第8話 レティシアの覚悟
降り注ぐ月の銀光。腕の中には、月の女神が顕現したかのような美しい
だが、その時、突如人の気配がして、セリアを離すと振り返る。
「誰だ?」
その視線の先にあったのは、しかし、敵意を持った人間では無く、見知った女性の顔だった。
「レティシア様?」
「す、すみません、覗くつもりは無かったのですが、すみません、すみません」
レティシアは顔を真っ赤にしながら、焦った様子で弁解してくる。
「お二人がテラスに行くのが見えたので、三人で乾杯しながらお話がしたいなあって思って……。それだけだったんですけど、お邪魔だったでしょうか? ……って聞くまでも無いですよね?」
見ると彼女は右手に一つ、左手に二つ、器用にカクテルグラスを持っている。乾杯しに来たといったセリフに嘘は無さそうだ。まあ、お邪魔かと問われれば、お邪魔極まりないのだが、それを素直に言う訳にはいかない。それにこのまま他国の宮廷で情欲のおもむくままに行動してるわけにもいくまい。
「いえ、構いませんよ。レティシア様もどうぞこちらに」
その言葉に、あからさまにホッとした表情を浮かべたレティシアは小走りぎみに近寄って来る。その彼女からグラスを受け取ると、三人で杯を合わせた。
「乾杯」
チンっとグラスの重なる音が耳に心地よい。少し甘めのカクテルもなかなかに美味である。最初の気まずい雰囲気が紛れたところで、レティシアに気になっていたことを訊ねてみた。
「レティシア様は、今日は軍服を着ていらっしゃらないのですね」
それが気になっていた。婚約式にも軍服では無く、ドレスで出席していたことが。騎士をやっているのはただの我儘と言っていたが、もはや軍服を纏う必要は無くなったのだろうか。
「ああ、これですか? 父に『自由に生きていい』と言われましたし、大使業務に専念するのに騎士団勤務は両立しないので、退団しました」
「えと、『自由に生きていい』とは?」
「先日のラキウス様とのやり取りで、父は私をあなたに嫁がせるのを完全に諦めたんですよ。他の男に嫁げと言われるのも覚悟したのですが、好きに生きろ、と。まあ、父なりの愛情なのかもしれませんね。単純に政略結婚の道具はもう間に合っているというのもあるかもしれませんが」
確かにレティシアは第7王女。と言うことは上に姉が6人いる訳だ。他に王子も5人いると聞いているし、一人くらい好き勝手に生きる娘がいても許容範囲なのかもしれない。だが、その説明に頷くわけにもいかず、なんとも言えない曖昧な表情を浮かべただけでやり過ごそうとしたら、セリアが口をはさんできた。
「ご結婚は考えていらっしゃらないのですか?」
「ええ、お転婆姫の噂が国内には広まってますし、今さら良縁に恵まれるとも思いません、何より、今は結婚よりも、大使として、オルタリアとアラバインの懸け橋になりたいと思っています」
「そうなのですか……」
ごく短いやり取り。その後、セリアは黙り込んでしまった。どうしたのだろう。セリアの機嫌が悪い。一方、レティシアはそれには気づかないのか、言葉を重ねる。
「まずは、ミノス神聖帝国との戦争が一段落したところで、例の技術供与の件なども含めた同盟の深化についてご相談させていただければ」
「そうですね。ソフィアとサルマ参事官の間で議論してもらうのでよろしいでしょうか?」
「ええ、キャスリーンも喜んで引き受けると思います」
同盟関係の議論は一義的には外務卿の管轄下だが、軍事技術供与の件は軍務卿の管轄でもある。二つの部署にまたがる以上、俺のところで取りまとめた方がいいだろう。また、ソフィアには面倒な調整をお願いすることになるが。一方で、レティシアは微苦笑を浮かべた。
「ごめんなさい。パーティーの席で、こんな仕事の話をしてしまって」
そうして、半分以上空いたグラスを改めて上げる。
「ラキウス様、私、今、とても充実しています。王室の要らない子だった私が、アラバイン王国とオルタリア王国の間を取り持つ大役を任されて。ラキウス様には感謝してもし足りません」
「私は何もしていませんよ。レティシア様が自ら努力なさったからでしょう」
「いいえ。あなたが以前『決めつけで自分の可能性に蓋をするなんてもったいない』、そうおっしゃって下さったでしょう。あの言葉が私に勇気をくれたんです。だから、ありがとうございます」
そう言って微笑むレティシアの顔は晴れやかだった。その彼女は今度はセリアに向き直ると頭を下げる。
「セーシェリア様、いろいろと申し訳ありませんでした」
「え?」
「父の決めたこととは言え、お二人の結婚に割り込んで、かき回すような真似をしてしまいました。もうあのような事は致しませんので、ご安心ください」
「え、と、……大丈夫なのですか?」
戸惑いながら問われた言葉に、レティシアはチラリと俺を見て、セリアに視線を移す。
「ええ、もう心の整理はついています。お二人にはご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。今日は、それをお伝えしたかったんです」
再度頭を下げると、レティシアは笑顔で去っていく。その彼女を見送りながら、セリアが呟いた。
「私、自分が恥ずかしいわ」
「セリア?」
「レティシア様が、結婚しないで大使業務に専念するんだって言った時、ああ、この人はラキウスの側にいたいから大使なんてやってるんじゃないかって思ってしまったの。そんな下種な勘繰りをしてしまった自分が恥ずかしい」
そうか、それで機嫌が悪かったのかと合点がいく。確かにその思い込みは褒められたものでは無いかもしれない。だが、それも俺を想ってのことだと考えれば、彼女を責めることは出来なかった。
「大丈夫だよ。セリアのそんなヤキモチ焼きなところも大好きだから」
「もう、からかわないで」
プクっと頬を膨らませるセリアがこの上なく可愛い。宥めるように彼女の髪を撫でながら、オルタリアのお転婆姫との今後の外交交渉、その行く末に思いを馳せるのだった。
二日後、帰国の日がやって来た。
港に見送りに来たフィリーナは少し不安そうだ。何しろ、彼女はこれからレドニア宮廷に一人だ。何人かの侍女は連れてきているけど、頼りになる身内や有力者はいない。本当に大丈夫だろうか。
「フィリーナ、大丈夫か? 宮廷で嫌なこととかされてないか? 陰口叩かれたりとか」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。急にどうしたの?」
「いや、お前が不安そうに見えて。大丈夫かなって」
「もう、お兄ちゃん、心配しすぎ。そりゃ家族みんなと離れるのは少し不安だけど、ルナール様だけじゃ無くて、周りのみんなも優しいから大丈夫」
そう口では言うが、兄を心配させないようにと無理していないだろうか。
「嫌なことがあったら、いつでも帰ってきていいからな。レドニアとのことは気にするな。俺が必ず守ってやるから」
「お兄ちゃん、いい加減にして! 早く妹離れしなさい!」
怒られてしまった。いや、それにしても妹離れしろ? あれ? 俺がいつも兄離れしろって言ってた方だと思うけど。あれ? どうしてこうなった?
周りを見ると、セリアも笑いを嚙み殺している。
「ラキウス、フィリーナちゃんももう立派な大人なんだから、認めてあげないと」
「う、うん、そうだね……」
呆然としてしまったが、こんな事ではいけない。気を取り直さなければ。改めてフィリーナに向き直る。
「フィリーナ、半年後にはお前は結婚してこの国の人間になる。俺がお兄ちゃんでいられるのはそれまでだ。その後は、俺は別の国の王太子として、公人として相対することになる。それまでに覚悟を決めておくんだぞ」
「うん、わかってる。ありがとう、お兄ちゃん。大好きだよ」
「ああ、俺も大好きだよ。……セリアの次にな」
「もう! いい雰囲気が台無しだよ、お兄ちゃん!」
不満そうに唇を突き出すフィリーナと睨み合った後、二人してクスクス笑いあう。これならもう大丈夫だろう。そう確信して俺は帰国の途についた。幸せな気持ちに包まれて。
だが、帰国後、王宮で出迎えたソフィアの第一声は、そんな浮かれた気持ちを一瞬で吹き飛ばしたのだった。
「ラキウス様、エルミーナが死亡しました。何者かに殺されたのです」
========
<後書き>
次回は第7章第9話「彼女の生きた証」。お楽しみに。
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