♯3
出口を抜けると、そこには高く岩壁に囲まれた半円形の大きな空間が広がっており、反対側の壁に、奥へ続く道が真っ黒な口を開けている。残念ながら洞窟はまだ続くようだが、天井の中央部が大きく崩れ、星々が私たちを照らしてくれている。あまりに輝いているため、空は深く沈んで見える。下界の闇の先にも光はあるのだろうか。
「少しここで休もう」
ユートは一息ついてそう言った。私は同意すると、手ごろな岩に腰を下ろして休む。エリーは地面にへたり込んだ。疲れが溜まっていたらしい。彼女は星を見上げて、乱れる呼吸を整えながら呟いた。
「きれい…」
視線を追って見上げると、奇妙な大穴が、壁から崩れた天井にかけて、まばらに点在していることに気が付いた。大穴の周囲には白い靄のようなものがかかっている。風が入り込むと靄は規則的に揺れた。時折聞こえる風の音が心地いい。耳を澄ましていると何かが聞こえた。
「なん……しのこ……」
耳を伝って聞こえた音というより、頭の奥底からぼんやりと浮かび上がってくるような、そんな音だった。不思議に思って、少し離れた場所に並んで座っている二人に聞いてみたが、何も聞こえていないという。気のせいだと思い込んでまた耳を澄ましていると、今度ははっきりと聞こえた。
「なんでわたしの子なの!」
少し前に聞いた言葉だ。長の家を訪ねたとき、彼の妻が自分を慰めていた夫に対してはなった言葉だ。言葉には怒気も多分に含まれていたが、それでも健気に慰め、肩を抱き寄せている二人を見たとき、今はいない婚約者を思い出したのだった。疲労のせいで幻聴でも聞こえたのだろう。
なぜだか一人が心細く思った私は立ち上がり、ユートとエリーの元へ歩き出した。視界の端で歩く私が見えたためか、エリーがこちらに顔を向けた。私が笑いかけると、彼女の顔もほころんだが束の間、すぐに表情が変わった。驚きと、恐怖の入り混じる顔だ。巨大な影が、私の影を覆い隠していた。
「逃げて!」
エリーの表情から危険を察知した私は、彼女がそう叫ぶ前に前方へ飛び込むように身をかがめた。直後、太く黒い棒状の何かが、頭の上をかすめた。すぐに体制を立て直し謎の生物と対面する。そこには、私の背丈の一回りほど高い位置に顔を据えた、巨大な蜘蛛がいた。
その深く黒い目を凝視すると、吸い込まれそうな恐怖心が沸き起こる。本来は八本しかないはずの足が、十本あるように見えるが、前面の二本はおそらく触肢であろう。その二本だけ色が赤く、太く、棘が無数に生えており、さらには先端が鎌状で鋭い。高い攻撃性を有しているのは一見して十分にわかる。これ以上もういいのではないだろうか。
あまりの大きさに呆然としていたが、大蜘蛛が左右の触肢を大きく広げているのを見て我に返り、すぐバックステップで退く。今度は鼻先を触肢がかすめる。ひるまず背負った矢に手をかけるのと、既に真横にまで走ってきていたユートが剣を振り下ろすのがほぼ同時だった。剣はクロスさせた触肢を勢いよく切りつけるも、どうやら大蜘蛛の表皮は強靭で、ドスッという鈍い音を立ててはじかれた。しかし全く効果がなかったわけではないらしく、大蜘蛛はすぐさま触肢を引っ込める。
攻勢の余裕を得た私は、矢筈の切り込みを弦に食い込ませ、表皮を避けて目を狙い、渾身の力を込めて矢を射る。放たれた矢は鋭い音を立てて空を切り、大蜘蛛の目をめがけ飛んで行く。が、しかし、危険を察知した大蜘蛛は触肢の関節を素早く曲げ、頭全体を覆うようにして守った。はじかれて落ちた矢が鳴らす乾いた反響音を、上空からまばらに落ちる小石がカラカラと音を立てて掻き消す。見上げると、小さな岩が大蜘蛛の真上に浮いている。エリーが魔力で岩を操っていたのだ。岩はそのまま、糸が切れたようにストンと落ち、大蜘蛛の頭部に直撃した。
「やったか!?」
そんな私の期待もむなしく、立ち上る土煙の中から大蜘蛛が飛び退いた。致命傷を与えることはなかったが、一定の効果はあったようだ。蜘蛛は壁際まで退くとそのまま岩壁を登り始めた。その間にも一矢二矢と矢を打ち込み続けたが、やはり表皮は強靭なようで矢はどれもはじかれてしまう。目を射貫くよりないが、正面から狙えばすぐさま触肢に防がれる。一体どうすれば……。
ユートと私は蜘蛛の動向を注視しながら、エリーの元に駆けつける。エリーはすぐに治療ができるよう、治癒魔法の呪文を唱えていた。蜘蛛は岩壁の高所を、私たちを中心に周るように這っていたが、しばらくすると点在する穴の一つに消えていった。
「逃げたのか」
ユートがつぶやく。私もそうであってほしいと願ったが、どうやら違うらしい。蜘蛛が自分のねぐらを這いずる音が、空洞に響き始めた。点在する穴は全てが地中で繋がっているようだ。
ガサガサ……。聞こえたと思ったら別の場所で鳴り始め、その反響が終わる前にまた別の場所から聞こえ始める。三人の息遣いが徐々に早く、不安定になる。ガサガサ……。右か左か、前か後ろか。反響し合う不気味な音を、全神経を聴覚に注いで探っていたが、その反響が頂点に達したそのとき、不意に静寂が辺りを包み込んだ。一瞬気が緩み、下に視線を向けると、十本の足を生やした巨大な影が私たちを覆っていた。
「上だ!」
言いながら私は翻って後方に飛び込こむ。途端に衝撃と土煙に包まれた。立ち上がりすぐさま振り返る。反対側では、上手く回避したユートが立ち上がろうとしている。エリーも無事のようだ。が、立っている位置は先ほどと同じだ。そしてそのすぐ目前には蜘蛛がいた。彼女の顔を覗き込むようにして。
「あ……ぁぁ……」
エリーは恐怖で身を固めている。私はすぐに弓を構えようとしたが、次の瞬間には太い足がエリーを薙ぎ払っていた。小さな体はボールのように吹き飛ばされ、壁に激突し、そのまま動かなくなった。
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