百二十七話 鎖符

 状況を動かすために、少し踏み込む必要がある。

 後宮に来て十日目の午前、私は塀(へい)紅猫(こうみょう)貴妃に、意を決して尋ねてみた。


「塀殿下も、鎖符(さふ)をお使いになられるのですか?」


 場所は塀貴妃のお部屋。

 不用品を物品庫に押し込みたいと話していたのを受けて、手伝いを申し出たのだ。

 やっぱり要らないもの、多いんじゃねーか。

 ま、物品庫の整理管理には私、一家言ありますのでね、とドヤ顔。

 塀貴妃は先の質問に特に怪しむこともなく、むしろ微笑を浮かべて、教えるように答えてくれた。


「ええもちろん。魔や招かれざる男を縛る符を、後宮の壁にも埋めていますよ」


 宦官と皇帝陛下以外の男性は、入っちゃいけないからね、ここ。


「壁に埋めたりして、使うんですか」

「そうね。あとは門の柱に貼り付けたり、床下に忍ばせたりも。害を為す相手に直接貼ってもいいのですけど、危急の際にそれは難しいでしょうね」


 話しながら塀貴妃は筆を執り、小さな紙片にさらさらと、鎖のような紋様を描いた。

 併せてその裏面には「直直(ちょくじょく)如言(じょげん)」の四文字を。

 軽螢(けいけい)が使っている緊縛呪術と、根っこは同じなのかな?


「はい、持って」

「え」

 

 そしてごく自然に、出来上がった鎖符をこっちに手渡す。

 塀貴妃はイタズラっ子のような、実にイイ顔をなさっていた。

 符を手に持たされただけでは、特に意識や体調の変化があるわけではないけれど。


「そのまま、立ち上がってみてください。できる?」

「はあ」


 促されるままに私は、よっこらせと椅子から身を起こす。

 なんの異常もなく、すっくと直立した私を見て。


「え、ど、どうして……」


 予想外の展開に、塀貴妃は言葉を失われた。

 え、私、なにかやっちゃいましたか?

 ただ椅子から立ち上がっただけですけど?

 私に鎖符の縛りがまったく効かない様子を見て、塀貴妃が問うた。


「麗、あなた、司午(しご)貴妃から呪詛破りの術法など、教授されたことがあるの?」

「いえ、まったくそんなことはありませんけど」


 記憶にある限り、私に呪いだ解法だという話を翠(すい)さまが詳しく説いてくれたことは、ない。

 翠さまはその分野のエキスパートであるらしいけれど、部屋付き侍女の仕事に必要ないことだと思っていたのか、私の前でそういった話をしなかったのだ。

 そのせいもあって今、私は分からないことだらけで、第二の後宮生活を送ってるのだけれどね。


「不思議ですね。元々そういう資質があったのでしょうか」

「今まで気にしたことすらなかったので、私にはなんとも」


 私から返された呪符を眺め、塀貴妃が首を傾げる。

 

「ちょっと、ごめんなさいね」

「にゃーん」


 塀貴妃は部屋で飼っている猫の背中に、鎖符を押し当てた。


「みゅう……」


 それまで軽快に部屋の中をうろちょろしていた猫ちゃんは、鎖符の効果なのか、四肢の力を失って四つん這いにその場に座り込み、大人しくなった。

 ふすー、と細い息を吐き、今にもすやすやと眠ってしまいそうである。


「えっすごい」

「普通は、こうなるのですよ」


 マジかよ、鎖符の効能、半端ねえな。

 って、私が普通じゃないみたいな言い方、やめていただいてもよろしいですか?

 目を細めて静かになった猫を見て私は、呪いの力で眠ったままの翠さまを思い出してしまう。


「私は八州の生まれじゃないから、効き目がないんでしょうか?」


 塀貴妃は私の解釈に首を振る。


「そんなことは関係ないわ。夷狄(いてき)を戒めるのにも鎖術は使うのですから、相手の氏(うじ)や育ちは問題になりません。効きやすい、効きにくいという若干の差はありますけど」

「あ、外敵から身を護るための術だし、そうなりますよね」


 身を守る術である以上、八州の外から攻めてくる敵や怪魔に対しても効果を出さなければならない。

 力を及ぼす対象が狭いわけはないのだ。


「中でも結界破りは特に強い力を必要とします。紐だって、結ぶのは簡単でも、解くのにはそれ以上の手間を要するでしょう?」

「確かに、硬くなっちゃった結び目を元に戻すのは、大変です」


 なるほど、術はかけるよりも、防いだり解いたりする方が余計なエネルギーを使うのだな。

 人をブン殴るのは楽でも、避けたり防御したりするのには技術が必要という話に似ている。

 だからこそ、翠さまのようにエネルギッシュな人が呪詛破りの権能に秀でるのだろうか。


「ん? 結界を、破る力?」


 翠さまの他に、その異能を強く発揮していた、エネルギーに溢れる人間を、私は知っている気がするぞ。

 そいつは長く生きた神聖な豹の怪魔の結界を、いともたやすく突破して、その身に刃を届かせていた。


「なにか、思い当たることがありましたか」

「あ、いえ、多分、気のせいです」


 覇聖鳳(はせお)を、この手で殺したから。

 やつが持っていた結界破りの強力な神威を、私が受け継いだなんてことが、あり得るのだろうか?

 それは、話ができすぎだよな。

 あいつの遺したものが、私のこの体に宿ってるなんてさ。

 考えただけでも、重雪峡(じゅうせつきょう)の雪山を思い出して寒気がするわい、キモいキモい。


「時間を取らせてしまいましたね。もうお祈りに行きましょうか」

「はい。いつもありがとうございます」


 その日も夕方の祈念をしっかりとみんなで勤める。

 毎日きっかり、似たような時間帯に中庭でお祈りをしていると、確かに春が少しずつ近付いてきているんだなあと言うことを、ほのかに実感する。

 刺々しく痛いくらいに冷たかった風にも、ふんわりと暖かみが混じりつつある。


「良い春にしないとな」


 問題は色々山積みだけれど、頑張るしかない。

 線香花火の種のように地に落ち行く夕陽を前に、私は誓った。

 その後、夕食後の時間。


「麗、すみませんが燃料庫に石炭を取りに行ってくれますか」


 先輩の孤氷(こひょう)さんからそう申しつけられた。

 部屋の暖房は耐火石で作られた壁付けストーブであり、薪でも木炭でも石炭でも、燃えるものならなんだって燃やせる。

 内部が二つに仕切られており、片方を燃やしている間にもう片方の掃除ができるという、非常に合理的な構造だ。


「わかりました。石炭だけでいいですか?」

「そうですねえ。では、せっかくですから燭台油もお願いします」


 燃料庫のある中庭へと、短距離のおつかい。

 外に出るついでなので、ストーブの中に溜まっていた燃えカスを燃料庫の脇にあるゴミ溜め穴に放り込む。

 カラになった四角いバケツに、燃料庫から石炭をもらって、油の詰まった竹筒もイン。

 そう言えば、秩父のおじいちゃんの家では、骨董品みたいなゴツいダルマ型のストーブを使い続けてたなあ。

 石炭ではなく、薪とか木炭とか、家庭ゴミを入れてたっけ。

 上におモチや干し芋を乗せて焼くのが、冬の楽しみだった。


「うう重い、寒い、そしておしっこしたい」


 ボヤきながら私は灯りの乏しい中庭を、石炭の詰まった重いバケツを抱え、えっちらおっちら歩く。

 戻る前におトイレを済ませておこうと思い、荷物を一旦、地面に降ろす。


 ヒュッ。


 しゃがみこんだ私の頭上で、なにか素早い飛来物が、風を切る気配を感じた。

 

 カチッ、コトンッ。


 少し離れたところに、なにかがぶつかって落ちる音。


「……チッ、外した!」


 かすかに聞こえた、悔しそうな声と、その主が逃げ去る衣擦れの音。

 生憎と私は夜目が効かないので、どんなやつがそこにいたのかはわからないけれど。


「なんだよ、なにかこっちに投げて来たのかな?」


 私は飛来物体が落ちたあたりに見当をつけて、注意深く地面を探った。

 きらり、とわずかに月の光を反射する、小さなものが見つかる。


「おいおい。洒落にならんぞこりゃ」


 それは柄が折れて刃だけになった、人差し指ほどの大きさの、細い小刀であった。

 要するに刃物、凶器である。

 なんだよ、暗がりでこんなものを投げつけられるほど、私は誰かに憎まれてるのか?

 これくらいのものじゃ、そうそう死にはしないだろうけれど、当たり所によっては失明とかしちゃうじゃん。


「で、こんな嫌がらせをされても、私は大人しく泣き寝入りしておしっこ漏らす程度しかできない女だと思われてるわけね」


 むしろ尿意とか引っ込んだわ。

 ナメられてるなあ。

 それが、非常にムカつく。


「震えて眠るのは、むしろ貴様の方だ」


 ンンっ、と喉の調子を確かめる。

 問題なし、システム、オールグリーン。


「ひゅうううううううう」


 大きく、深く息を吸う。

 久々の、実にしばらくぶりの。

 北原麗央那、渾身の絶叫に、ございますれば。


「誰だコラアアアアアァァァァァーーーーーーーッ!! 出て来ォォォォォイ!! 逃げてんじゃねえぞォォォォォウウ!?」


 朱蜂宮(しゅほうきゅう)は南苑のみなみなさま、とくとご清聴あれ。


「な、なにごとですか?」

「この夜中に、一体誰です!?」


 ざわざわ、ガタガタと、中庭周辺のお部屋から、それぞれお付きの侍女さんたちが飛び出して来る。

 私は布にくるんだ刃物の欠片を手に携え、月をのんびり眺めながら、人が集まり来るのを待った。


「盛大に引っ掻き回してやる。必ず見つけ出して、とことん追いつめてやるぞ。私を甘く見たのがお前の不幸だ。前世の行いが良くなかったのか?」


 願わくば、このつまらない悪戯の主が、私たちの求める大きな敵に繋がっていますように。

 つまらねえ雑魚に、今更、用はねえんだよ。


「あの月にかかってる雲、龍みたいだ」


 戸惑いの表情で、私に近づくことを逡巡している女性たちに遠巻きに囲まれ。

 久々にありったけの大声を出し、私は晴れ晴れとした気分なのだった。

 鯉は、要らない。

 龍よ、姿を見せろ。

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