情報戦
「いいな、自分が言うべき事は分かっているな」
緊張しすぎて吐きそうだ。あの扉の向こうにはアデルバード伯爵がいる。演技が苦手な私がやり遂げられるだろうか。
「殿下、緊張しすぎて気持ち悪いです」
「大丈夫だ。緊張している方が現実味が増すし、下手な演技を見抜かれにくい」
「分かりました」
ヴィオラが無言で私の肩を強めにぽんと叩く。私は頷く。
カティアスとの出来事を王子とヴィオラに報告している間に、伯爵から私に呼び出しの手紙が届けられた。王子とヴィオラはあっという間に作戦を立て、私にそれをたたき込んだ。頭の中で言うべきことがぐるぐる回っている。
ぎくしゃくと歩き、伯爵の執務室の扉をノックする。すぐに開いて中に通された。
「待っていたよ、ジェルマナ」
両手を広げ今にも抱きついて来そうだ。私は慌てて深く挨拶の礼をする。抱きしめられたくないから、声を掛けられるまでじっとその姿勢で待った。
「私と君の仲じゃないか。そんなに畏まるな」
従順な態度に気を良くした伯爵は、私に椅子を勧めてから自分も座った。伯爵の執務机はとても大きくて、手を伸ばしても私には届かない。少し安心して息をついた。
「婚約者殿から聞いたと思うけれど、私と君の仲を伝えてしまった。本当は全て準備が整ってからのつもりだったけれど、君の婚約者が結婚なんて言うものだから、頭に血が上ってしまった」
(伯爵と私の仲⋯⋯まるで私が結婚を承諾したみたい)
「彼は、私達には障害を乗り越えられないと考えているようだ。私が進める準備にも気がついていないはずだから、安心して待っていて欲しい」
私の気持ちが伯爵にあると信じて疑わない様子が怖い。思い返してみたけれど結婚に同意していないはずだ。
「彼が両親に報告したとしても、彼らの立場で私には何も言えない。私や父の不興を買う事を恐れて、君達の結婚話は一旦止まるはずだ。私が正式に申し入れしないから、不安だっただろう。申し訳ない」
「いえ、お気持ちを伺う事が出来て、大変光栄に思います」
「そうか。⋯⋯あの男が君の婚約者だと思うと気分が悪い。婚約だけでも破棄させるよう手配しようかと思う。進めていいね?」
「そのことなのですが⋯⋯」
私は深呼吸をした。王子に指示された言葉を間違えないように口に出す。
「私が浮ついていたからでしょうか、スヴェアヒルダ妃殿下に恋心を知られてしまいました」
「え?」
「婚約も結婚も家の意思に従うものなのに、感情で決めるなんて間違っていると大きなお叱りを頂きました」
私は顔を伏せて、涙の出ていない目元をハンカチで押さえる。
「浮かれていた自分が恥ずかしいです。私なんてミントン侯爵家に従わない家の出ですし、取り柄といえば文字が多少上手く書けるくらいで、閣下には釣り合いません」
王子は学が無く、気が利かず、役にも立たずと、私にもっとひどい謙遜をさせようとしていたけれど、勝手に省略させて頂いた。
「せっかくのお気持ちですが、身の程を弁えましてお断りさせて頂きます」
「ちょっと待つんだ」
伯爵は立ち上がって机に勢いよく両手をついた。書類の束が床に落ちて散る。
「皇太子妃の言う事なんて気にするな。どうせあんな女、もうすぐこの国からいなくなるんだから」
「皇太子殿下が、あれほど愛していらっしゃるのに?」
「愛なんて関係無い。あの女を追い出す計画は、もうほとんど成功している」
「え? どうして?」
思わず飛び出した素直な質問につられたのか、伯爵があっさり答えてくれる。
「もうすぐ、離婚させて国に戻すと決まっている。その後も邪魔させないよう、サーレス国と話がついている」
(サーレス国?)
地図を思い浮かべる。この国とサーレス国で小さな妃殿下の出身国を挟んでいなかっただろうか。サーレス国は妃殿下のグンネル国を侵略しようとしていて、それを阻止して守ってもらう為に、妃殿下はこの国に嫁いできたはずだ。この国とサーレス国とは敵対関係なのに、話が付いているとはどういう意味なのだろう。
動悸が激しくなった。私はこっそり部屋を一周見渡す。ランヒルド王子が、部屋の会話が筒抜けになるよう細工をしたと言っていた。ちゃんと聞いているだろうか。
「そんな事が本当に出来るのですか? 私の想いを妨げるあのお方を本当に退ける事が可能なのですか」
両手が白くなるほど握りしめる。緊張で手が震えそうだ。それをどう解釈したのか、伯爵は嬉しそうに笑うと机を回って私の前に立った。
「そう遠い事じゃないよ。一月も経たないうちに、父と一緒にウルス国に経つ。それで全てが上手く行く。君は私を信じて待っていればいい」
「ウルス国で何を?」
「それは、上手く行ってからのお楽しみだ。待っていてくれるな?」
「ほ、本当に私でよろしいのですか?」
これ以上は情報を得られないだろう。でも、この場をどう締めくくれば良いのか分からない。王子は適当なところで退出するように言っていた。
(適当なところって?)
考えながら伯爵の瞳を見つめてしまった。それは、伯爵を恋慕う令嬢の演技としては完璧だったようで、伯爵は興奮したように私に一歩近づいた。
「君がいいんだ」
熱を帯びて潤んだ瞳はとても美しく、もし伯爵の気持ちが本当で、私もこの人を好きになれたら、とても幸せだったかもしれないと思う。ほんの一瞬だけエゼキアス様のことを忘れてしまいそうだった。
(危ない! 容姿は麗しいのよね)
でも抱きつかれるのは不愉快だ。私はヴィオラの言った事を思い出して立ち上がる。
(えっと恥ずかしそうに顔を伏せて、斜め後ろに下がる)
真っ直ぐよりも斜めに下がる方が追い詰められにくいと言っていた。
「あなたを信じて、お待ちしております」
小さめの声でつぶやくように言う。伯爵は恥ずかしがっていると思ってくれたようだ。それ以上は私には近寄ろうとはせずに、平和に部屋を退出することが出来た。
私の演技は二人が失敗を覚悟していたよりは上手かったようで、珍しく褒めてもらえた。
「ジェルマナのおかげで、あいつらの企みも見えてきた。お手柄だな」
「どういう企みですか? 私には全然分かりません」
「さて、僕は色々と準備があるから忙しい。ヴィオラ、君は何となく分かってるんだろう? ジェルマナに教えてやれよ」
「承知しました」
ヴィオラと王子は、二人しか分からない視線で会話をする。多分、私とヴィオラは同じくらいの情報しか持っていないはずなのに、どうしてヴィオラは何でも分かるんだろう。
(二人が私を馬鹿だって言うのも間違ってないんだろうな。私は考えごとには向いてないんだわ)
割り切ってしまえば気が楽だ。次に私がやるべきなのは、ヴィオラとカティアスが会う手はずを整えること。でも、昨日の夜、あんなに感情的な態度を取ってしまったから、次にどんな顔をして会えばいいのか分からない。
手立てを思いつけないまま、交流の返事ももらえないまま、日が過ぎてしまう。ヴィオラからも催促は無い。
でもすぐにそれどころではなくなった。ある朝、侍女を集めたスヴェアヒルダ妃殿下は告げた。
「私はグンネル国に戻ります」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます