


「そんなに、麗が憎かったのですか? 知恵が回るという話を聞いて、嫉妬したのでしょうか」


 刃物を飛ばした若い侍女に向き合って、そう訊いた。

 おい!

 私とそいつの、個人的な怨恨に帰結させるんじゃねー!

 こちとらそんな簡単な話で終わらせるわけには、いかねーんだ!!

 歯ぎしりして目を血走らせる私の隣で、孤氷さんも忌々しさを隠さない顔をしていた。

 しかし、正妃さま相手にどう反駁していいものか。

 脳みそをこねくり回しながら顔を歪めていると。


「この子、少し癇癪持ちですの。ねえ、許してあげてくれないかしら? 幸いにも大した怪我ではなかったのでしょ」


 にやけた顔の欧美人が、いけしゃあしゃあとそう言った。

 翔霏(しょうひ)なら、反射的に机の上の花瓶で欧美人のドたまをブチ殴っていたと思われるほどの、腹の立つ顔と言い草だった。

 ぐうう、ダメだ、鎮まれ私の右手!

 こんなところでヤケを起こしては、翠(すい)さまが目覚めても合わせる顔がないぞ!!

 しかしそんな彼女らの言い分に、疑義を呈してくれた人がいる。

 塀貴妃だった。


「なにか意地悪したいとして、石や茶碗を投げつけるくらいならまだわかります。けれど、投げられたのは鋭い刃物なのです。目や喉元に刺さったらどうするのですか。鬱憤がたまっていた、かっとなったという話で済ませるわけにはいきません」


 正妃さまの顔色を窺いながらも、正しい調べと裁きを行おうとする塀貴妃の実直さが、私にはありがたかった。

 ピキッ、と顔を引き攣らせながらも、欧美人は余計な口を挟まない。

 徹頭徹尾、正妃柳由さまの後ろから石を投げる役割に徹しようと決め込んでるな、こやつめ。

 何人もの女の視線を受け、問い詰められ。

 はじめて、刀を投げた侍女が、まとまった具体的な釈明を口にした。


「え、えと、麗侍女は、素性も怪しいのに、お偉方の覚えがいいと言うだけで、あと、ええと、お役人のお兄さんたちの噂にもなってて、それでぇ、調子に乗って大きな顔をしているので、お、思い知らせ、あれ? あ、鼻っ柱を折ってやろうと思って、わた、私、あんなことを、ご、ごめ、ごめんなさい、許してください……」


 誰かに言わされてる感、満載じゃねーか!

 目もあっちこっち泳いでるし、言い淀んで噛みまくってるし、次に喋る内容をいちいち考えてるし。

 これが本心だと思うボンクラが、どこにいるんだ!?

 しかし座を支配している正妃さまは、この女に同情するように深く頷き。


「誰でもつい、魔が差してしまうことはありますもの。許してわかり合うことが大事ではないでしょうか。ねえ、麗、あなたもそう思わなくて?」


 そんなお花畑な台詞を、おホザきあそばされた。

 思わねーよ!

 玉楊(ぎょくよう)さんがいなくなった途端に、環家(かんけ)の隅をつついてイジメ抜いてるあんたが、それを言うのか!?

 もう私は、はらわたも脳みそも沸騰してひっくり返りそう。

 キレるのか、麗央那?

 ここでキレて暴れて、二度目の後宮生活を台無しにしてしまうのか!?

 ぶっちゃけ、その気になれば私、ここにいる全員を、毒の串で殺せる!!

 さすがにそんなことまではしないけどさ。

 怒りの矛先をどうしたものか、憤懣やるかたない気持ちをぐつぐつと滾らせている、そのとき。


「ごめんやっしゃー」


 袖を振り振り、頭を揺ら揺ら、腰をくねくねさせて。

 話し合いの場に、いきなり漣さまが割り込んできた。

 場にいる全員が「いや、お呼びでないんだけど、なにしに来たの?」と言う顔をしている。

 真面目な聴取や裁きにおいて、漣さまがいかに役に立たないと周囲に思われているのか、それが如実にわかる反応だった。


「漣さま、なにかご不便がありましたか?」


 孤氷さんが席から立ち、来訪の意図を窺う。

 部屋には他の侍女が詰めているわけで、不便などありはしないはずだ。

 孤氷さんから話しかけられても、漣さまは上の空で。


「あ、素乾の大妃(おおきさき)さんや。ごきげんよろしゅう」

「はい、ごきげんよう」


 にこやかに正妃さまと挨拶を交わされた。

 雰囲気から察するに、両者の関係は、良好らしい。

 って、いやいや、用がないなら、帰って?

 今、大事なお話の最中なの、わかってちょうだい?

 困惑する私をよそに、緩い表情のまま、漣さまは私に小刀を投げた侍女を見つめ。


「春にな、後宮で悪いことが起こるって、占いで出てん」


 先日に行われた、希春(きしゅん)の祭事の結果を、唐突に口にした。

 南苑の多くの妃、侍女が参加した儀式なので、その話は広く知れ渡っている。


「な、なにが言いたいのかしら、除葛(じょかつ)どの」


 睨みを向ける欧美人に、漣さまはこともなげに返した。


「あんたんとこの部屋で、ご不幸がなければええな。うち、今日のお陽さんにお祈りしとくわ」


 不吉なことを告げられて一瞬、欧美人はたじろぐ様子を見せた。

 部屋の空気をいくぶんか、ざわめかせて。


「二人とも、さっさと戻ってきいや。部屋にゴキブリがおんねん。他の子ら、怖がってよう退治せえへんのや」


 私と孤氷さんにそう言い残し、出て行った。

 お前らの話し合いより、ゴキブリ駆除の方が大事なんだ、とでも言うかのように。

 難しい顔で溜息を吐き、塀貴妃が言う。


「詳しい話はまた、後日にしましょう。柳由さまもわざわざご足労、ありがとうございました」

「いえ、私も元は南苑の女ですから。困ったことがあればいつでも言ってください」


 来ないでください、マジで。

 話を曖昧な霧の中に放り込めなかった欧美人。

 悔しそうに舌打ちして、震える侍女を小突きながら部屋に戻って行った。

 今に見てろよ、次は追究のネタをしっかり揃えて相手してやらあ。

 私たちも漣さまの部屋のお勤めに戻り、ゴキブリを始末したり、お祈りしたり、ご飯を食べて。

 その翌朝。


「欧美人は、南苑を出てご実家にお戻りになることに、あいなりました」


 宦官の銀月(ぎんげつ)さんが私たちの部屋に来て、そう教えてくれた。

 どうしてそうなった。

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