アマルのメモ書き

 クルックスがすべての種を整えて鉄板いっぱいに並べ終わると、アマルは「よし」と確認した。その鉄板を手に取ると、オーブンを開けて鉄板を中へ挿し入れて、中で既に焼きあがっていたらしい別の鉄板と交換する。


 中から取り出した鉄板には、今クルックスが並べたのと同じように、葉のようなひし形のクッキーが整列して焼き上がっていた。作業台の上に取り出した鉄板を置いてから、アマルが火にかけていた小さな鍋を降ろして運んでくる。ドロドロに溶かした高温の砂糖だ。赤色に色が着けてある。アマルはそれを丁寧に、鉄板に並べたお菓子の表面に刷毛で塗りつけていった。そして少し乾いてから、その作業を数回繰り返して見せた。


 溶けた飴が冷えていくに従って、表面にはうっすらと照りが出て薄い衣のようになる。茶色い生地の上に、赤い衣が美しくかかっていく。


「今見たとおりにこの上に塗っていきな。ここ一列赤で塗ってくれ。あと五色あるからな!」


 クルックスは目を輝かせて見ている。


 これは、店の入口にあったジュエリーボックスを形作っていた、あの小粒なタイルのようだ。今作っているものはそれより大きいが、同じものであるらしいことがわかった。


「完全に冷えれば表面はもっと光るしカリッとするんだ。生地は少しもっちりだな! 最後にフワ~ッと杏子とカモミールの香りが口に広がるのさ」


 クルックスの目がさらに輝いて、堪らないといった感じで興味深げに聞く。


「これはただのクッキーではないのですね?」


 アマルの声の調子が少し上がり、気を良くして饒舌になった。


「あたしが開発した自信作さ! まあ全部自信作だがな。名前を聞きたいか?」


 クルックスが黙って激しく首を縦に振る。


「カランって言うんだ。我ながら絶賛だな」

「どういう意味なので?」


 急にアマルは顔を赤らめた。照れくさそうに、もごもごと口を開く。

「優しい、その、……キスって意味さ!」最後は投げやりに言う。

「ポォ~~~♪」


 感嘆するクルックスをよそに、アマルは何事もなかったかのように別のお菓子の仕込みを始めた。


 真珠はずっと階段の途中で、座り込んでいた。


 アマルに邪険にされているクルックス。あまりアマルを怒らせてはいけない。――はやく作業が終わらないかしら。クルックスのことをアマルさんに謝らなくっちゃ……。でも……。


 出るに出れずに延々と頭を巡らせていた。――イライラする。


 その時アマルが急に大きな声で言った。


「おい! 真珠! そこにいるんだろ!?」


 真珠は慌てて立ち上がった。一瞬逃げようとしたが諦めて、おずおずと一階へ降りる。気まずい。


「アマルさん、ごめんなさい! クルックスがお仕事の邪魔をしてしまって……」


 真珠は二人の前に現れてなんとかそう言ったが、アマルは視線を合わせない。仕込みをしながらぶっきらぼうに口を開く。


「あんたも邪魔したいのかい?」

「あっ! 真珠さん、やはり真珠さんもお手伝いしたかったんでしょう?」


 クルックスだけが空気を読まずにウキウキしている。真珠はオドオドした。

 アマルは作業の手を止めることなく、ポケットから取り出したメモを調理台に素っ気なく置いた。


「そこに書いてある材料をクルックスと持ってきな」

「え? は、はい!」


 真珠は思わずそう返事をした。


 [アマルのメモ]

 アーモンドミルク……10マコル

 ビーンズミルク……5マコル

 杏子ピール……ひとかけら

 メープルシュガー……1マコル

 アガアガ……1/10マコル


「ミルクは保冷庫。木の瓶が沢山あるからな。間違えるんじゃないぞ。砂糖とアガアガはその扉の奥の食品庫だ。メープルシュガーは一番キメの細かい茶色の左端のやつな」

「マコル? ……アガアガ……?」


 メモを覗き込んで真珠が小さい声で読み上げる。


 アマルが棚から木のカップを手に取り、真珠に放り投げた。慌てて真珠が両手で受け取る。木でできた、軽量カップのようなものだ。


「それ1マコルな! 間違えるんじゃないぞ! ボウルはその辺から適当に使ってくれ」


 作業を終えたクルックスが真珠の後に着いていき、メモに書かれた材料を探し始めた。メモに書き込まれた文字は綺麗で美しい。


「こうやって改めて書かれたメモを見ますと、やはりあの美しいお菓子を作った人なのだと思わされますね♪」

「う~ん……。でもメモの端っこはこれよ?」


 美しい文字が書かれたメモの端は、びりっと破り取られていた。


 ――人はみかけによらないってことなのかしら?


 真珠はノランが言った言葉を考えていた。本質とは関係がない?本質ってなんだろう。真珠の頭がまたもやもやっとする。


 ――複雑すぎてわからないわ……。


 二人はメモに書かれた材料を集め、調理台にいるアマルのところまで行った。さっきまでクルックスがカラン作りのために使っていた場所が綺麗に片付けられ、大きな鍋と木製のヘラがそれぞれ二つ用意されていた。


「アマルさん! メモの材料持ってきましたよ」


 クルックスがワクワクした口調で言った。アマルは何事もなかったかのように仕込みをしている。


「そしたらそこに温めてある鍋に、酢を一杯だけ入れて、アガアガを入れてから沸騰させてくれ」

「アガアガってなんでしょう♪」


 クルックスがアマルからヘラを受け取りながら訊ねた。


「海藻だ。ブルネラは内陸部だからな、使ってる人はあたしくらいなもんさ。父ちゃんの客から送られてくるお礼の品の中に、ニカワの材料として見つけてな。ま、これ以上はでき上がってからのお楽しみだな」


「あの、アマルさん、沸きました」

「そしたら火を弱めて、今度は鍋の底にアガアガがくっつかないように、ヘラでゆっくり三十分混ぜな。煮立たせるんじゃないぞ」

「ええ! まだ三十分も混ぜるのですか?わたくし羽が棒のようになってしまいます!」


 アマルがクルックスをじろりと見る。


「菓子作りっていうのはな、繊細なんだよ! それにおまえの羽は最初から木だろうが」

 そう言って大きく笑った。


 クルックスは夢中で鍋の中の液体を掻き混ぜている。

「何ができるんでしょうね? いったい何ができるんでしょうね?」


 アマルが時折鍋を混ぜる二人を横目でチラリと見て、視線を戻し黙々と仕込みを続ける。真珠には少しだけアマルが微笑んでいるように見えた。


 しばらくするとノランが食事の支度ができたことを知らせに降りて来た。


「ここはもういいよ。ありがとう。食事してきな」アマルが言う。

「真珠、クルックスありがとう。二人とも先に上がっていなさい」


 ノランはそう言うとアマルと何やら話し始めた。


「クルックス、行こう」


 真珠とクルックスが二階へ上がっていく。椅子に着いてしばらくするとノランもやってきた。アマルはまだ下にいるようだ。


「待たせたね。さあ、食事にしよう」

「わたくしお腹ペコペコです」

「あの……アマルさんは?」


 ノランはなぜか笑いながら真珠に言った。


「彼女は他にやらなくてはならないことができてしまったらしい」


 突然やらなくてはならないことができてしまうなんて、お菓子屋さんも大変なのね。と真珠は思った。


 [アガアガ]


 乾した海藻から採られたニカワの材料。

 食用でもあるアガアガは、溶かして固めればプルンとしつつもかなりほろ柔らかく、固さの調整が職人の腕次第となる調理食材。その仕上がりの透明度は、すべての粘度調整素材の中でも抜群に良い。

(『エルセトラ調理食材大辞典』より抜粋)

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