3-13


 それからはいつもの登校道。


 いつもと違うのは、伊万里が俺たちと一緒にいること。


 いつもより早くに家を出たはずだけれど、コンビニでの幕間があったから、結局いつも通りの時間。


 伊万里と皐が会話をしているのを、歩幅をずらして後ろから観察をする。


 会話の内容はわからない。


 把握しようとも思わない。


 どうでもいいからかもしれない。


 ……どうでもいいのだろうか。


 そう思ってしまうことに後ろめたさがある。


 別に、いいじゃないか。


 俺が介在しなくても関係の紡ぎがあるのならば、それでいいじゃないか。


 皐は孤独じゃない。


 伊万里も孤独じゃない。


 それでいいはずだ。


 それ以上の幸福を俺は望んでいるのだろうか。


 ──俺は、他人の幸福でしか自分を満たすことができないのだろう。


 幼いころからの倫理観。


 家族の不和な関係性。


 歪な皐との近親愛の関係性。


 伊万里に対しての寄り添った関係性。


 他人がいなければ生まれることのない幸福。


 俺は、俺自身の幸福を望むことができないでいる。


 俺が不幸せかどうかなんて、正直どうでもいい。


 俺が見ている世界で、俺が見ている人間が不幸せでなければいい。


 そこに俺がいることが許せない感覚さえ覚える。


 俺がいなければ、もしかしたら俺と同じような役割を持った人間がその間に入ることができたのかもしれない。


 俺は誰かの役割を奪いながら生きているのかもしれない。


 明確に誰かに害を与えているのかもしれない。


 それを自分自身で許すことはできないでいる。


 皐との関係性はどういうことか。


 そんなことはわかっている。


 不和の中にあった家族の中で、唯一信じたかった家族愛。


 それを恋愛とすることはだめなんだろう。


 近親愛、それを禁忌とする前提の前の話だ。


 それは許されないことなのだ。


 俺の前に不幸せな人間がいることは許せない。


 自己犠牲を図ってでも、俺は誰かの満たされない幸福を満たして、それを見て世界の中にいることを許されたい。


 ……どうだろう。違う気がする。


 俺は俺と存在していることを世界に許されたい。俺自身の幸福だどうこうは関係ない。だが、自己犠牲を図らなければ世界に存在を許されないような気がする。


 だから、小劇場の人形が問いかけてくるのだ。


 いつまでも倫理と罪悪を問いかけてくるのだ。


 それを正当化していいのか。


 それは罪ではないのだろうか。


 ずっとわかっていたこと。


 わかりきっていたこと。


 いつかは終わらせなければいけないこと。


 反芻し続けること。


 なぞりつづける正しいこと。


 肯定したくない近親愛という罪。


「──えっ?」


 ──そんな思考がめぐる間に、前方から声が聞こえてくる。


 誰の声だろう。ああ、皐の声だ。伊万里は訳も分からないような顔をして皐を見つめて、そのあと皐の視線を追いかけるようにしている。


 場所はもうすぐで学校にたどり着く頃合いの場所。車が行き交うことは少ない住宅街の中。住宅を囲む外壁にさらに囲われた、アスファルトと無機質な風景の中。


 なぜ皐がその声をあげたのかはわからない。


 その原因を考えなければいけない。


 もし、皐がこちらを向いていたのならば、俺が無意識的に声に出していた可能性を疑うが、彼女の視線は前方にある。


 だから、俺ではない。俺の気持ちについてではない。


 俺も彼女の視線を追いかける。ゆっくりと、呼吸を意識しながら。


「……」


 すべての時間がゆっくり流れる。


 喘鳴が肺に重なる。指先が震える感覚がする。


 傾き始めた日の暑さを忘れてしまう。暗くなった世界は、どこか演出をするように俺たちに影を落とす。


 世界の暗がりの中にいる。静かに鼓動が走り始めていく。


 街灯がひとりの登場人物を映し出す。


 きっとこの時、小劇場の幕は上がったのだ。


「──愛莉?」


 どうして、という言葉が思い浮かぶ。思い浮かぶけれど、思考に戸惑いと何かが生まれて、名前をつぶやくことしかできない。


 昔見慣れた顔。あまり顔を合わせたくない人間。この前顔を合わせて、気まずくなってしまった女子。


 唯一の、俺の幼馴染。


 ──竹下 愛莉。


 世界に演出を強制するように、彼女は街灯の下で照らされている。

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