第28話 暗号(3)

 レマがエンターキーを押した瞬間、白地の地形図に点々と黄色が現れた。

 しかし、期待に反して最後の一文の意味が見えてこない。


「六箇所の『十字架』……ギール、どれの事なの……?」


 アミラが視線を向けてくるが、ギールは奥歯を噛み締める事しかできなかった。


「分からない……やはり先に三行目の『正義』を読み解かないとダメなのか……」


 ギールは額を押さえて呻いた。


(一体、何なんだ……? 『正義』……まさか、十字架が違うのか? いや、そんなはずは……)


 思考が空回りする。焦りが加速し、冷たい汗が顔を伝う。

 残り十五分弱。だが、九時までに起爆停止ボタンを押さなければならないのだ。

 謎解きに残された時間はもっと少ない。

 何かないのか。何か、解読の手掛かりは——。


「……何で、分からないんですか……?」


 静寂を破って、弱々しい声が聞こえた。ギールはギクリと振り返る。

 ユートが俯いて拳を握り締めていた。


「皆さんは……凄い魔法が使える、凄い人たちなんでしょう? 母さんの居場所くらい、魔法で簡単に分かるんじゃないんですか……?」


 しん——と空気が静まり返った。


「ば、馬鹿っ……!? お前、何を……!」


 トマスが慌てた様子でユートの頭を押さえ込み、自分も頭を下げた。


「息子が失礼な事を……本当に、申し訳ございません……!」


 ギールは硬直したまま動けなかった。

 真っ先に動いたのは、カイスだった。


「いえ、良いんです。不安にさせちゃったのは、僕たちの力不足ですから」


 カイスはユートの前まで歩き、膝をついて目線を彼よりも下げる。

 そして穏やかにユートに語りかけた。


「ごめんね、そんな魔法はないんだ。もしかしたら古代魔法にはあるかも知れないけど、現代では明らかにされてないんだ」


 言い聞かせるような、優しい声で。


「確かに僕たちは強い固有魔法を使える。魔法の才能に恵まれてる。だけどね、僕たちが天才なのは、自分の固有魔法に対してだけなんだよ」

「えっ?」


 ユートが目を見開く。


「固有魔法はできる事が限られてる。僕たちってね、実は独りではできない事だらけなんだよ。ごめんね、こんな頼りない話して」


 ユートは——「魔法の天才」に憧れていた少年は、言葉を失っていた。


「でもね、そこで諦められないのが僕たちなんだ。足掻あがいて、足掻いて、僕たちはそうやって何度も道を切り拓いてきた。だから信じて欲しいな。君のお母さんは、絶対に助けるから」


 ユートは呆然としたようにカイスを見つめていたが、やがて顔を他の職員たちに向けた。

 ゆっくりと視線を動かして、最後にギールを見た。

 ギールはどんな表情をしたら良いのか分からなかった。自分が今、どんな表情をしているのかも。

 しかし目だけは逸らさず、その視線を受け止めた。ユートの瞳は揺れていた。


 そして、ユートは静かに頭を下げた。


「すみません、でした……俺、何も知らなくて……」

「良いんだよ。だけど、もう少しだけ待っててね」


 カイスが立ち上がって、ユートの頭をポンと撫でる。

 それからこちらを向いて、


「というわけでギール君、あとは任せた」

「了解しました」


 カイスは本当に、人の心に寄り添う事が上手だ。

 彼がいなければ、ユートは精神的な重みに耐え切れなかったかも知れない。

 カイスは自らの役目を存分に果たしてくれた。だから次は、自分の番だ。


「大丈夫です。メリンダさんは絶対に助けます」


 もう一度告げる。そしてギールは身体に力を込めて写真に向き直った。


(あと一つ……見えていない何かがあるはずだ)


 暗号文を最初から読み返す。




『Mortui non dolent.(死者は悲しまない)

 te deum landamus.(神であるあなたを褒め奉る)

 Justitia nemini neganda est.(正義は何人に対しても否定されず)』


『I became the K.(IはKになった)

 You are always under the sunshine.(あなたはいつも太陽の光の下にいる)』




 ギールは最後の一文を人差し指でなぞった。常にヒントであったこの文章。


「この『あなた』は俺たちの事を示している。だとすれば、答えが見えていない現状も『太陽の光の下にいる』事になるのか……?」


 呟いて思考を整理する。


「答えを見るためには夜が関係している……?」


 夜にならないと見えないもの——。


「……星?」


 一つの可能性が頭をよぎった。

 周囲の視線が集中する中、ギールは思考を巡らせる。


「六つの星……『正義』……そうかっ!」


 ギールは勢いよくレマに振り返る。


「レマさん、縮尺を少し小さくお願いできますか? もう少し……もう少し……あった、ここだ!」


 レマに指示を飛ばしていたギールは、地図の一点を指差した。


「この範囲を拡大して下さい」

「これくらいね?」


 レマがマウスを操作する。ギールは頷いて、


「ええ。印刷をお願いします。あと、この部分の航空写真を見せて欲しいです」

「了解よ」


 事務室の中央に置かれたプリンターが動き始める。

 エフィーが駆けていき、出力された地図を回収してきてくれた。


「ありがとう」


 エフィーから地図を受け取ってテーブルの上に広げる。

 ギールは赤ペンで、地図中の黄色い部分を線で繋げた。

 できあがったのはいびつな長方形。そして、その一組の対頂点から斜め下に伸びる二本の直線。


「これは……?」

「一般的な『てんびん座』の形だよ。『てんびん座』は『正義の女神』が持っていた天秤てんびんと言われているんだ」

「……! ここで『正義』に繋がるのねっ!?」


 アミラに頷いてから、ギールは全体に向けて説明する。


「星座とはあくまでも星空を占める領域の事であって、正式な星の繋ぎ方は定められていないんです。『てんびん座』にも六十以上の星が属するのですが、その中で目立っている六つか七つを繋いで、このような図形を描く事が多いんです」


 与えられた十字架の個数も六つだった。


「正義の女神は、天秤を使って人間の善悪を測っていたと伝えられています。測るためには、皿に乗せなければなりません。だからきっと」

「確かに!」


 パソコンで航空写真を見ていたレマが、興奮したように声を上げた。


「左の皿に当たる部分に、倉庫みたいな建物があるわ! 位置データを転送するわね」


 数秒後、ギールのスマホに地図が表示された。

 そこそこの距離がある。フラッドが時計を見て焦ったような声を上げた。


「きっと間違いない。リミットまで十分を切っている。急ぐぞ、ギール!」

「ええ、行きましょう!」


 身体強化しんたいきょうかを施し、ギールは事務室から飛び出した。

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