第53話 お花を摘んできます
転移の魔法陣で、街の中心街に降り立った。
突然周囲が喧騒に包まれて、音の洪水に圧倒される。
お日様が眩しいだけではなく、人や馬車、物が纏う色の多さに目がちかちかしてしまう。
「いい、絶対手離すなよ」
「はい!」
ノアが周囲の音に負けないような声量で言う。
負けじと返事をしながら、彼の手を握り返した。
二人で手を繋いで、街を歩く。
結婚式の後もパーティーの時も目的地と森の家の往復しかしていなかったので、街に出るのは初めてだ。
王都からは離れていると聞いたけれど、街の大通りはそれなりに賑わっていて、たくさんの店が軒を連ねていた。
大通りのすぐ横を川が流れていて、ボートを浮かべて野菜を売っている商人もいる。
水路がいくつも枝分かれして、それ自体が道のようになっていた。
街に暮らす人の生活用水としてだけでなく、運搬用の水路としても活用されているのだろう。
あそこに魔法薬の店がある。見たい。中を見たい。ラインナップが知りたい。買い物したい。
あちらにはヌガーのお店が出ている。すごく甘そう。食べながら歩きたい。
ふわりといい匂いがしてきた。パン屋だろうか。
パンは毎日食べるからいくらあってもいいと思う。保冷庫に入れたら時が止まる気がするからたくさん買っても大丈夫では。
「おっと」
ものすごく目移りしながら歩いていると、ノアが私の肩にそっと手を載せて身体を引き寄せる。
何かと思ったら、向かいからふらふらと男の人が歩いてきて、ノアの肩にぶつかっていった。私がぶつからないように庇ってくれたようだ。
男は謝りもせずふらりふらりと去っていく。完全に千鳥足と言った様子だった。
まだ夕方に差し掛かったところだというのにずいぶん酔っ払っているようだ。賭け事にでも負けてやけ酒でもしたのだろうか。
男は何かをぶつぶつと呟きながら、また人にぶつかりつつも大通りを歩いていく。
ノアに促されて、男から視線を外して正面に向き直った。
瞬間、ふっと覚えのある匂いに気が付いた。
甘ったるくて、それでいてどこか、ツンと鼻につくような。これは、酒臭いというより――
「にじいろ」
かすかに聞こえた声に、弾かれたように振り返る。
男の姿は路地裏に消えていくところだった。
その言葉に、思い当たった。
そして、思い出した。この匂いの正体を。
繋いでいたノアの手を振り払って、男を追って走り出す。
どの店に入ろうかとあたりを見回していたノアが、あっと声を上げた。
「ちょっと!」
「お、お花を摘んできます!!」
適当な言い訳を叫びながら、私は全速力で路地へと飛び込んだ。
思い出した。あの匂い――マンドラゴラだ。
マンドラゴラを精製した幻覚剤を使うと、意識がクリアになって、気分が良くなる。そして、幻覚を見る。
私は使ったことがないけれど――経験者に聞くところによると、光が激しく明滅したり、世界がカラフルに見えたりするらしい。
そして強い中毒性があり、薬が切れてくると酩酊状態になり、誰かに追われているという脅迫観念に取り付かれ――再度薬を求めるようになる。
カラフル。言い換えれば、虹色。先ほどすれ違った男も、前にパーティーで会った男もそういっていた。
つまり――彼らはマンドラゴラを使った幻覚剤の、中毒患者だ。
この街は水路が張り巡らされている。
それはマンドラゴラの生育に必要な水が豊富にあるということだ。
街が近ければそれだけ運搬のコストがかからないし、販路の確保もしやすくなる。人が多い場所の方が顧客の獲得にも有利だ。
私は確信した。
生産場所が、この近くにある。
街の中を運河に沿って走る。精製には火を使うから、煙が流れても苦情が出にくい場所がいい。
栽培にはある程度のスペースがあった方がいいし、中心街からは少し離れた場所にするはず。
だけれどあまり離れた場所にしては地の利を生かしにくくなる。
それにある程度広さのある通りに面していないと、いざ何かあって逃げるときに商品を運び出しにくい。
アドレナリンが出ているのか、不思議と息は切れなかった。しばらく走って、大通りから2本ほど奥の通りに工房のような建物を見つけた。
外観は古ぼけていてあまり使われているようには見えないけれど、煙突からは煙がもうもうと上がっている。
隣は鍛冶屋と派手な看板のショーパブだ。
まだ開店前のはずのショーパブからガンガン流れてくる香水の匂いに混じって、わずかに、マンドラゴラの匂いを感じ取る。
建物の裏に回る。マンドラゴラは陽の光を嫌うので、窓には覆いが掛けられているけれど……割れた窓から、隙間を覗ける場所を見つけた。
水の流れる音、そして小さな、子どもの寝言のような音。
間違いない。
確信して、割れた窓にさらに一歩、歩み寄る。窓の桟に触れて、指先に魔力を集中させ、魔法陣を描いた。
「《解錠》」
音を立てないように注意しながら、窓を開ける。
窓枠によじ登って、中に侵入する。窓の近くに積み上げられた木桶にぶつかってしまったけれど、部屋には人の気配はなかった。
まだ日があるのに薄暗い室内。
だんだんと目が慣れてきた私の視界に広がったのは――部屋一面の、マンドラゴラ畑だった。
「おい! 何やってんだ!」
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