噂話と後悔、代償は妻の笑顔で精算されてしまった(男は泣くこともできない)

木桜春雨

第1話 噂話と後悔の代償 前編

「ねえっ、あなた」

 夕食後のことだ、妻からの質問に男は驚いた、あそこのご主人と言われて顔を思い出した、だが、挨拶を交わす程度で親しいという訳ではないので、いいやと答えることしかできなかった。 

 「浮気してるらしいわ」

 妻の言葉にぎくりとする、だが、それは自分のことではないのだと思い、ほっとした。

 まさかとは思う(ばれていない、いや、気づいている様子はない)

 近所の人が噂してたのよ、続く言葉に話題を変えようと噂だろうと素っ気なく答えた。

 憶測で、そんな事を言うんじゃないと。

 「でも、皆、知ってるみたい」

 あそこの奥さんが話してたから、その言葉にお喋り好きの暇な主婦、奥様かと内心、嫌な気分になってしまった。

 しかし、近所の旦那が浮気、それを薄々、感づいている人間がいて話のネタにされているというのは正直、気分のいいものではない。

 気をつけようと思った。

 

 翌日、会社に行く途中のことだ、男は噂の人物に会って驚いた、右足に白い包帯、いやギプスを巻いていたからだ。

 どうしたんですかと思わず聞いてしまった。

 「駅の階段で転んでしまいましてね」

 骨折ではない、筋を痛めただけだという、そのときはただ気の毒にと思っただけだ。


 今朝、会ったよ、その日の夕食をすませた後、自分から話題をふってみた、脚を怪我したみたいだと。

 その言葉に妻は軽く頷いただけだ、別にというか、驚いた様子はないのが、少しだけ気になった

 「そうなの、自業自得ってやつじゃない」

 冷静というか、まるで当然といわんばかりの言葉に正直、嫌な態度だと思ってしまった。

 「脚を滑らしたって言ってるけど、皆、分かってるわ」

 嘘だって、最後の呟きに、内心、むっとして妻を睨みつけた。

 突き落とされたのよと、予想もしない言葉が返ってきた。

 一瞬、どうしてそんなことをと聞き返しそうになり、言葉を呑み込んだ。

 馬鹿馬鹿しい、まるで見たようなことをいうじゃないか、想像、いや妄想を膨らまして、そんな事を言っているんだと思った。


 ところが、その後、噂の本人を見たのだ、今度は顔に怪我をしていた。

 駅のホームで目があったとき、罰が悪そうにこちらを見る、どんな言葉をかければいいのかと迷ったが、聞いてしまった、どうしたんですと。

 きまりを悪そうに浮気の結果ですよと、相手は呟いた。

 「不満なんてありません、ただ、少しだけ、相手から声をかけられて有頂天になったというか、馬鹿ですね、離婚ですよ」

 離婚という、その言葉に返事ができない。

 子供は妻が引き取ります、自分は一人ですと呟く相手に思わず女性はと尋ねてしまった、浮気相手の女性はと聞いてしまったが、すぐに後悔した。

 「妻に捨てられた男なんてと、言われました」

 笑われたんです、何故でしょうねと言われて言葉に詰まる、力なく歩いて行く男の後ろ姿を見送ることしかできなかった。


 その日の夕食の後、旦那さんに会ったよ、離婚するそうだよと妻に話すと何がと聞かれた。

 あそこ夫婦、離婚するらしい、だが、妻の返事は返事は、そうと、うなずいただけだ、まるで関心がないといわんばかりだ。

 それでと妻は続きを促した。

 「貴方は何が言いたいの、他人の家庭の事が、そんなに気になるの」

 いいや、噂してたのは、お前たち、近所の噂好きの主婦じゃないのかと言うと笑われた。

 「良かったじゃない、怪我と離婚程度で済んで」

 この時ばかりは腹が立った、思わず、言い返そうとしたとき、妻が視線を向けてきた。

 「浮気、するからでしょ」

 (まさか)

 自分が浮気している事に気づいている、いや、うまく隠してきた、ばれてはいない筈だ、例え嘘だとしても、聞いてしまったら駄目だ。

 「子供もいるのに奥さんを裏切って、ねえっ、もしかして、あなた」

 ほんの少し、沈黙が続いた。

 「馬鹿な事をいうんじゃない」

 えっ、何、どういうことと言われてはっとした。

 

 それから三日ほどが過ぎた。

 あの人、亡くなったみたいと言われて男は聞き返した、離婚された男の人よと言われて返事ができなかった。



 「駅の階段で転んで」

 「打ち所が悪かったみたいで、意識が」

 その日、家を出ると途中で数人の主婦とすれ違った。

 「亡くなったんですってね、気の毒に」

 「足も怪我していたから、そのせいもあるんでしょうね」

 男の足が止まった、主婦達のの会話に思わず口を挟むというより、尋ねてしまった。

 亡くなった夫の遺体の引き取りを元、奥さんは拒否しているという。 浮気していたからだという、そうですかと頷き男は通り過ぎようとした。

 「ところで、貴方の奥さん、あの駅をよく、利用するのよね」

 男は、えっと言葉を飲み込んだ。

 主婦達は自分を見ている視線に、このとき気づいた。

 (本当に知らなかったの)

 そういわんばかりだ。

 「まあ、昔から知らぬは亭主ばかりなりっていうしね」

 「本当ね」

 「仲良かったみたいだし」

 誰のことを話しているのか、わからなかった。

 誰が誰と、だが、聞く事ができない。

 

 男は決心した、浮気相手と別れることを。

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