第20話

「今日は少し早く学校に行きませんか」


 いつも通りアリスの作った朝食を食べている最中、妹がそんなことを言ってきた。


「……なんで?」


「そういう気分だからです。今日は天気がいいですからちょっと早く家を出たくなりまして」


 気分、ね。本当は多分、違うんだろうな。

 だけど、そのことに触れるつもりはない。気が付かないふりをしながら、僕はアリスとの会話を続けていく。


「天気なら昨日も良かったと思うけど」


「そういうことを言うのは野暮というものですよ、兄さん。女の子は気分屋なんですから」


「そんなものですか……」


「そんなものです」


 コップを手に取り、口にするアリス。

 その仕草はどことなく優雅さを感じる。

 育ちの違い……いや、同じ家で育ってるから、この場合は教育方針の違いといったほうが正しいのだろう。

 僕ではとてもああはならない。元々絵になる容姿をしてはいないけど、それを差し引いてもアリスはやはり違うと言わざるを得ない。 妹は、僕とは住む世界が違う人間だ。


(そう、アリスは違うんだ。僕なんかとは、全然)


 そんなことはとっくの昔に分かってるし、分かってた。分かっていたつもりなのに、僕らは今こうして向かい合って食事をとっている。

 そのことがほんの少しだけ不思議だった。昔の僕がこんなことになっていると知ったら、いったいどんな顔をするだろうか。

 

(いい顔は、しないだろうな)


 むしろ何をしているんだと説教すらされるかもしれない。

 天音を泣かして、一体なにをやっているんだ。昔の僕なら、きっとそう言うはずだ。


「兄さん」


 不意に声をかけられる。

 過去に飛ばしていた意識が急速に引き上げられ、僕は思わず顔を上げる。


「あまり、余計なことは考えないほうがいいと思いますよ」


「え……?」


「どうも兄さんは、思い詰める節がありますから。ひとりで思い悩んでいても、いいことなんてないですよ」


 アリスがコップへと目を落としたまま、そんなことを言ってくる。


「それはまあ、そうかもしれないけど……」


「悩んでいることがあるなら、私に相談してください。私たちは家族なんですから。兄さんが迷っていたり考えこんでしまうようなことがあるなら、力になりたいんです」


 これまで出来なかったことですから。

 アリスはそう小さく呟くと、再びコップに口を付けた。

 白い喉が小さく動くのを見ながら、僕は少し考える。


(悩み、か)


 あるにはある。

 けどそれは、今口にすることじゃない。ましてアリスには。

 話せと言われても、言ってどうにかなるというなら、既になっているはずのことだ。僕はゆっくりと頭を振った。


「ありがとう、アリス。だけどごめん。これは僕が解決しないといけないことだから」


 誤魔化すに、僕はアリスに笑いかける。

 同時に、天音のことは僕が自分でケリをつけると心に決める。


「兄さん、私は……」


「それより、家を出るならもうそろそろ準備を始めたほうがいいんじゃないかな。僕、一度部屋に戻って着替えてくるよ。洗面台はアリスが先に使ってくれて構わないから」


 言うと同時に、僕は椅子から立ち上がる。

 そしてそのまま逃げるように、自分の部屋へと向かった。

 ……これでいい。強引かもしれないけど、話を打ち切ることのほうが大事だ。


「わざとらしすぎたかもしれないけど、仕方ないよな」


 だってアリスに相談したところで、どうにかなるわけでもない。

 あのふたりが相性が悪いことは、とっくの昔に知っている。

 いや、実際アリスが天音をどう思っているかは知らないけど、天音のほうはアリスを良く思っていないのは明らかだ。


(とりあえず当面は、アリスと天音を合わせないほうがいいよね……)


 そのほうがお互いのためだ。

 そう自分に言い聞かせ、僕は部屋のドアを開けるのだった。







「兄さん、やっぱりあの人のこと、まだ忘れられないんですね」


 分かってた。そんなの、分かってたこと。

 分かっていたこと、だけど……。


「私は、嫌ですよ。兄さん」


 貴方の心に、他の女の子がいるなんて。 

 身勝手な考えであることは理解してます。だけど、それでもやっぱりそのことが、私にはどうしても許せなくて。そして悔しい。


「これが嫉妬というものなんでしょうか」


 私はこれまで、を経験したことがない。

 だけど、もしこれがそうだというなら。


「苦しいですよ、兄さん」


 心が痛い。苦しい。身体の奥から引き裂かれるような、言葉に出来ない感情が溢れてきます。

 でも、これを兄さんにぶつけるわけにはいかない。知られてはいけない。


「私だって、好きなのに……!」


 この気持ちを兄さんに口にすることは、私には許されない。

 それなのにあの人は、それが出来る。そのことが私には、どうしようもなく羨ましくて仕方ない。


 だから私はやっぱり、あの人が兄さんの近くにいるのが、許せない。

 




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