33.喜と哀
移動遊園地には中央の巨大なメリーゴーランドの他に、ローラーコースター、空中ブランコ、ミニゲームコーナー、それから観覧車があった。キャンディーやポップコーン、お土産を売るワゴンも所狭しと並び、そのすべてが色とりどりの花で飾られている。街灯を繋ぐガーランドにも花が吊るされ、花畑の中に遊園地が落ちてきたような光景だ。
どこを見ても美しく、ロティアとフフランは頭が外れそうになるほどぐるぐる頭を動かしながら歩いた。
花の形をした電飾で飾られたメリーゴーランドが目の前に迫ってくると、陽気な音楽と、金色や銀色の馬や馬車に乗る子どもたちの声が聞こえてきた。
「あの広そうな馬車にしようか」
リジンは青色の四人乗り馬車を指さした。周りの馬車よりも入り口も中も広々しているように見える。
「良いね。王様気分だ」
ソペットはニコニコしながら答える。
「わたしは馬に乗ろっかな。乗馬気分を味わってみたいし」
「あら、ロティアさんも馬車に乗りましょうよ。スカートだし、大変じゃない?」
「大丈夫ですっ。小さい女の子でも乗れてますから」
音楽が止まると、笑顔を浮かべた乗客たちがぞろぞろと出口へ向かっていく。少し経ってから入口が開き、お利巧に待っていた子どもたちが一斉に駆け出した。
ロティアは子どもたちに交じって中へ入っていき、青色の馬車の前に陣取った。子どもたちは馬車には興味がないようで、父親に馬の上に抱き上げてもらっている。
「ありがとう、ロティアくん」
「いえ。足元気を付けてくださいね。ソペット王様」
「ふふふ。ご苦労、ご苦労。褒めてつかわそう」
にっこりと笑ったソペットが一番奥に座り、その向かいにマレイが座る。リジンはソペットの杖を馬車の壁に立てかけると、ロティアの方を見た。
「ロティアはどの馬に乗る? 手伝うよ」
「おおっ、気が利くな、リジン」
「えっ! い、いいよ! 今日ブーツだし、中にちゃんとペチコートも履いてるよ」
ロティアがブンブン手を振ると、リジンは優しい笑みを浮かべた顔を横に振った。
「念のためについて行かせて。どれにする?」
「ええ……。……えっと、じゃあ、この馬にしようかな」
ロティアは手を伸ばした先にあった銀色の馬を見上げた。夜空色のたてがみがある馬は、電飾でキラキラと輝いている。
「遠慮してない?」
「してないしてないっ! ありがとう、リジン」
「わかった。じゃあ、気を付けてね」
馬の首を貫く主柱に手をかけ、お腹から延びるさび付いた足置きにブーツをかける。リジンはすぐ隣に立って、いつでも支えられるように両手を広げている。その優しさに嬉しくなったロティアは、グッと力を入れて飛び上り、あっという間に馬の上に着席した。
宙からロティアを見守っていたフフランは、ホッとしながら馬の頭に降り立った。
「ほらっ。大丈夫だったでしょう、リジン」
同じ目線の高さになったリジンは、もう一度笑ってうなずいた。
「でも、降りる時も気を付けてね。すぐに来るから、一人で降りないで」
「もうっ、リジンったら心配しすぎだよ。十分気を付けるから。ありがとう」
そう答えると同時に、発車のベルが鳴った。リジンは「あとでね」と言って、馬車の中に戻って行った。
「リジンは相変わらずいい奴だな」
フフランは馬の頭の上に座り込んだ。
「……うん。優しいね」
ロティアはにやけてしまわないように気を付けながら、メリーゴーランドの中を見回した。
誰もが期待に胸を膨らませ、頬を赤く染め、ニコニコしている。
後ろの青い馬車を見ると、リジンがドアを閉めたところだった。
青色の馬車に乗る濃紺色の髪をしたリジンは、青色を司る妖精の王子様のように見える。絵になるな、とロティアは思った。
音楽が流れだすと、メリーゴーランドはゆっくりと動き出した。馬は上下に動きながらぐるぐると回っていく。
九月の少し涼しくなった風が感じられ、ロティアは清々しい気持ちになった。
「ちょっと空を飛ぶのと似てるな。風を切る感じが」
「確かに! 良い気持ちー!」
ふたりは髪と羽根をフワフワと揺らしながら、乗馬気分を楽しんだ。
銀色の馬を三分も走らせると、徐々に回転が遅くなっていった。音楽も終わりに近づいて行く。
ロティアは右足を左側に動かして、馬に横乗りをした。こうすればメリーゴーランドが止まった時に、飛び降りるだけだ。
「おいおい、気をつけろよ、ロティア」
「大丈夫だよ。ロゼ兄さんの馬の後ろにこうやって乗せてもらったことなら一回だけあるから」
「一回の経験で得意になられてもなあ」
カッチャンという部品がかみ合う音が鳴り、メリーゴーランドはピタリと止まった。馬に乗っている子どもたちは、父親を待って足をブラブラさせている。
ロティアは周りに人がいないことを確認してから、主柱から手を離して、「えいっ!」と飛び降りた。
トンッとブーツの底が音を立てて、着地成功。フフランは「うまいなっ」と声を弾ませた。それと同時に、「あっ!」と声が上がった。リジンが馬車のドアを開けている。
「ロティア、大丈夫だった?」
駆け寄って来たリジンの眉間には、しわが寄っている。言葉と表情がまるで一致していない。ロティアは思わずフフッと笑ってしまった。
「ごめん、リジン。でも大丈夫だったよ。足もケガしなかったし。それよりもソペットさんを手伝わないと」
リジンは小さく頬をふくらませて、「んん」と答えた。ますます眉間にしわが寄っている。
「あーあ。ロティアが無茶するから、リジンが怒っちゃったぞ」
「えっ! ご、ごめん、リジン!」
駆け寄ろうとしたロティアの前を子どもがターッと駆け抜けていくと、リジンは口から空気を抜いた。そして、口元に手を当ててフフッと笑った。
「怒ってはないよ。ロティアは本当にたくましいね。かっこいい」
「本当に怒ってない?」
「怒る理由がないよ。ケガしてないならよかった。さあ、降りよう」
メリーゴーランドを降りると、四人はそばにあったポップコーンのワゴンでポップコーンを二袋と瓶入りのジュースを四人分買った。
少し開けた場所に置かれた二つ並んだベンチに座って、ポップコーンを食べ始める。気前の良い店員がフフランには味をつけていないポップコーンを分けてくれたため、フフランも喜んで食べた。
「メリーゴーランドなんてリジンが子どもの頃に乗ったきりだったけど、すごく楽しかったわ。馬車の中、すごくきれいだったのよ。満点の星空が描いてあったの」
「メリーゴーランドの天井もそうだったぜ。『星空を見たいなら、夜を待つんじゃなくて作れば良い』って考える人間はおもしろいよな」
「星座を見ながら馬や馬車で走るなんて、夢みたいですよね」
ロティアが瓶入りのオレンジジュースをグイッと飲んだ時、ハンチングを被り、蝶ネクタイを付けた男性が現れた。
「これはこれは! もうお客様がいるなんて光栄だ!」
四人と一羽が目をパチパチさせる一方、ハンチングの男はズボンに無数についたポケットから、次々にチョークを取り出した。白色、黄色、赤色、青色、紫色……、チョークにこんなにもたくさんの色があるとは驚きだ。
男は最初に黄色いチョークを手に取り、地面に大きな丸を書いた。中に色が足されていくと、やがてそれは太陽に変わった。その隣に白色のチョークでハトを描いて行く。思わずフフランが「オイラだ!」と声を上げた。すると、ベンチの後ろを歩いていた人たちが足を止めた。
男は青色のチョークで、ネモフィラのような花を描き始めた。波のような、泡のような、細かい花の群生だ。その中に妖精の姿を書き込んでいくと、辺りで歓声が上がり始めた。
「お母さん、見えないよう」
泣きそうな声に、ロティアは振り返った。小さな女の子が、チョークアートを見ようとピョンピョン跳ねている。ロティアは後ろのお客たちの邪魔にならないように小さくなって立ち上がり、女の子の母親に声をかけた。
「よかったら、ここに座ってください」
「特等席だぞ」
「まあ、よろしいんですか」
母親はホッとした顔になった。よく見ると、母親のお腹は丸く膨らんでいる。絵を見せるために、かわいい娘を抱き上げてあげることができなかったようだ。
「ありがとうございます」
母親と女の子はマレイの隣に小さくなって座った。女の子は後ろに立つロティアの方をサッと振り返って来た。
「ありがとう、お姉さん」
「どういたしまして。あ、今度は蝶々の絵ですよ」
女の子は「えっ!」と声を上げ、輝く目を前に向けた。赤色の蝶と、紫色の妖精が一緒に踊っている絵だ。女の子はキャアキャア声を上げて喜んだ。女の子だけではない。その場にいる誰もが、あっという間に描きあげられていくチョークアートに釘付けだ。その目は星のように輝き、口元には笑みが浮かんでいる。
「誰もが笑顔になる」という言葉通りの空間だ。
ロティアはうれしくなって、もっと遠くの方を見ようとした。
そして、ビクッと震えた。
リジンは笑っていなかった。
ソペットの隣で肩を強張らせて座り、グッとくちびるをかみしめて、赤くなった目を必死に開いている。その目線の先には、チョークアートではなく、チョークを握り、笑顔を浮かべて絵を描く男の姿がある。
家で絵を見ている時は、あんな表情をしていなかった。むしろロティアの目には楽し気に見えた。その顔を見て、絵が好きなのだと、改めて思った。
しかしリジンは、「絵が好きな青年」である以前に「画家」だ。
リジンには、「絵を見るだけ」では足りないのだ。
あのチョークアーティストのように、自分も絵を描きたいと思っているのだ。なんの心配もなく、自由に、楽しく。
それがわかると、ロティアも泣きたくなった。
ロティアがうつむいて両手を握り締めると、フフランが温かい鳩胸をほほにすり寄せてきた。
「……ロティア。泣くなよ」
「……わかってる。ごめん」
「謝らなくて、良いよ。……でも、これで決心がついたな」
決心。リジンに、自分がなぜここに来たのか、それを話すための決心だ。
「……一緒にいてくれる?」
「当たり前だろ。オイラとロティア、一緒にリジンの力になろうぜ」
ロティアはうつむいたまま小さくうなずいた。
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