39.清々しく、心地よい朝に

「おはようっ、リジン」

「起きてるかー?」


 コンコンコンッと景気よくドアをノックすると、すぐにリジンが出てきた。目はまだ眠たそうに見えるが、髪は寝ぐせ一つついていない。


「お、おはよう。どうしたの、朝早くから」


 フフランとにっこり笑い合ったロティアは、リジンの手を取った。


「リジンに話したいことがあるの。ちょっとわたしの部屋に来てくれない?」

「ここじゃダメなの?」

「うん。見せたいものがあるんだ、リジンに」


 リジンは首をかしげながらも「わかった」と答えた。



 手早く着替えを済ませたリジンが出てくると、ふたりと一羽でロティアとフフランの部屋に向かって歩き出した。


「急にごめんね。まだ寝てた?」

「ベッドの上でぼーっとしてただけだから、大丈夫だよ」

「そういやリジンって、朝は決まってベッドでぼーっとしてたな」


 ふたりと一羽はクスクスと笑った。



 窓の外では朝日が街を照らし始め、鳥たちが美しい鳴き声を響かせている。清々しい、心地よい朝だ。


 こんな素敵な日に、こんな素晴らしいことが起こるなんて。

 そう思うと、ロティアの足取りは自然と軽くなった。




 部屋に着くと、ロティアはドアを開けてリジンに先に入るように手で示した。リジンは「お邪魔します」とつぶやいて、フフランと一緒に中に入った。ロティアもすぐに中に入り、ドアを閉めた。


「来てくれてありがとう、リジン。見せたいものは、ベッドの向こう側にあるの。見てみてくれる?」


 リジンはキョトンとした顔のままコクッとうなずき、ゆっくりと部屋の奥へ進んでいく。

 その後ろ姿を、ロティアとフフランは固唾を呑んで見守る。


 「……あっ」という声と共に、リジンの足がピタリと止まった。


 ロティアとフフランは顔を見合わせてうなずき、リジンの傍まで歩いて行った。そして、床の上を見てにっこりと笑った。


 ふたりと一羽が見ているもの、それは、リジンが描いた絵だった。

 中央に大きな噴水が置かれ、ハトとハリネズミが給水をしに集まっている、平和な昼下がりの絵だ。


 リジンは口元に右手を当てて、立ち尽くしている。その体がぐらりと揺れたのに気が付くと、ロティアはリジンの肩を後ろから支えた。


「大丈夫、リジン?」

「……あ、いや、え、だって、どうして」


 リジンの群青色の瞳が水気を帯びてフルフルと震え、呼吸はハッハッと浅くなり、額に汗がにじんでいる。

 ロティアはリジンの背中をゆっくりとなでた。


「落ち着いて聞いて、リジン。昨日の夜、インクを別の瓶に移し替えようとしたの。そしたら外で大きな音が鳴って、驚いて瓶を落としちゃったんだ。それで、こぼれたインクをよく見たら、ハトの絵の形に飛び散ってる部分があったの。フフランが気づいてくれたんだ」

「それでロティアの杖を使って、インクをさらに床に塗り広げて行ったんだ。そしたらこの絵がよみがえって来たんだよ」


 リジンは震える声で「……塗り広げた?」と繰り替えす。


「そう。わたしの魔法は、杖の先でインクに触って、紙からインクを取り出すことができるでしょう。だから、『床の上から取り出さずに、ただ触って広げる』っていうイメージを強く持って杖を使ったら、うまくいったの。わたしがリジンの絵を真似て描いたわけじゃなくて、インクを広げていくうちに自然と絵がよみがえったんだ」


 「……そんなことが、あり得るの?」とささやくリジンの声はかすれている。


「ウソは言ってないよ」


 リジンは勢いよくロティアに振り返った。リジンの震えるまつ毛に小さな雫が宿っている。


「ウソだとは、思ってないよっ。……でも、だって、そしたら、俺の、絵は」

「うん。もう一回見られるかもしれないんだ、リジンの絵」

「リジンが、絵の全部に同じだけ愛情を持ってたから、ちゃんと残ってたんだよ、インクの中に」


 リジンの瞳から、雫がぽろっと床の上に零れ落ちる。まるで雨のように、とめどなく床に降り注いでいく。

 ロティアの瞳からも、涙が零れ落ちていく。

 ふたりは絵から少し離れ、抱き合って泣いた。フフランはロティアの頭の上にとまって、リジンの髪に羽根を這わせる。


 リジンの花のような香りも、つややかな髪の柔らかさも、泣き声が混じった呼吸の音も、こんなに近くに感じたのは、あの嵐の日以来だ。そのすべてを、ロティアは愛しく感じた。

 そんな風に思うほどリジンに触れたかったんだとわかると、ロティアはますます涙がこぼれてきた。

 今、抱きしめているのがリジンだということが、何よりもうれしかった。


「……ありがとう、ロティア、フフラン」

「……わたしたちが、リジンの絵を、見たかっただけだよ」


 リジンは小さく首を振る。


「……お、俺も、だよ。全部が、描いた絵全部、大事だった。失いたくなかった」

「それじゃあ、みんな幸せってことだよな、リジンの絵が見られて。オイラも幸せだ」


 ハトのフフランは涙を流すことはない。それでも震えている声には、涙が混じっている。その声で、リジンはますます涙をこぼした。しかしその顔には、微笑みが浮かんでいた。

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