第71話 ケジメ案件

 公園のベンチに腰を下ろしてから、大体一時間ぐらい経っただろうか。少し重めの身の上話から始まり、最終的には当たり障りのない世間話に落ち着いた。デートにしては平和すぎるというか、学校の昼休みに済ませられる内容だ。

 でもこういうデートもアリだよな。可愛い先輩と噴水を見ながらのんびりと会話だなんて、こういう時間も悪くない。この際、服装は置いておくとして。


「ふー……。ここまでベラベラ喋るの久しぶりだから、喉乾いちまったよ」


 軽く舌を出しながら、手でパタパタと顔を仰ぐ。ここで胸元をパタパタしない辺りが椛との大きな違いだな。呪い無しで出会いたかったけど、呪いが無かったら相手にもされなかったんだろうな。


「ジュースでも買ってきましょうか?」

「ん? あー……コイントスで決めるか?」

「決める……? ああ、どっちが奢るかっていう」


 この人、デートでもギャンブルを持ち出してくるんだな。そりゃ周りから避けられるわ。俺は別に偏見とかないからいいけど、人によっては怖がるって。


「嫌……かい?」


 今までギャンブルを拒否されてきたトラウマが蘇ってきたのか、弱気になるリューさん。さっきまで楽しそうにしょうもない話をしてたのに、すぐメンヘラスイッチ入るな。白という本物のメンヘラに振り回されてるから、そこまで気にならんけど。


「いえ、ジュースぐらいなら全然アリですよ」

「坂ちゃぁん……」


 ……いけね、好感度上がっちまったか?

 上げたら泥沼だし、下げるとお経が飛んでくる。人一倍苦労してるよ、人付き合いに関しては。


「えーっと、表で」

「んっ。じゃあアタシは裏だな」


 クソダサポシェットから取り出したコインを指で弾く。一瞬なので良く見えなかったが、硬貨ではないと思う。わざわざコイントス用に持ち歩いてんの? 普通って百円玉とかでやらん?

 それにしてもやけに器用というか、やたらとコイントスが上手いな。コインの落下点に手の甲を持っていったというより、手の甲を着地点に定めてコインを投げたという感じだ。相当やってんな、これ。


「……」


 うわっ、重症患者の手術室前の椅子に座ってる人みたいになってる。結果聞くまでもないよ、これ。

 たかがジュースでここまで落ち込む? いや、ギャンブルで負けたから落ち込んでるのか? どっちにしろ、ここまで落ち込むか? 普通。


「やるなぁ、坂ちゃん」


 なんか知らんけど褒められた。たかが二分の一を的中させただけなのに。


「何がいい? 酒はダメだぞー」


 冗談めかしてるけど、その辺の倫理観はあるんだな。ギャンブルのほうがよっぽどアウトな気がするけど。


「えーっと、暑いですし……炭酸系……できればメロンソーダで」

「オッケ、オッケ。すぐ戻ってくらぁ」


 ギャンブルができたことに対する喜びと負けた悲しみで、肩を落としながらスキップしてるよ。器用だなぁ。

 ……頼んどいてなんだけど、メロンソーダってあんまり自販機に置いてないよな。まあ、炭酸系という表現を使ったから、融通きかせてくれるだろ。

 しっかし平和だなぁ……開幕のお経がヤバかったぐらいで、コスプリ地獄よりは遥かにまともな……。


「坂本さぁん……」

「うおぉぉ!?」

「ひっ!?」


 び、びっくりしたぁ。えっと、この人は……。


「驚かせてすみませぇん……」

「あっ、ボドゲ部の人……」


 例の文学少女……っぽい人だ。見た目と雰囲気だけで判断するなら人畜無害なんだけど、現時点じゃボドゲ部で一番ヤバい人なんだよなぁ。しかも自傷系だから、扱い間違えると人死が出るし。


「驚かせるつもりはなかったんですぅ……」

「あっ、いえ、俺の方こそ……」

「一本! 指一本で勘弁してください!」


 え? 何を一本って言った? 今。

 なんか急にバッグから、まな板と刃物を取り出したんだけど、なにする気? なんでそんなもの持ち歩いてんの? なんで〝どこでもエンコセット〟なんか持ち歩いてるの? 日常生活でケジメ案件頻発すんの?


「お、落ち着いてください!」


 ドスを持っている腕を鷲掴みにし、凶行を制止する。


「で、でも! これしかワビを入れる方法が……んっ……」


 いや、いくらでもあるだろ。仮にこれしかなくても、その時はワビ入れなくていいよ。何を勘違いしてるのか知らんけど、それカタギの文化じゃないから。特殊な育ち方しすぎだろ。


「声っ……声をかけただけじゃないですか! ただ単に、俺が勝手にビックリしただけですから! 思い詰めないで! 指も詰めないで!」

「じゃ、じゃあどうやってワビを入れればいいんですか? んっ……私はこう見えても一応女ですから、男性器を潰して責任を取ることができ……あっ、わかりました。今からドスで私の穴という穴を……んっ……」

「ダメダメダメダメ! 落ち着け! 猟奇的すぎる!」


 そんなワビ方するヤツいねえから! それはもはや、猛将の自決方法だよ!


「でも、でも、でもぉ……あの部長を……んんっ……メスの顔にできるほどの手練手管の男相手に、私ごときの体を売っても仕方ないじゃないですかぁ」


 その不名誉な評価はこの際どうでもいいとして、いくらなんでも段階すっ飛ばしすぎじゃない? 初手が売春な時点でヤバいけど、売春の次がエンコ詰めで、その次が去勢って、どういうステップアップよ。


「部長は整った顔とスタイル、そして卓越したメイク技術に、日本人とは思えないほどの美白。モテるために生まれてきたと言っても過言ではないのに、男を知ることなく十六年生きてきたんですよ? んっ……あっ……そんな鉄の女を一瞬で落とした男にとっては、私なんて使い古した雑巾ですよ」


 尊敬してるのか見下してるのかわかんねぇ。

 ん……? なんか今、おかしいこと言わなかったか? いや、どいつもこいつも基本的におかしいことしか言ってないんだけど。


「と、とにかくワビはいりません。驚いたぐらいで死にはしませんから」

「でもそれじゃあ……ん……スジが……」

「通さなくていいです。不要です、不要」


 俺の焦燥が伝わったのか、エンコ詰めセットをカバンに収納し始めた。いやあ、ヤンデレも話せばわか……。


「やっぱりあの日のことはただの気まぐれ、悪趣味な暇潰しだったんですね。坂本さんほどの男が、私なんかに価値を見出すなんてありえないことだったんです。ええ、わかりきってたことですよ。ですが、あんなに優しく抱きしめられ、情熱的な口説き文句を囁かれ、下着をマジマジと見られたら勘違いしてしまいますよ。勘違いだってことぐらい重々承知していましたが、それでも心のどこかで期待してしまうものなのですよ。ハハ、リアリストの坂本さんにはわかりませんよね。私みたいな日陰者は、白馬の王子様を夢見るものなんですよ。実在しないと頭ではわかってるけど、それでもいてほしいと願っているんです。別に珍しいことじゃないと思いますよ。魔法なんて存在しないとわかってるけど、それでも存在してほしい。異世界転生なんてありえないけど、異世界転生したい。誰しも似たような考えを持っているはずですよ。石油王に見初められるとか、宝くじの一等に当選するとか、ゼロではないけど限りなくゼロに近い物の妄想なら、誰だって一度くらいしたことがあるはずです。私からすればそれが近いですね。坂本さんが私の中の女を求めてくるなんて、異世界転生と同じレベルですけど、それでももしかしたら……天文学的な確率でありうる……なんて考えてしまうのは責められるようなことじゃないと思うんですよ。だって抱かれたんですよ? 接吻を交わしたんですよ? 今にして思えばゲテモノ食い、怖い物見たさで蓮コラを検索するような感覚だったんでしょうけど、それでも勘違いしちゃいますよ。人間というのはどこまでも愚かです。特に私。ええ、第三者から見れば本当に愚かな勘違いですよ。金目当てのキャバ嬢と本気で結婚を考えるハゲた中年と同レベルと言えるでしょう。でも、でも、でもっ! 当事者は勘違いしちゃうもんなんですよ! 第三者だから俯瞰的に物事を見れるだけで、当事者は盲目的になっちゃうんですよ! だって! 私なんて完璧に無価値じゃないですか! 世界中の男を漁っても私を好きになる男なんていないし、それどころか私の顔を見るだけで生理的嫌悪感に襲われます。遊び半分で私を抱ける男なんて存在しませんよ。私だったら絶対に嫌ですもん。でもある日突然現れたんですよ? 嫌な顔ひとつせずに私を抱いて、口内を蹂躙できる男が。まさしく白馬の王子様……いや、ウマナミの王子様です。あの日からずっとお慕い申し上げてる次第ですけど、ハハ……やっぱり夢ってのはいつか覚めるもんなんですね。人生ってのは程よく無知な方が幸せなんでしょうね……。アハハ、私って本当に愚物ですよ。だってあの時のように体を求められると確信してたんですから。坂本さんがエンコ詰めを止めた時『あっ、この流れで行けば性欲処理係にしていただける』って確信を得ましたよ。そこからの数十秒は大変でしたよ? 多幸感で愛液やドーパミンがダダ漏れになって、抑えるのに苦労しました。卑しい女だと思われたら、坂本さんの気が変わるかも知れないじゃないですか。まあ、我慢し損だったわけですけど……。ああ……肩透かしならぬ股透かしをくらったおかげで、愛液やら排泄物やら汗やら涙やら、穴という穴から液体がダダ漏れですよ。あっ、これですか? 思い上がった醜女が、更に醜悪な姿を晒すことを望んでいたのですか? いいかも……。ああっ……私ったら……また勘違いしてる……。明らかにただの破壊衝動、子供が虫の足を引きちぎるのと同じような気まぐれ、悪趣味にすぎないとわかりきっているのに、心のどこかで歪んだ愛だと信じようとしています。高いところから落とされたばかりだというのに、また自ら高いところに登ろうとしています。私ってばどこまでも愚物……。ああっ、止まらない……この愛は私の妄想の産物でしかないのに、興奮が止まらない……括約筋という括約筋が緩んで、もうタプタプですよ」


 ……………………視覚と聴覚と嗅覚を同時に攻撃してきてるよ、この人。三重苦だよ、畜生。いつもみたいに抱きしめて一時しのぎする勇気が出ねえよ。液体だけじゃなくて固体まで漏れ出てるし。

 リューさん! 早く来てくれー! どこまでメロンソーダ買いに行ってんだー!

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