暇つぶしの鍛錬
王子が言うには、動き出した何かへの対処はもう少し先になるらしい。それまではまだ時間がある。私達はグンネル国の礼儀作法や歴史を学んだり、周辺国も含めた言葉の勉強などをして過ごした。
その合間に、今まで通り町や色々な所へ行って、人と会い手紙の受け渡しをする。
「ここではさ、僕が使えるのは君達くらいしかいないんだ。あの王子が邪魔するから兵も貸してもらえないし、うちの兵は目立つ。全く動きにくいったら」
ランヒルド王子は私達の部屋に来て、ふくれっ面でくつろいでいる。
「ここでは、あの王子が諜報を担っているようですね」
「あの王子って、人質のことを言っていた妃殿下の弟の王子?」
ランヒルド王子が頷いた。ここに来た初日に私達を観察しに来た少年のことだ。私達よりも年下に見えたけれど、それなりに責任ある立場のようだ。
この国の諜報について詳しく聞いてみようとしたところで扉を叩く音がする。
「はあい」
「馬鹿! 出る前に相手を確認しろよ」
王子の言葉が耳に届く前に、勢い良く扉を開けてしまった。そこには。
「エゼキアス様!」
運動をするような軽装だ。花の香りと共に、空色の瞳を細めて微笑んでくれる。
「ランヒルド殿下がここにいらっしゃると聞いたものだから」
「何だ、婚約者を訪ねて来たんじゃないのか」
いつの間にか王子が後ろに立っていた。
「実は、兵同士での鍛錬に飽きてしまいました。出来れば、殿下にお出ましをお願いしたく参りました」
「鍛錬か⋯⋯」
妃殿下の護衛はグンネル国の人間が行うし、我が国から一緒に来た兵士達は私達が町に行くときの護衛くらいしか仕事が無い。暇を持て余していると言っていた。
「いいだろう。着替えて行く」
「良かったら、ジェルマナ嬢とヴィオラも一緒にどうかな。殿下の素晴らしい剣さばきを見せてもらうといい」
「行きます!」
驚いた事にヴィオラが勢いよく答えた。エゼキアス様も少し驚いたような顔をした後に、いつもの微笑みを浮かべた。
「殿下、構いませんよね」
「嫌みだなあ」
王子はひどく不機嫌そうだったけど反対はしなかった。
着替えてから合流するという王子と別れて稽古場に向かう途中、スヴェアヒルダ妃殿下の姿を遠目に見かけた。大勢の人を従えて颯爽と歩く姿は溌剌としていて、我が国に居た時の物憂げな雰囲気とは別人のようだ。私達に気がついたようで、こちらに向かって来る。
私達はグンネル国の正式な礼儀作法に則って最高の敬意を表して控えた。
「何だか久しぶりね。どうしたの? ずいぶん畏まって」
いつもよりも明るい笑い声を上げると、私とヴィオラの手を取って立たせてくれる。そして、少し距離を置いて控えるエゼキアス様に気がつくと、少し悪戯めいた微笑みを浮かべて、何と彼の手を取って立たせた。
「妃殿下、こんな真似をなさっては!」
エゼキアス様が狼狽えて、慌てて手を引っ込めてまた足下に控えた。
我が国でもこの国でも、尊い身分の女性が目下の男性に触れる事はない。よほど身近な従僕か、特別な関係。
「あら、自分の近衛兵に触れる事の何が悪いのかしら。あなたは、私の近衛兵でしょう? 頼りにしてるわ」
朗らかな笑い声を響かせて、妃殿下は大勢の人を従えて去って行く。
「今までとは全然違う。ねえ、ヴィオラ。あれが本来の妃殿下のお姿なのかな」
ヴィオラが私の手をぎゅっと握った。
「そうかもしれないわね。あの窮屈な牢獄に戻られるより、ここにいらっしゃる方がずっと幸せなのかもしれないわね。あなたもそう思う?」
珍しくヴィオラがエゼキアス様に話かける。エゼキアス様は、魂でも抜かれたように妃殿下の後ろ姿を見つめたまま、何も言わなかった。
◇
「くっそ、もう一度だ!」
兵士に強く打ちかかられて、ランヒルド王子が木剣を取り落とす。王子はあまり武術が得意ではないようだった。とはいえ、我が国からここに来ているのは、近衛兵が二人と、選りすぐりの騎士が数人だ。武術の達人を前に、子供のようにあしらわれても仕方ないだろう。
「王子だから、何でも出来るのかと思った」
私がこっそり言った悪口を耳ざとく聞きとがめて睨まれる。
「うるさいな。僕は体より頭を使う方が得意なんだよ。武術が得意な奴を使えば全く困らないからね」
それでも体を動かすのは気持ちがいいと言って、めげずに鍛錬に混ざっている。
「王子はああ言っているけど、太刀筋は美しいし、客観的には相当強いと言えるよ」
エゼキアス様は優しく王子を庇う。
「でも一番強いのは、近衛兵ですよね? 他の誰も叶わないんですよね?」
「あはは、ジェルマナ嬢は優しいな。私に気を遣ってくれているのかな」
笑われてしまう。救いを求めるようにヴィオラを見ると、困ったような顔をしている。
「皆が騎士の道を選ぶとは限らないでしょう。あなたのお兄さんにも、騎士になりたかったけど官僚になった人がいたんじゃない? そのお兄さんは弱かった?」
「ううん。兄弟で一番に強かった。頭も一番良かったから泣く泣く官僚になったの」
「そうでしょう? ほら、あなたの伯爵だって相当な腕前だって有名よ」
「私の伯爵って! 何て言い方をするの!」
「官僚の中には、未だに運動の為に鍛錬を続けている人も多い。悔しいけれど、私達を凌ぐ腕前を持つ人間だっている。⋯⋯腕が立つ伯爵といえば、アデルバード伯爵かな。君の婚約者は彼だったのか。それなら、今度、手合わせをお願いしてみたいな。君からお願いしてもらえないだろうか」
ヴィオラが珍しく失敗したという顔をして、私に目で謝る。
「違います! アデルバード伯爵と私は何の関係もありません! 私の婚約者はカティアス・ピレス様です」
「そうなのか?」
エゼキアス様が腑に落ちない顔をしている。恋する相手に、今の婚約者を強調するのも変な話だ。
(恋する⋯⋯?)
私はエゼキアス様の沼のような瞳を見て以来、彼にときめかなくなっていた。むしろ、少し近寄りたくないという気持ちすら芽生えている。
「ジェルマナ?」
ヴィオラの何か問うような視線から、つい目を逸らしてしまった。大丈夫、約束したのだから婚約者交換の話は、ちゃんと進める。
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