【09】丸太小屋


 その日の夜だった。

 月も星も見えぬ暗黒の夜空の下に、角灯ランタンの明かりが三つ……。

 バエル公は南の城門を後にすると、二人の薄汚い身なりの男と共に森の中へと足を踏み入れる。この者たちは冒険者崩れの破落戸ごろつきだった。

 その下卑た笑いを浮かべる男たちに連れられ、バエル公は鬱蒼うっそうと生い茂る針葉樹の間をしばらく進む。

 すると、木立の向こうにぼんやりとした明かりが見えてくる。それは、森の中の開けた場所に建つ丸太小屋だった。

 その入り口の前に、二人の男が立っている。破落戸の仲間である。彼らも木々の合間から近づいてくる角灯ランタンの明かりに気がついたようだ。

 一人が角灯ランタンを持った右手を大きくあげて振る。そして、バエル公たちが小屋の前にたどり着り着くと、もう一人の猫背で一際醜い男が嫌らしい笑みを浮かべながら言う。

 彼はスカム。この破落戸集団のリーダー格の男であった。

「小屋の中でお楽しみが待ってますぜ……」

 スカムが親指で小屋の入り口を指すと、他の三人も肩を揺らして笑い出す。

 バエル公は特に取り合おうとはせずに、懐から革袋を取り出し、四人の方に放り投げた。がちゃりと重々しい金貨の音がして、地面に落下した。

 スカムが革袋を拾いあげ、紐を解いて中を覗いた。目を輝かせて微笑むと、バエル公に向かって言う。

「……では、今回もここであった事は誰にも喋りませんし、小屋の中で何があったのかも詮索しません」

「うむ。いつも通り見張りを頼む。くれぐれも中を覗くでないぞ?」

「解ってますって」

 その返事を背中で聞くと、バエル公は丸太小屋の中に姿を消す。

 スカムたちは、近くにあった切り株を囲んで地べたに座り、カードゲームを始めた。


 ◇ ◇ ◇


 縄の軋む音。

 うめき声。

 恐怖で濡れた瞳が、眼窩がんかの中でごろごろと動く。そこに映し出されたのは無表情のバエル公だった。

 小屋の中央。簡素なテーブルの隣で、縄で縛られた少女が横たわり、芋虫のように蠢いていた。猿轡さるぐつわを噛まされた口からは大量の涎を垂れながし、悲鳴にならない声をあげている。

 そんな少女に向かって、バエル公は優しく語り掛ける。

「怖がらなくていい」

 そして、着ていたフードつきのマントを脱ぐと、それを暖炉の左の壁から飛び出したフックに掛けた。それから再び少女の元に立つと、腰に提げていた護身用の剣を抜く。

 少女の呻き声がより一層大きくなる。上半身を起こして後退りする。

「死を恐れるな」

 そう言って、バエル公は猛禽類もうきんるいのように血走った目を見開き笑う。

「……君はとなる事ができるのだ。喜ぶがいい」

 少女に向けて、剣の切っ先が振りおろされる。それは頭蓋を叩き割り、眉間を深々と切り裂いた。生温かな飛沫を飛び散らせ、少女の上半身は床の上に力なく仰向けとなって倒れ込んだ。頭の裂け目から止めどなく溢れ出る泡立った血潮が扇状に床へ撒き散らされる。

 少女は白眼をむいたまま、ぴくりとも動かなくなってしまった。

 バエル公はテーブルの上にあった布切れを手に取り、剣をぬぐうと鞘に戻した。そして、暖炉の右横の壁にかけられた鹿の剥製の左角をつかんで捻る。すると、死んだ少女のすぐ近くの床板が跳ね上がり、隠されていた秘密の階段が現れる。

 バエル公は少女の身体を両手で抱えあげ、持ち上げた。すると、頭の裂け目から砕けた脳漿のうしょうが床にぼろぼろとこぼれる。

 しかし、バエル公は特に気にする事なく、そのまま長い長い隠し階段を降りる。下へ下へ向かうごとに腐臭が強く感じられ、暗闇の向こうでざわめく虫の羽音が大きくなっていった。

 やがて、小屋の中の明かりが届かなくなった頃、魔法の照明がひとりでに灯され、その禍々しい風景が闇の向こうから現れる。

 そこはかつて、グンガリ族が崇めていた古の邪神の教会であった。元々は鍾乳洞で、プルト王城の大広間が収まるくらいの広さはある。

 その床には、これまで人さらいにさらわれ、この場所に連れてこられた少女の死骸が無数に転がっていた。どれも身体の一部を酷く傷つけられ、おびただしい数の蛆に犯されていた。

 そして、この空間の最奥の壁際だった。

 首のない邪神像があり、大小二つの台座が並んでいる。

 小さな台は木製で、何かの動物の毛皮が敷かれており、その上には小刀や金槌、のみのこぎりといった様々な工具と、裁縫道具、いくつかの薬瓶が置かれていた。

 一方の大きな台は石で出来ており、この場所に元々あった物のようだった。そこには干からびた全裸の少女の木乃伊ミイラが乗せられている。

 その少女の木乃伊は、ゴミのように床に散らばった他の少女の遺体とは違い、手足や腹、首や顔にいたるまで、呪術的な刺青が刻まれている。そして、手足の付け根や腹、首などに糸で縫ったあとがあった。

 階段を降りたバエル公は、その台のある場所に向かい、床に抱えていた少女を下ろした。それから石の台の上にあったつぎはぎの少女の木乃伊の方へ視線を移すと顔をしかめた。

 そして、少女の木乃伊を台の上から床に引きずり落とし、代わりに新たな少女の死体を乗せ、纏っていた粗末な衣服を小刀で切り裂いて脱がす。

「顔が全然違うな。次は、もう少し顔の似ている少女を頼むか……その首をすげ替えれば、もしや」

 そう言って、バエル公は小刀から鋸に持ち変えて、その波打った刃を死体の首にあてがった。鋸を引き出すと粘り気のある音が鳴り響き始める。

 バエル公はサマラの魂を邪悪な秘術で現世に呼び戻そうというのだ。しかし、呼び戻した魂を現世に留めておくためには器が必要となる。彼は今からその器を少女の死体で作ろうとしていた。

 当然ながら、彼が行っているのは禁忌に触れる行為で、見つかれば、ただではすまない。それでも、バエル公はやり遂げるつもりでいた。

 前回は少女の死体で作った器に降りたのは、サマラではない別人の魂で、意味の分からない事を叫び散らすだけだった。その前は犬か何かの獣の魂が降りてきて、吠え声をあげながら暴れ回ったので、捕まえて首を跳ねた。

 四十名近くの少女を犠牲にしているにも関わらず、未だに芳しい結果は得られていない。

 焦る気持ちはあったが、邪神像の前で少女の死体を切り刻んでいるだけで、闇に堕ちたといわれるサマラと一緒になれたかのような心持ちになれた。罪なき者の肌を刃でけがすにつれて、バエル公は胸の中の欲望を激しく昂らせていった。

「いひひひひひひひ……」

 不気味に笑い少女の首を切断した。その頭部を台の上から転がして落とす。

 そうして、再び小刀に持ち変えて、鳩尾みぞおちから下腹部に向かって一気に切り裂き、切れ目に両手を突っ込んで鮮やかな桃色のはらわたを掻き出した。それを足元に置いてあった青銅の壺に向かって放り投げる。すると、果実の潰れたときのような音が鳴り、壺の中から無数の蝿が一気に舞い上がった。

 バエル公は叫ぶ。

「聖女よ! これが私の愛です! 世界のすべてが貴女を蔑もうとも、私だけは貴女の味方です! どうか暗闇の底より、そのお声を私にだけお聞かせください!」

 しかし、聞こえて来るのは虫の羽音のみだった。

 

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