第29話 菊華、教室に乗り込む

「お兄様がお優しいのはわかっていますが、私は、お兄様にあまり無理はしないでほしいです」

「白百合……」


 真剣にこちらを心配する表情で、俺にそう言ってくる白百合を見て。

 確かに、妹や周りを心配させてまで優先させてやることかと言うと、そうじゃないよなと思えるようになった。


 ……う〜〜〜ん。

 まあ、自分が割と気にしいな方だとは思ってはいたけど。

 多分これはそれだけじゃなく、どこかに『他人を不快に思わせたらゆくゆくは破滅・没落』みたいな強迫観念みたいなものもあるんだろうなあ……。


 前世の意識が戻ってからは『品行方正・清廉潔白な西園寺蓮くん!』でやってきたけれども、もとの自分のマイナスな部分に対する警戒心が強いんだろな。


 そうやって自分で内省することができるようになったら、手紙の返事が一日二日遅れたくらいで、誰も責める者などいやしないだろうと開き直れるようになった。


「わかったよ白百合。ありがとう。これはまた余裕がある時にするよ」


 俺がそう言うと、白百合はどこかほっとした表情を見せて「私にお手伝いできることがあれば、いつでも言ってくださいね」とにこっと笑って気遣ってくれた。


「よし。じゃあ今日のご本を読もうか」


 と、白百合が手にしていた本を受け取り、ふたりに向かって改めて向き直る。

 すると、ふたりがたちまち嬉しそうな顔になり、菊華がぴょんと跳ねて「お兄様」と甘えてぎゅっと抱きついてくる。


「菊華。抱きつかれると動きにくいよ」

「じゃあわたくしが、お兄様をだっこしてさしあげます」


 そんな無茶な、と苦笑するが、懲りない菊華は抱っこしようとしてるつもりなのか、ニコニコと笑いながらぐいぐいとベッドの方に向かって俺を押してくる。

 

 こうしてこの日は、いつも通りふたりに本を読み、いつも通り仲良く川の字になって眠りについた。




 ◇




 そうして、また翌日。


 何事もなく通学し、何事もなく一日を終えて帰ろうとしていた放課後の時間。


 ……いや、何事も無くはないな……。


 朝も相変わらず下駄箱を開けたらどさりと恋文が落ちてきたし、席に座っていても恋文を出してきたであろう女生徒たちからの、期待の混じったような眼差しをちらほらと受けている気がした。

 もしかしたら、俺の気にしい故の考え過ぎかもしれないけど……。


 うう……!

 ごめんなさい!

 今日は返事はないんだよ!

 手ぶらでごめん!


 というかそもそも。

 枚数もあれだけになってくると、名前と顔を一致させてひとりひとり渡すのもなかなかに大変になってくるんだけど……。


 あ、だめだ。

 考えただけで気が遠くなってきた。


 いっそ、「もうギブアップです! 期待させてごめんなさいもう返事は打ち止めです!」って言えれば良いんだろうけど。

 破滅回避・善良モードで生きてきてしまった俺には、ある種『カッ!』と腹をくくらないとそのハードルを越えるのは難しいわけで……!


 とか思っていたら。

 突然、がらがらがら! と音を立てて、教室のドアが勢いよく開いた。


 ん?

 あれ?


「菊華?」


 予想だにしていなかった妹の登場に俺がポカンとして名を呼ぶと、その声で俺がいることに気付いたのであろう菊華が、口をきゅっ、と引き結びながらこちらに向かってずしずしと歩いてきては、ガシッと俺に抱きついてきた。


「え? 何?」


 どうしたの? 誰かに何か嫌なことでもされたの――?


 突然のことに驚きすぎて、抱きついてきた菊華を『えっ?』と思って見下ろしていたら、俺の腰あたりに手を回していた菊華が一瞬ぐっとその手に力を入れた後、周囲に向かって「あの!」と高らかに声を上げた。


「みなさま、これから……、お、お兄様にを渡す時には、わたくしを通してからにしてくださいませ!」


 ――と。


「き……、菊華……?」


 はあ、はあ……と、緊張のせいなのか声を荒げたせいなのか、俺にくっついたまま肩で息をする菊華を見下ろしながら、思わず動揺する声がこぼれでた。


「お、お兄様はお優しいから……。眠る時間を削ってまで、皆様のためにお返事を書かねばと頑張られるお姿を見るのは、わたくしがつらいです……」


 ぎゅ、と俺の制服を掴む手に力を込めて、泣きそうになりながらもそう周囲に言ってのける菊華を見て。

 不覚にも、少し――、いやだいぶ、心を打たれた。

 

 こんな幼い妹にまで心配をさせて。

 しかも、6年生のクラスに乗り込んでくるのも怖くないわけがなかったろうに。


「全く――いや、蓮の妹の言う通りだな」


 そこに、菊華の発言に助け舟を出す天の声が舞い降りてきた。

 ――蒼梧だ。


「だから言っただろう。さっさと線引きをしないとダメだと」


 周囲に――幼い妹にまで心配をさせて、お前は何をやってるんだと。


 ……いや、全く。

 おっしゃる通りです……。

 結局、自分で落とし前をつけられなかった結果、妹に助け舟を出させることになってしまった。

 1年生の妹に、6年生の教室まで乗り込ませるなど――させるべきではなかったのに。


「――そうだね。蒼梧の言う通り、僕の中途半端な気遣いが、かえって色々とややこしくしてしまった」


 兄様のことを思いやってくれてありがとうね菊華、と菊華の頭を撫でると、俺は教室にいるクラスメイトに向かって申し訳ない気持ちをにじませながら言葉を続けた。


「こんなこと――、クラスで言うべきことではないのはわかっているけど。僕は今、学業を修めることに集中したいし、自分を成長させることに時間を割きたい。だから、その貴重な時間を別のことに割かれてしまうのは少し辛くて」


 皆が僕のことを慕ってくれるのは嬉しいことだけど、僕に手紙をくれた人たちひとりひとりに返事を返していくのは難しいかな、と。

 言葉を選びながらぽつりぽつりと思いを伝える。


「だから今後、返事がもらえなかった人がいたとしても、それは別に僕がその人のことを良く思わなかったり嫌っているとかそう言うことじゃないってことはわかっておいてほしい」

 

 と言いながら、そもそもなんで こんなことを教室で言っているんだろうないう思いツッコミが頭の片隅をよぎっていく。

 自分が当事者じゃなく、その他大勢のモブだったら、「なんだなんだ、イケメンのモテ自慢会かよ」とか思ってそうな謎の言い分!!

 

 そう思われないように言葉を選んではいるわけだけどさ!

 とかそんなことを思っていたら。


「……お前、よくクラスメイトに向かって大々的に『自分モテてます』宣言みたいなことができるな……」

「お前が線をひけって言ったんだろ! お前が!」

 

 俺に向かって若干引き気味に蒼梧がつっこみを入れてきたので、心外だとばかりに言い返してやった。

 こっちだって、恥ずかしくないわけないんだからな! 馬鹿!


 そんなこんな、漫才みたいなやりとりをしていたら、いつのまにか周囲のクラスメイトからぱちぱちと拍手が鳴り響いていた。


 え……?


「申し訳ありません……! 私たち、西園寺様の優しさに甘えていました……!」

「東條様も妹様も、西園寺様のことを思い遣ってらっしゃるのに、私たち……」

「安心してくださいませ。私たちで、他の女生徒たちにもちゃんと注意致しますので」


 クラスにいた女生徒たちが、なぜか菊華の行動と蒼梧の言葉になにやら感銘を受けたようで。

 とりあえずはこれで、どうやら問題は一旦収束に向かうようだった。


「はぁ〜、面白いな、お前の妹」


 帰り支度を終わらせた俺が菊華と一緒に教室をでると、後をついてやってきた蒼梧が俺に向かってポンと肩を叩きながら揶揄からかうようにそう言ってきた。


 あれっ……?

 そういえばこれも、原作よりもだいぶ早い蒼梧と菊華のエンカウントになってしまったのでは……?


 できれば白百合よりも菊華と蒼梧が出くわすことを恐れていたのだが、思いがけず早々に発生させてしまったことに、このあと俺は自室で一人反省会を開くのであった。

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