冬に籠るるは魔女

橙冬一

♯1

 どのくらい進んだのだろうか。暗くじめじめとした洞窟に三人の足音が響く。周囲は照らされているが、先には闇が広がっている。


「大丈夫なのか」

 何度目かの不安を口にしたら、ユートからは心配しすぎだ、エリーからはたぶん進めているという何度目かの返答がきた。洞窟の横幅は三人並んでも余裕があり、高さは背丈の倍ほどはあろうか。視界は決して良好ではないが、先頭を歩くユートが持っているランタンのおかげで、足元は明瞭に、周囲は淡く照らされている。ランタンとは幼光虫が入った丸いガラス容器のことで、刺激を与えるとしばらく発光し続ける。定期的に軽く揺らしてやるだけで夜道も明るく照らしてくれる、私たち冒険者の必需品である。


 捕獲された幼光虫はその生涯をガラス玉の中で過ごし、継続的なストレスを与えられ、役目を終えれば道端に捨てれる。この哀れな生き物に同情する冒険者は、私の知っている限りエリーだけである。エリーと出会って間もないころ、幼光虫の死骸を人目につかない草陰に持っていき、こぶし大の土を被せて簡素な墓を作る彼女の姿に、私は驚いて心を引いた。そしてその墓を、私が思うに事故を装って故意に蹴り飛ばした後、悪びれもなく「気持ち悪い」と言って清々しく笑った男がユートである。私は驚いて心を引いた。


 かような二人を引き連れたこの状況で、目下の不安は魔物と出くわすことだ。射手の私は十分な間合いを取れず、癒し手のエリーは戦闘を苦手としており、剣士のユートは片腕がふさがっている。闇からは時折ネズミが飛び出し、驚く暇もなくまた闇へと消えてゆく。ネズミが駆けるたびにカサカサと音が鳴り、小さく反響して不用な神経を尖らせていたが、何度となく遭遇しているうちに慣れてしまった。


 また前方から地面をこする音が聞こえたが、気にも留めずに歩を進めると、突然ユートが驚いたように立ち止まり、半歩下がる。動揺したのかランタンは彼の手を離れ、足元に落ちた。幼光虫が強く光った。足元のその先、闇からなにかが顔を覗かせている。ネズミではない。その正体にいち早く気が付いたエリーの小さな悲鳴が静かに反響した。黒く大きな体を、頭胸部から円状に広がる八本の長い足が支えている。上顎には、牙のようにも見える湾曲した鋭い鋏角と、顔の中央には大きな眼が二つ、それを挟むように小さな眼が二つ。その深黒の一つ一つにランタンの光が反射していた。


「蜘蛛だ」

 ユートが言った。確かに蜘蛛だが、蜘蛛にしてはやけに大きい。足首より上に顔がある。落ちていたランタンに、後ずさりしたユートの足が強く当たった。ランタンは音を立てて、またも強く光る。大蜘蛛は侵入者との予期せぬ遭遇に驚いたのか、先ほどより荒々しく音をたて逃げていった。


「二人とも大丈夫か」

 私が義務的に心配した振りをすると、ユートが微妙に口角を上げながら言った。一日に八回は見る表情だ。

「俺は大丈夫だが、可哀そうに……エリーは子牛みたいに震えてる」

「子牛は震えるのか?」


 エリーは反論する。

「震えてないし、苦手なんだからビックリするのはしょうがないでしょ!それにあなただってランタンを落としてたじゃない」

「はて、覚えてないが確かにランタンが地面にある。少し過去の俺と交信してみるよ。うーん……どうやらランタンが落ちたかったらしい。俺は彼の意思を尊重して手を離したんだ」

「ランタンがあなたの頭にぶつかりたいって。叶えてあげた方がいいよね」


 二人のいつものくだらない諍を横目に、私は落ちていたランタンを頭ほどに掲げ、進路を確認した。岩陰の奥、なにやら白いものが見える。遠目から見ると形のある靄のように見えたが、近づいてみると、それは大きな蜘蛛の巣であった。地面と岩と、それに面した壁の隅に、拳より二回りほどは大きな穴があり、その穴を巣が覆っている。白い糸の奥には、何やら白い物体が絡まっているようだ。

「地蜘蛛かな」

 調べようとしたら、いつの間に横に立っていたユートがつぶやいた。

「地蜘蛛なら巣を地表にまでは作らないだろう。なによりでかいぞ」


 とはいったものの、先ほど見た巨大な蜘蛛を考えれば、外の常識は通用しなさそうだ。ユートは興味のなさそうな相槌を打って、エリーのところへ戻ると口喧嘩を再開した。終わっていなかったらしい。気を取り直して顔を近づけ、観察してみると、糸に絡まれた物体は紛れもない骨であった。ネズミよりもはるかに大きい、人骨のようにも見える。落ち着いた頃二人に報告すると、案の定ユートには気にするなと一蹴され、エリーの恐怖心を増長させるだけに終わった。


 ごたごたも落ち着き、再度前進を始めたはいいものの、先には変わらず闇が続いている。出口の見えない行軍に再度不安を覚え、口に出そうとしたとき、ゴォッと音を立てた強風が私たちをすり抜けていった。出口が近い証明である。ほっと安堵したのも束の間、風の音に混じり、そして呼応して響くように、老婆の怪しげな笑い声が辺りを包み込んだ。


「アーッハッハッハッィヒヒヒ……」


 この洞窟には魔女がいる。

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