29.母の涙

 涙が止まると、マレイはロエルに頼んで家中にある家族写真を集めてもらい、ロティアとフフランに見せてくれた。

 リジンは子どもの頃から髪が長く、とても整った顔をしていた。写真が苦手なのか笑顔は少ないが、素直そうな顔をしている。


「かわいいですね、リジンさん」

「ふふっ、ありがとう。この頃からいつも絵を描いてたわ。紙とペンさえあれば、いつでもどこでもお利巧にしてたの。十歳の時には絵の才能を認められて、個展を開いたのよ。ファンだと仰ってくれる方もたくさんできたわ」


 八枚目の写真を右に避けると、それまで四人で撮っていた家族写真が、三人に変わった。すると、マレイの美しい顔に影が差し込んだ。写真に写るリジンの顔も、どこかうつろだ。


「……わたしも、リジンの描く絵が大好きよ、今も昔も。……でも、十五歳の時に、魔法の才能が開花してからは、リジンと絵の関係は変わってしまったの」

「……何か、決定的なことが?」


 マレイは一度口をキュッと結んでだまりこんだ。瞳が水気を帯びている。涙を堪えているのがわかった。


「……リジンが、十五歳になって十日後、突然、リジンの絵が紙から飛び出してきたの。まるで生きてるみたいに、紙から抜け出してきて。……それで、人を、傷つけてしまったの」


 マレイの声は震えている。ロティアとフフランはジッと黙って、マレイが深呼吸するのを見つめた。


「……怪我を負った方は、夫の仕事上で、とても、重要な方だったの。でも、その方も魔法が使えたから、リジンを責めずに、むしろ心配してくださって。すぐに、リジンの魔法の才能に気づいてくださったの。描いた絵に命を与える魔法だと、言い当ててくれたのは、その方なのよ」

「その人のおかげで、リジンは自分の魔法と付き合いながら画家が続けられたのか」

「ええ。その方には、本当に感謝してるわ。今でも手紙のやり取りをしてるの。……でも、夫はリジンを許さなかった。自分の息子が、『人を傷つける魔法』を使うだなんて。それがショックで、リジンに厳しく当たるようになったの。画家もやめるように何度も言ったわ」


 実の父親や家族に、自分の存在を認めてもらえないこと。そのつらさはロティアもよく知っている。最も、ロティアの場合は勘違いだったが、リジンの場合は正真正銘の事実だ。そのつらさは比べ物にならないだろう。

 ロティアがうつむくと、すぐにフフランがすり寄って来た。


「でも、わたしはリジンに画家を続けてほしかった。リジンの絵には、たくさんの人を魅了する力があるって、信じているから。だから、このフォラドで、わたしの実家で、画家を続けるように言ったの」

「でも、リジンさんは今、ヴェリオーズに住んでますよね」

「万が一魔法が暴走したらと思うと、人が多いところは不安だったみたいで、半年も経たずにヴェリオーズに居を移したわ。それで、制作はヴェリオーズで行って、近場の美術館で定期的に短期間の個展を開いたり、絵を教える仕事をしたりして、生計を立てるようになったの。心配だったけど、うまくいっているみたいでよかったわ。リジンの絵を楽しみにしてくださっている方たちのおかげね」


 マレイは無理やり笑顔を作り、明るく話を締めくくった。

 ロティアもグイッと口角を上げた。


「話してくださって、ありがとうございます」

「ありがとな、マレイさん。でも今の話だと、リジンは魔法の才能を言い当てられただけで、魔法について検証したり研究したことはないってことだよな」


 フフランはくちばしの下に羽根の先を当てながら、テーブルの上をぐるぐると歩き回る。まるで探偵のような仕草だ。


「ええ。魔法が発動するのが絵を描いて三日後、ということだけは確認したわ」

「そうすると、自分の魔法をじっくり観察したことがないってことか。だから予想外のことが起こったんだな」


 マレイは不安そうな顔で「予想外のこと?」と繰り返す。

 ロティアは慌てて手を横に振った。


「き、危険なことではないですっ。ただ、わたしがリジンさんと仕事をしている時に、三日経つ前に、絵が動き出したことがあって」

「まあ! それであの子、泣きながら帰ってたの!」


 マレイは悲鳴のような声を上げた。


「ロティアさんとフフランさんもその場にいたのよね。お怪我はなかった?」

「だ、大丈夫です。リジンさんが庇ってくれたので」

「リジンも含め、誰もケガしなかったぞ」


 マレイは大きなため息をつきながら「よかった」とつぶやいた。一瞬にしてつやつやした額に汗が吹き出している。

 リジンと同じように優しい人だな、とロティアは思った。


 同時に、リジンもあの日泣いていたんだ、と思った。

 泣くほど苦しんでいるリジンを、一人にしてしまったなんて。

 ロティアは胸の奥がキューッと詰まって、熱くなるのを感じた。


「そういうことなら、なおさら来たかいがあるな、ロティア」


 フフランは得意そうな笑みを向けてきた。ロティアは小さくうなずき、カバンから資料を取り出して、家族写真が並ぶテーブルの空いているところに置いた。


「さっきも言った通り、わたしとフフランはリジンさんの力になりに来たんです。リジンさんの魔法をより知って、うまく付き合う方法を一緒に考えるために、特殊な魔法を使う人たちにも協力してもらって、資料を作って来たんです」

「まあ、そうだったのっ。ああ、なんとお礼を言ったら良いのかしら。こんなにたくさんの方が……」

「お礼を言ってもらいたくてやったことじゃないので、気負わないでください。わたしとフフランが、リジンさんと、リジンさんの絵が大好きで、また描いてほしい、笑ってほしいと思ってるだけですから」

「原動力は愛だからな!」


 マレイの瞳から、また涙がこぼれてきた。今度はとめどなくあふれてくる涙を、マレイも止めようとしなかった。

 ロティアはマレイの右肩に手を添え、フフランは反対の肩にそっと座った。


「……あの子は幸せ者です。たくさんの人に愛されて、助けてもらって」

「それは、リジンさんが人を愛して、助けてるから、ですよ」


 ロティアの声も震えだす。すると、マレイは優しくロティアの手を引いて、ギュウッと抱きしめた。


「ありがとう、ロティアさん、フフランさん」


 ロティアも背中に手を回し、ギュウッと抱きしめ返した。


 その時、玄関のドアが開く音がした。


「ただいまー。帰ったよ、マレイー、ロエルー」

「ただいま、母さん、ロエルさん」


 ロティアとフフランとマレイは顔を見合わせた。


「リジンの声だ!」


 フフランがバササッと翼をはためかせながら叫んだ。

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