misfit はみだし者たち

丸田信

<1>

 防塵シートの囲いのなかで、ユンボが不規則な駆動音を響かせた。慎重に振り下ろされた鉄のツメが、平屋建て家屋の壁面を荒く削いでいく。

 表層の漆喰がはがれて、コンクリートの下地がむき出しになった。ひしゃげた屋根の野地板から、勢いよく瓦が滑り落ちてくる。


「おい、タケヒロ、ぼーっとしてんなよ。早く散水しろ!」


 解体工事のけたたましい騒音をねじ伏せるように、ユンボの運転席から親方が大きな声で言った。酒焼けしたしゃがれ声だが、不思議と雑音まみれの現場でよく通った。


「はい、わかりました」と、小田武広おだ たけひろは負けじと大きな声で答える。こちらは破砕音にまぎれて、声が届くことはなかった。

 小田はホースに取りつけたノズルのハンドルを握る。放射状に噴き出した無数の水の粒が、舞い上がる粉塵を包み、抑えこむ。


 解体工事において、散水は重要な作業だ。取り壊しの際発生する大量の粉塵が、広く飛散するのを防ぐ効果があった。粉塵は近隣トラブルに発展するケースが多く、できるかぎり軽減しなくてはならない。


 親方が操るユンボは的確に壁を壊し、柱を崩し、家屋を解体していく。降り注ぐ日射しとシャワーが生み出すうすい虹の幕越しに、小田はその様子をぼんやりと見ていた。下っ端作業員の小田に、現段階で他にやれることは何もなかった。


 解体工事会社に世話になって、そろそろ二年になる。小田は高校をくだらない理由で早々に中退したあと、しばらくフラフラと遊びまわっていたが、十八歳になったことを機に一念発起して就労を目指すようになるのだが、何をやっても長つづきせず途方に暮れていた。そんなとき古い付き合いの先輩に誘われて足を踏み入れたのが、いまの会社だ。


 当初はバイトからはじめて汗水を流し、親方に認められて入社にいたったのが一年前のこと。決して楽な仕事はではなかったが、性にあっていたのか辞めることなく現在も継続している。

 まだ技術も経験も浅いひよっこであったが、このままつづくならば金をためて将来独立するのもいいかもしれないと思うようになっていた。夢というには漠然とした思いつきのような考えだが、これまでの小田の人生になかった目的意識は、知らぬ間に日々の活力となっていたのは確かだろう。


「そろそろガラの積み込みするぞ。マサ呼んでこい」


 気づくと家屋の三分の一ほど壊し終わっており、側面が完全に崩れていた。ぽっかりと空いた穴から垣間見えた室内では、備えつけの調度品が半端に潰れている。どれも古びてはいたが、上質そうな造りだ。小田が暮らす安アパートに揃った家具とは、比較にならないほど高価な品にちがいない。


 もったいないと思うが、家主にとっては気にかけるほどの問題ではないのだろう。貧乏人には理解しがたい判断だ。

 小田は頭をよぎった浅ましいねたみを振り払い、廃材を運搬するトラックを呼びにいくために、そそくさと防塵シートの囲いを抜けた。


 視線の先には立派な母屋が建っており、正門の位置からかんがみるに、解体する家屋は広大な敷地の裏手にある離れ家といったところか。

 どんな大物が住んでいるのかという疑問と、世の中不公平だという不満が同時にわき起こる。小田はモヤモヤした気持ちを抱えたまま、敷地の駐車場で待機していたトラックのドアを叩いた。


「センパイ、出番っすよ」


 運転席で眠りこけていた金子昌夫かねこ まさおは、ビクッと肩を震わせて呆けた表情を浮かべる。寝ぼけているのか、まだ目が開ききっていない。


「センパイ、早くしないと親方に怒られるよ。どうなっても俺の責任じゃないからな」

「おー」と、かすれた声で答えたものの、金子はなかなか動き出そうとしなかった。この小田を解体業に引き込んだ先輩は、昔からルーズなところがあった。


 しかたなく反対側にまわり、助手席に乗りこんで金子の肩を揺する。大きなあくびをする間抜け面が、バックミラーに映りこんだ。

 金子は面倒そうにキーを探って、エンジンをかけた。年式の古いトラックは、弾むような振動を座席に伝えた。


「もうちょっと寝てたかったけど……しゃあない、行くか」


 長細いクリスタルのノブにカスタムしたシフトレバーを操り、金子はトラックをバックさせる。耳障りな警告音を鳴らしながら、そのまま後進で現場に尻から入るつもりのようだ。


 バックとサイドのミラー越しによる後方確認にくわえ、窓から顔を出して直接見極めながらの慎重な運転だった。よく言えば思い切りのいい、悪く言えば荒っぽい運転をする金子にしては珍しい。まるで怯えているような恐々としたハンドルさばきである。


「どうしたんです。今日はやけに慎重だ」

「そりゃそうだろ。三森家の持ち物にキズでもつけてみろ。何をされるかわかったもんじゃない」

「センパイ、この家のこと、知ってんですか?」


 目を丸くして小田に顔を向けた瞬間、わずかにハンドリングが狂い金子は慌ててブレーキを踏んだ。慣性で後ろに引っ張られた体が、一拍置いて軽くなる。金子は安堵の息をつき、じろりと小田を見た。


「お前、何も知らないんだな。これだから中卒は……」

「学歴は関係ないでしょ、学歴は」

「いいか、三森ってのはな!」


 金子によると――三森家の当主である三森孝作みもり こうさくは、貧しい家の出ながら商売の才覚に恵まれ、苦難の末に一代で巨万の富を築きあげた大富豪だという。その過程で表も裏も知り尽くし、さまざまな場面で多くの人たちに干渉してきた。孝作の影響力は計り知れず、K県において政界財界のみでなく、裏の世界にも顔が利く重鎮であり、隠居した現在も威光は衰えていないそうだ。

 ただ残念なことにひとり息子を事故で亡くし、莫大な財産と権力を受け継ぐ跡取り不在が問題になっている、らしい。


「まあ、そんなわけで、三森に逆らうヤツはまずいない。政治家だろうがヤクザだろうが、警察だろうがな」


 よどみなく語る金子を横目に見ながら、そういえば実録系の雑誌が好きだったな、と小田は思い出す。どこまで信ぴょう性があるのか疑わしい話だが、口をはさむのは野暮だと感じて黙っておいた。

 とにかく、三森家が大金持ちであることは間違いない。それだけわかっていれば充分だろう。


 トラックが解体現場に到着して、開け放った防塵シートの空き間から進入、ユンボに横づけした。加熱式タバコをくゆらせて一服していた親方は、一旦止めていたエンジンを再スタートさせる。


「おせぇぞ、お前ら。早く準備しろ」


 しゃがれ声にどやされて、小田は軍手をはめながら現場に立つ。ここからの仕事は、ユンボではひろいきれない細かな廃材を荷台に積みこむ作業だ。細かいといってもそれなりの重量があり、身体にこたえる重労働である。

 仕事になれてきて、作業で受ける疲労感を想像できる分よけいげんなりするが、やらないわけにもいかない。小田は自分自身を騙すように気合いを入れて、足下に転がっていたコンクリート片を荷台に送った。腰が痛かった。


 そうして同じ動作を繰り返し、汗を滴らせながら働きつづける。小田の手が止まったのは、作業開始から二十分ほど経った頃。ふと目の端に、光るものを見つけて意識を奪われた。

 にかぶさっていた砕けた瓦を足で払い、指先でつまんで持ち上げる。


「なんで、こんなとこに?」


 小田は不思議に思い首をかしげ、出どころを探して目線を巡らせた。周辺の床を見まわし、そこから壁に視点を移動する。

 あまりに不自然な状況すぎて、かえって認識が遅れた。一度は通りすぎたあと、頭の隅に引っかかった違和感に連れ戻され、再び目線をやった。いわゆる二度見だ。


 理解した瞬間、小田は「ひっ」と喉を鳴らしてうろたえた。ひざの力が抜けて、その場に尻もちをつく。細かな破片が作業ズボン越しに突き刺さったが、その痛みに意識がまわらないほど動揺していた。


「タケヒロ、どうしたんだ?」


 異変に気づき、金子が安穏と声をかける。ふたりの間は距離にして一メートルもない、だが、短い距離の間に天と地ほども緊張感の温度差があった。


「ほ、ほ、ほほ、ほほほ――」

「ほ?」


 小田は震える指先で、壁を指し示す。原因を伝える労力は、それだけで充分だった。


「ほ、骨が、壁から骨が」


 ユンボによって削られた壁から、白いものがはみ出していた。骨だ。おそらくは人の前腕部の骨、すぐ下に指と思われる小さな骨の欠片が散乱している。

 コンクリートに埋められていた人骨が、解体作業で掘りだされたのだ。


 思いもよらなかった事態に現場は混乱する。小田は恐怖で体を震わせながら、無意識に手のなかにあったものを握りこんでいた。

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