第2話 魔女の羅針盤
さて、遡ること1日前。サーリス王国の王城にて、夜会が催されていた。広間にはがやがやと多数の貴族たちが集まる。豪奢なシャンデリア、磨き上げられた大理石の床。そこここに上質なテーブルが置かれ、人々のドリンクがそこに並んでいる。壁側にはソファがいくつも置いてあったが、今はまだ座って話をするような時間ではない。
男性たちは政治の話。そして女性たちはもっぱら人々の噂話に花を咲かせていた。社交界というものはいつもそのようなものだ。話をしながら、入場の名乗りに聞き耳をたて、誰が来たのかをうかがっている。
「ナーケイド伯爵家より、マールト・レマンズ・ナーケイド様」
広間の入口に金髪ですらりとした男性がその場に現れると、女性たちがみな色めき立った。男性たちは「ああ、やつが来たか」と笑い合って、そこそこ好意的な様子だ。
「まあ、御覧になって。マールト様よ」
「ああ、相変わらず素敵ですわ……第二騎士団長になってからというもの、更に男っぷりがあがったと評判ですものね。今日は伯爵代理でいらっしゃっているのね」
「まだ婚約者がいらっしゃらないのが嘘のようね」
「あら。あなたのところの娘さん、狙っていらしたんじゃ?」
女性たちの噂の的になっている男性は聖騎士マールト。21歳。通称、白銀の騎士。金髪の髪に美しい碧眼、甘いマスク。すらりと立つその出で立ちは立派で、誰もが彼に憧れると言われているほどだ。ナーケイド伯爵家の次男で、現在第二騎士団長になったところだ。
そして、入場の名乗りが続く。
「ユークリッド公爵家より、ノエル・ホキンス・ユークリッド様」
ざわざわと女性たちは手にした扇子で口元を隠しながら、男性たちはこそこそと噂を始める。
「あら……ノエル様もいらしたのね」
「ノエル様も先日第三騎士団長になったというお話ですわ」
「パートナーが必要ない会だから来たんだろうな」
「ノエル様がパーティーにいらっしゃるなんてお珍しい……あの陰気な仮面を見ると憂鬱な気持ちになりますわね……」
「シッ、聞こえてしまいますわよ……」
マールトの次に入場したのは、同じく聖騎士ノエル。24歳。黒い髪に赤の瞳、顔の上半分を覆う仮面をつけている。その髪色と瞳の色で、ついた名前が夕闇の騎士。鼻筋の感じすら隠してしまう仮面は、幼い頃にうけた呪術の解呪後、残ってしまった醜い痕を覆っているのだと言う。マールトと並び立つと、いくらか肩幅ががっしりしている。彼もまた聖騎士の称号を得た稀有な存在であったが、人々には「聖」騎士って感じがしないと陰で言われていた。
彼らは現在、このサーリス王国で唯一聖騎士の称号を得ている。いわゆるエリート中のエリートだ。2人はライバルでもなんでもなく、マールトはノエルに親しく話しかけ、ノエルはそれを面倒くさそうに、だが邪険にせずに共にいる。そういう仲だ。マールトが二ヶ月前に第二騎士団長に抜擢されてからそう時間がかからず、ノエルもまた第三騎士団団長になり、以前ほど共にいる時間がなくなった彼らが仕事以外で共に並ぶのは久しぶりだ。
酒が入ったグラスを2人が給仕から受け取るのとほぼ同時に、国王と王妃の入場が高らかに告げられた。人々は手にしたグラスを一旦テーブルの上に置いて、頭を下げる。
「良い。みなの者。頭をあげるがよい」
国王からの言葉に合わせ、人々はゆっくりと頭をあげた。パーティーの場ではあったが、ここは王城。当然のように玉座が用意されており、そちらに国王と王妃は座っている。
「明日から5年ぶりに王妃が里帰りをする。3ヶ月、王城を留守にするので、みなの者、今日は王妃と語り合うが良い」
たったそれだけのためにパーティーか、とノエルは心の中でため息をついた。これから、数多くの貴族が王妃に声をかけるために並ぶのだろう。まったく、面倒なことだ。
顔に出すも出さないも仮面だからバレないと思っていたが、マールトがこそっとノエルに声をかける。
「顔に出ているぞ」
「馬鹿な。仮面で顔なんて見えないだろうが」
「ははは、だが、当たっているだろう?」
むう、と口をへの字に曲げるノエル。と、国王がその時「第二騎士団長、マールト・レマンズ・ナーケイド」とマールトを呼んだ。
「はっ」
慌てて一歩前に出て膝をつくマールト。
「明日から、第二騎士団に王妃の護衛を命じる。3ヶ月の遠征、王妃をくれぐれも頼んだぞ」
「はい。第二騎士団の名誉にかけて、必ずや王妃様をお守りすることを誓います」
「うむ。その言葉、忘れるではないぞ。では、みなの者、しばらく歓談をしつつ、踊りたい者は踊るが良い」
正式な行事というわけでもないため、乾杯は省かれた。が、その国王の宣言と共に、マールトのところには貴族令嬢たちが一気に群がる。そして、他の人々は王妃に声をかけるタイミングをうかがっているようだ。
「マールト様、もし、よろしければわたくしとダンスを……」
「あら、マールト様、是非ともわたくしと……」
「レディたち。申し訳ないのですが、少々彼と話がありまして。それが終わってからでよろしいでしょうか」
マールトが言う「彼」はノエルのことだ。ノエルを出されてしまえば、貴族令嬢たちは渋々従わざるを得ない。あら、そんなお話の前に、まずは一曲……と無理強いを出来る相手ではないとわかっているのだ。
正直、自分の名を出せば良いと思っているんだろう、とノエルはいささか不満だったが、どうやら今日のマールトはきちんと「話すこと」があるようだったので許した。
「ノエル。ちょっと」
「ああ」
2人はグラスを手に持って、早々にバルコニーに向かった。
「ノエル、明日例のポーションの受け取りに行く約束をしていたんだけど……」
「ああ。お前、明日から遠征だよな」
「そうなんだよ。だから、ちょっとポーションの在庫をお前の騎士団の在庫分から分けてもらって良いだろうか?」
「ああ、勿論だ」
「それで、ポーションも取りにいって欲しいんだ。金の受領があるということと特別な品だから、第一騎士団長か第二騎士団長のみに権利が与えられていたんだが……」
彼が言う「例の」ポーションと言うのは、城下町を外れた郊外の湖近くに住んでいる「魔女」が作るポーションだ。普通に流通しているポーションより随分と効きが良く、しかもそこには魔力を含まないと言う。材料の確保や製法に時間がかかるため、決まった数しか作れない。
そして、あまりそれを大っぴらに表立って知らせれば、人々がその魔女のところに群がってしまう。それを回避するため、歴代の第一、第二騎士団長だけがそのポーションの授受を行っていたのだと言う。
第一騎士団長は三十台後半で、彼らにとって先輩だ。マールトはその第一騎士団長からポーションの受け取りを2ヶ月前から依頼をされ、既に何度か魔女の家にいっているのだと言う。さすがに、もう一度第一騎士団長に任せるわけにもいかないので……と彼は続けた。
「ああ、それなら俺が行こう。しかし、魔女か……」
ノエルは少しばかり警戒をする。彼らの周囲にも「魔法」を使う者は何人かいるが、魔女となると話は違う。普通、魔力を持つものたちは属性を持ち、その属性に従って術を覚える。が、「魔女」はそうではない。属性を特に持たず、ありとあらゆる魔法を使いこなす者だと聞いた。
その中でも「魔女」の特徴は、多くの物理的なものを作り出すこと。薬師でも作り出せない薬を作り、錬金術師でも作り出せない物を作り出す者。それらの頂点に立つ者が魔女と呼ばれる。そして、そんな人物は滅多にいない。いや、伝説のような、幻のような、とすら言われている。
そのポーションを作る魔女は、王城にも、魔法研究所にも、どこにも属していない「野良」らしい。だが、野良なのに腕が良いと。
「魔女と言っても普通の女性だ。少しのんびりしたところがあるぐらいの」
「そうか。わかった。お前は気にせず、遠征に行って来い」
「助かる。いやあ、しかし遠征とは言っても、王妃様のご実家に行って、狩猟祭に参加をするだけなのでね……」
「5年に一度の行事だ。頑張れよ」
「ありがとう。これ、魔女の森までの地図。それから、これが『魔女の羅針盤』だ」
「羅針盤……?」
そう言ってノエルはマールトから薄汚れた小さな羅針盤を受け取った。手のひらに乗せたそれはどう傾けても針は動かない。マールトはノエルに地図を広げさせた。
「城下町を抜けて、郊外に出て、ここにある森に入って欲しい。そこからは、この羅針盤が示す方角に進むんだ。この羅針盤がなければ、魔女の家にはたどり着かない」
「そうなのか……? よくわからんが……」
「よくわからないところが、魔法なんだろう。だから、これは絶対に無くさないでくれよ」
「わかった」
「金は、明日経理担当者からもらってくれるかな」
「うん」
そこまで説明すると、マールトは「仕方がないので、ダンスでもしてくる」と肩を竦めた。彼は誰にでも愛想が良いが、本来はそこまで社交的なわけではない。今日は伯爵家の代理で参加をしているが、彼はなんだかんだやはり「聖騎士」なのだ。
彼が率いる第二騎士団は明日の朝から王城に行き、そこから王妃の里帰りに付き合わされる。王妃の里帰り先は、馬車で4日はかかる辺境の土地。そして、行った先で2か月半ほど滞在をして、そこで行われる狩猟祭に参加をするのだ。それが、5年に一度は行われる一種の王室恒例行事だ。
だが、マールトはそのことを特に気負わない。彼はそういう人物だった。彼にとってはすべてのことが「その程度か」と言えるようなことで、彼の心を焦らせることがない。それが彼の長所でもあり短所でもあった。人々は、第二騎士団長就任後にすぐそんな任務が……と彼を憐れむ者もいたが、彼自身は「3か月は長いなぁ」程度にしか思っていない様子だ。
ノエルは「やれやれ」と呟き、中に戻るマールトを見送った。それから、星空の下で羅針盤と地図をもう一度眺める。羅針盤がなければ魔女の家にたどり着けないなんて、なんとも眉唾ものではないか……そう思いながら。
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