私は常に自分のためにしか動きません

 グルル、と、自分の中の狼が唸る。のらりくらりとあからさまに、こちらを「怒らせて」、自分たちを常に被害者に演出しようというのは、一体誰からの悪知恵なのか。教会も役所も福祉も法律も変わりやしない。

 「今の経済は人を殺す経済です」とは、我らが教皇ラスボスもよく言ったものだ。くそが。

 金のためなら何でもする、なら良い。金は好きだ。キリスト教徒たるもの、金よりも愛がどうのこうのと言うべきなのだろうが、金は万国共通の「価値観」だ。感情を精算する最も合理的な単位である。

 だが、「保身」は許せない。許さない。許してなるものか。連中のとぼけたツラ、こちらがキチガイだと余裕綽々のツラ、念だけで殺せるくらいに憎らしい。

 金でもなんでもいい。「身を切る」ことにこそ重きを置く我らにとって、温かいところから「お祈りします」という言葉ほど腹立たしいことはない。彼らのその言葉は、「関わりたくない」という意味であり、聖書だ神だキリストだと宣う精神からは離れている。

 離れているのは別に構わない。問題は離れていることに気づかないか、気づいていないフリをしているということだ。


「   。」


 名前を呼ばれる。何も引き裂くことが出来ない爪は指の第一関節に変わっていて、飢えた狩人の口から迸る垂涎は生温い呼気になり、獲物を食いちぎることの出来ない牙は乳を吸うための唇に変わっている。


 どんなに憎苦にくい相手がいても、自分には何も出来ない。


 そんなことないよ、と、爪を指に、涎を液体に変え、牙と牙が触れ合う。

 貴方がいるから、頑張れる。そう言って、早鐘を打つ内臓に間接的に触れて、心臓を揉むようにする。

 硬い牙が柔らかい唇に戻り、強ばった爪は解けて細い指に戻り、冷えた1本1本に温かいそれが絡みつく。


「はやい。」


 心臓を落ち着かせる掌に合わせられるように、怒りを吸い取り、唇から零れるものを優しいものに変えていく。

 少し落ち着いては思い出し、少し暴れては大人しくなり、を、繰り返す。縄で雁字搦めになった虎を虎のまま愛して、人間の膝の上で、眠るように。喉仏を晒すように。


 やがて虎は眠る。

 一度生えた牙は決して抜かれることはなく、伸びた爪も隠されることはない。自分は四つん這いで這いつくばって生きていく生き物だと気づいたなら、決して「人間」には戻れない。

 虎共は「人間」の振りをして人間社会を作っている。虎と、それを自覚していない虎、そして自分を二足歩行していると教えられている未来の虎で構成された「人間社会」の中で、虎の姿のままで、虎であることを公言して歩けば、それは爪弾きにされる。誰も自分が虎であることを認めたくないからだ。

 時には石を投げてくる虎もいる。虎の言葉を解そうとしない虎の言葉は、よく聞こえる。

 よつあし歩行の自分には、流れる涙を拭う手はなく、「ヨツと関わりたくない」という虎どもは、決して自分の視界には映らないところから自分と「向き合う」。


 だからこそ。


 目の前に汚れたがあったとしたら、それだけで分かる。

 それは、虎の姿をした、神であると。


「…主よ。」


 目が覚める。すぐ隣で眠っている誰かは居ないし、温もりもない。近くに人の気配はなく、静かだ。


「感謝します。天にまします我らが父よ、…。」


 移り香だれかのいのりが、自分の指を絡めさせた。

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