第61話 「それっぽくない」結婚(ノア視点)

 大魔導師としての仕事に復帰して、しばらく経った頃。

 僕はアイシャの両親に呼び出されていた。


「大魔導師様。アイシャのこと、ありがとうございました」


 僕の前に現れた彼らは、僕に向かって深々と頭を下げた。

 予想していた対応と違って、目を瞬く。


 アイシャは魔法学園に通いたいと言い出した。あれだけ勉強熱心なのだから当然だとは思う。

 あの魔力量では正直厳しいものはあったが――それを知識と機転でカバーできるだけのものを、彼女は持っている。

 僕もそれをサポートしたし、この前の入学試験の結果も上々だった。


 てっきり、普通の貴族学校に入れたかっただろう両親から文句を言われるのかと思っていたのだが。


「あの子からもとてもよくしていただいていると聞いています。魔法学園に入れたのも貴方のおかげだと」

「いえ。アイシャさんの努力の結果です」

「それだけ努力できるものを見つけられたのも、幸せなことです」


 そういうもの、かもしれない。

 魔法と接しているアイシャは、いつも楽しそうだ。魔力の少なさに時々歯がゆい思いをしているようではあるが――きっといい魔法使いになる。

 そう思わせるだけの熱意と、理解力があった。


「ですから――これ以上を望むのは、我々の我儘です。我々がしてやりたいだけのことで……あの子はそれを、望んでいないかもしれませんが」


 アイシャの父親が、そこで言葉を切った。

 そして一つ息をついて、覚悟を決めたように、切り出した。


「……そろそろ、潮時ではないでしょうか」


 何のことか、は、聞かなくても分かった。

 アイシャのことだ。彼女の両親が僕に話すことなどそれしかない。


「神託とはいえ、あの子には辛い思いをさせました。もちろん……貴方にも、本意ではないことだったでしょう」


 まるで自分のことのように、苦しそうに言う父親。

 その肩にそっと寄り添って、母親も唇を噛んで俯いている。

 両親が彼女を思う気持ちが、伝わってくる。アイシャは愛されているのだと、傍目にも分かった。


「その状況の中で、貴方があの子を大切にしてくださる方でよかったと、本当に感謝しています」


 そう言われるが……大切に出来ていたかは分からない。

 うるさいくらいに明るくて、元気で。

 魔法が好きで、お菓子が好きで。

 ただ彼女に引っ張り回されるうちに、日々が過ぎていったような気がする。


「ですが……あの子はまだ子どもです。まだ自分の将来のことを自分で決断できるほど、成熟していません」

「あの子に、可能性を残してやりたいのです」


 黙っていた母親が、口を開いた。

 可能性、という言葉が妙に耳に残る。


 アイシャと手を繋ぐとき、いつもその手の小ささに驚いたことを思い出す。

 こんなに小さな手で、こんなに小さな体で――目を離したら、死んでしまいそうだと思った。

 実際は僕よりもよほど元気はつらつだったが。


「誰かを愛したり、愛した人と結婚したり、そうでなくとも……結婚した相手と、互いに愛し愛されるような。それが出来る可能性を、あの子から奪わないでやりたいのです」


 そうか、と思った。

 結婚というのは本来そういうもののはずで。

 僕にとってはそうではなかっただけで。

 誰かを愛して、愛されて。

 そうなる未来が、きっと、アイシャには。


「ですから、どうか……よろしくお願いします、大魔導士様」



 ◇ ◇ ◇


 

 もともと、謹慎期間が終わったら離縁するつもりだった。

 自分が誰かと結婚するなんて思ってもみなかったし、半年の我慢だ、と思っていたくらいだ。


 実際に始めてみれば、アイシャとの生活は、結婚生活というより……ただの同居というか。

 だが、何故だろう。二人で暮らしているうちに……この生活には終わりなんてこないんじゃないかと思っていた。

 何となく――いつまでもこうして2人で、暮らすのかと。

 何故だか、いつからか。そう思っていた自分に驚いた。


 いつものように髪を乾かしてやりながら、アイシャの金色の髪に指を通す。

 ずっとそばで見ていたから気づかなかったが……このうちに来た時と比べると、頭の高さが全然違う。

 大きくなったな、と思った。


 お腹が空いたと騒ぎ立てることもなくなった。

 魔力を使いすぎて倒れることもなくなった。

 いつの間にか、お腹をトントンしてやらなくても眠れるようになった。


 スペンサー公爵家の子どもはアイシャ一人だ。家のために必ず、結婚はついてまわる。

 僕と離縁したら、アイシャは――誰かと、結婚するのだろうか。

 こういう「それっぽくない」結婚じゃなくて、ちゃんとしたやつを。

 確かに大きくはなった。もともと結構ませているというか、大人びたことを言ったりもする。


 だが、それでもまだまだ、子どもだ。

 6歳なんてもってのほかだが、12歳だって早すぎる。

 学園を卒業する頃には、なんて彼女の両親は言っていたが……実際はどうなるのか分からない。

 もし妙な男を連れてきたら、ジェイドと一緒に追い払ってやろう。


 まぁ、僕に紹介する義理なんて、ないんだけど。


 ――「あの子に、可能性を残してやりたいのです」


 そう言われてしまうと、僕には返す言葉がない。

 だって僕には、先生がいる。

 先生以上に、誰かを好きになれるとは思えない。


 僕よりはマシな男は、世の中にはたくさんいるはずだ。



 ◇ ◇ ◇



 だが。


「だって、諦めなかったら――負けじゃないですから」


 アイシャが魔法学園に旅立つ日。

 ――この家を、出ていく日。


 彼女が、妙なことを言い始めた。

 その言葉は……先生のそれと、あまりに瓜二つで。

 驚いて、彼女の顔を見つめてしまう。

 先生とは似ても似つかない金色の瞳が、僕を映していた。


「旦那さまが諦めなかったから、私はここにいるんです」

「何言って、」

「旦那さまが――グレイスを、諦めなかったから」


 アイシャが、こちらを振り返る。風が彼女の長い髪を空に揺らした。


 僕はこの話を、アイシャにしていない、はず。

 いや、少しは話したことがあるかもしれないが、そんなに詳細には話していないことは間違いない。

 それなのに、こうまで先生の言葉をなぞるように、話すということは。


 死者の蘇生。術式は完璧だった。なのに先生は生き返らなかった。何故だろうと思っていた。

 ……もし。

 もし、成功していたと、仮定したならば?

 たとえば先生そのものではなく――新しい、一つの生命として?


「旦那さま」


 アイシャが僕の名前を呼ぶ。

 ぐるぐると思考が回るばかりで、言葉が出てこない。

 咄嗟に彼女に向けて手を伸ばすが――すでに、転移の魔法陣が発動した後だった。


「ありがとうございました!」


 元気のいい、最後まで彼女らしい声だけを残して、その姿がかき消える。

 僕の手が空を切った。

 ぽかんとして、誰もいなくなった庭を眺める。


 は?

 ……は?????


 何だそれ。

 何だ、それ!!??


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