第4話 砕かれた希望


 ミリエラの荷物は何も無かった。

 ジョイルが「リチャード卿に渡せ。お前は絶対に開けるな」と言って持たせたやけに軽いカバンの他には、着の身着のままだった。

 しかもジョイルの最後の言葉は、


「何かあった時、肉体変容ムタティオはお前自身で掛けたと言え。私は関知しない」


 だった。娘に掛ける言葉とは到底思えない。


 その上古書は全て禁書なので持ち出すことなどできず、メイドが何かを用意してくれるということもなかった。

 普通であれば、結婚すると言うなら豪華なドレスや宝石などを持たされるはずなのに。


 流されるまま乗った馬車が動きだし、家が遠ざかっていく。

 かつては良い思い出もあったはずだが、十年以上に及ぶ苦痛の日々はそれを忘れさせてしまった。


 だが、今は少しだけ思い出せる。

 ティア姉様の笑顔。写真などは持っていないから正確には思い出せないが、その雰囲気は思い出すだけで暖かな気持ちになれた。


 地下書庫の古書たちにも、たくさんお世話になった。

 中には破られたり燃やされたりしたものもあったけれど、ここまで生を繋いでこれたのは間違いなく古書たちのおかげだった。

 知らない知識や、新しい物語たちは、荒んだミリエラの心にただ優しく寄り添ってくれたのだ。

 ……ありがとう。

 これからは、誰かのために生きていけたら……!




 ――――いつの間にか完全に日は暮れ、馬車は夜道を走っていた。だが、そろそろ到着するはずだ。しなければ、おかしい。

 こんな、夜に?

 流石に失礼が過ぎるのではないだろうか。


 疑問を内に隠しきれず、ミリエラは聞いた。


「あ、あの、こんな夜にお伺いして、大丈夫なのでしょうか? それに、私……何も持っていませんし」


 おどおどと聞くミリエラを一瞥し、ジョイル以上の平坦さをもってメイドが答える。


「リチャード様にもご了承を頂いておりますのでご心配なく」

「こ、こんな小さな荷物だけで良いのでしょうか……」

「そうですね。明日にでも追加で届くのではないですか」


 それだけ言って、メイドはそっぽを向いてしまった。

 あまりに無感情な言葉すぎて、本当か嘘かすらわからない。

 それ以上聞くに聞けず、ミリエラも俯いてしまう。


 しかし思考を巡らせる暇もなく、馬車は目的地に到着した。


 ……訪れたヘンデル家は、アーギュスト家と比べてみすぼらしい屋敷だった。

 男爵家はこのくらいが普通なのかもしれない、と世間知らずのミリエラは己に言い聞かせる。


 なされるがまま部屋に通されると、奥に腰掛けている若い男が目に入った。

 リチャード・ヘンデルその人だ。

 無造作な黒髪に黒目――全てを見下したようなその目つきに、ミリエラは反射的に怖いと感じた。


「よォ。リチャード・ヘンデルだ。ジョイルさんから話は聞いてるよ。お前が俺の婚約相手だってな。ええと、名前は――」

「は、はい。アーギュスト子爵家の三女、ミリエラ・アーギュストでございます」

「なるほど。ミリエラ、ね」


 母や姉に謝罪をする時のような声音になってしまう。爵位は下のはずだが、リチャードは少しも敬意を払っていない。

 そして立ち上がり、無駄に芝居がかった動きで近づいてくる。


「さ~て。そンな薄汚いドレスで送り出されて、お可哀想に! 我が花嫁になるお方だ、綺麗にしてやらねばなァ」

「え、あ、はい。如何すればよろしいでしょうか……」


 たじろぐミリエラに、リチャードは嘲笑しながら近づく。


「お~っといけない。そ、の、ま、え、に。オレはこう見えて疑り深くてなァ。花嫁相手でも身体検査は怠らないワケよ。物騒なモン持ってたりしちゃァ、命に関わるからなァ」

「そんな! 私は何も持っていません!」

「ハハ。物騒なモンってのはさぁ、"物"だけとは限らねぇワケで」


 そう笑いながら、仰々しい動きで右手を掲げ、指をパチンと鳴らす。目が青く輝く。

 続いて彼の身体へ巻き付くように魔術式が現れ、


魔術解除イレクト=イレイス

「ぅあっ」


 ミリエラの目にバチリと衝撃が走り、膝が折れる。既視感のある衝撃だ。

 コツコツと嗤い声のような靴音が響き、リチャードが近寄ってくる。

 そしてミリエラの髪を鷲掴みにし、上げた。


「痛っ」

「おや? おやおやおや? おやおや。こ、れ、は。どういうコトだ~?」

「ど、どう、とは……っ」


 掴まれた髪ごと地面に叩きつけられる。


「その目の色!! アーギュスト家は碧眼の一族だと聞いていたが? これはどういうコトかな?」

「そ、それは目の色を変える、魔術を……」

「ほうほう。肉体変容ムタティオか。誰かに掛けられたのかな?」

「おと……」


 言いかけて、ジョイルに言われたことを思い出す。従う意味も理由もわからなかったが、これまでの生活で染み付いた服従の癖が出てしまった。


「わ、私が……自分で。掛けました」

「へぇ~~~。なぜ」


 感情の無い目が向けられる。人を見る時にする目ではない。


「そ、その。私の目は、忌むべき、色、ですから……」

「だから自分で目の色を変えたと。そしてこのオレを欺いて結婚しようとしたと」

「そ、そんなことは!」

「でもおかしいよなぁ。アーギュスト家は碧眼、だもんなァ? そうすると……お前はアーギュスト家の人間ではない。そうだろう?」


 疑問形のはずだが、全くそう聞こえない。次に続く言葉がわかりきっているようだ。


「い、いえ! 私はアーギュスト家の三女……」

「黙れこの魔女が!」


 蹴り飛ばされ、苦痛を覚えると同時に肺から息がなくなる。言葉が紡げない。


「アーギュスト家はアルネス・アーギュスト一人しか娘がいないと。そう聞いていたんだがなァ!? そうだよな、ジョン」

「はい。私めもそう伺っております。坊ちゃま」


 傍らに控えている老執事も、台本を読むかのようにそう答えた。


(そんな、これって、もしかして……)


「こんな婚約は破棄だ! 魔女が一人で我が家を、この俺を、誑かしに来たってワケだからな! しッかし愚かなバカ魔女だなァ! 一人娘の名前を覚え間違えてくるとは、とんだ間抜けだよ!」

「この者、如何致しますか」

「そ~だなぁ。貴族に対する結婚詐欺は重罪だ。本当ならここで斬り殺したって良い。でもオレは寛容だ!」


 そう言ってリチャードがくつくつと笑う。その目は、人を絶望に落とすことに快楽を感じている者のそれだ。


(間違いない、これは……)


 ミリエラは心の中で天を仰ぎ、祈る相手もいないのに目をぎゅっと閉じる。


「魔女がウチに来ましたよっと。どうぞ実験体にしてくださいと。ハハハハハ……! 売るだけで・・・・・勘弁してやるよ! あ~高値で売れるだろうなァ! 忌むべき目の色をした魔女なんざ、見たことねェからよォ!」


 ……騙された。

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