24.局長の話

 翌日、仕事場に行く前に、ロティアは魔法特殊技術社の最上階にある社長室へ向かった。もちろんフフランも一緒だ。

 最上階には、青いカーペットが敷かれた長い廊下があり、社長室と上役の部屋が六つある。

 大きな花瓶や古い甲冑など、社長の趣味の品々が並ぶ廊下を進んでいき、最奥にある社長室の前でピタッと立ち止まった。深呼吸を一つ。


「……リジンの依頼について答えるだけだろうけど、ちょっと緊張するなあ」

「そうか? ここでは偉い人ってだけで、同じ魔法使い同士なんだから、そんなに緊張しなくて良いだろ」


 「オイラもいるしっ」と言って、フフランはロティアの肩に降り立った。慣れた重みと温かみを感じると、ドクドクと鳴っていた心臓が落ち着いていった。


「ふふっ、そうだね。気楽に行こうっと」


 ロティアは制服の裾をピンッと引っ張り、髪を整えると、一枚板でできた立派なドアを勇んでノックした。

 すぐに中から「どうぞ」と声が聞こえてくる。ロティアは「失礼します」と言って、ドアを押し開けた。


「やあ、ロティア。それからフフランも。仕事の前に悪いね」


 社長は高そうな革張りの椅子から立ち上がり、にこやかにそう言った。


「おはようございます。昨日のうちに仕事場の準備は済ませたので大丈夫です」

「それなら少し長く話せるかな。こちらへどうぞ」


 社長に促され、ロティアとフフランは、続き部屋になっている応接室のソファに座った。

 社長は、応接室に控えていた秘書にお茶の用意を指示した。言葉通り、少し長く話すつもりのようだ。

 ロティアはフフランのフワフワの鳩胸に手を当てて、心を落ち着けた。


「さて、まずはリジン・キューレ様の依頼を受けた一ヶ月について、軽く話してもらえるかな。魔法の調子や、お相手の反応などを聞かせてくれ」

「はい。……初めは、戸惑いもありました。急な依頼でしたし、あまり口数が多い方では無かったので。うまくやっていけるのか、自信がありませんでした」


 最初に会った時、リジンはロティアともフフランとも目を合わせようとしなかった。

 それが少しずつ目が合うようになり、最終的には、向かい合って食事をする仲になったなんて。

 ロティアは、自然と顔がほころぶのがわかった。


「魔法としても、文字よりも細かい絵は時間と神経を使って。慣れるまでは少し大変でした」


 最初の時計塔の絵を取り出すのには、想定以上の時間がかかった。

 体も凝り固まってしまって、さんざんだったな、とロティアは苦笑いをした。


「……でも、最初の依頼を終わらせた時に、リジン・キューレ様が、『助かった』と仰ってくださって。……少し、肩の力が抜けました。その後も、依頼をこなす度に、『助かった。ありがとう』と、何度も、仰っていただきました。それが、やりがいに繋がって……」


 リジンの笑顔がいくつもいくつも浮かび上がってくる。

 控えめに、でも真っすぐにロティアを見つめて微笑むリジン。


「すごく、すごく充実していました。わたしにとって、実りのある一ヶ月でした」


 ロティアの手に、ポタッと何かがこぼれ落ちた。

 それが自分の涙だとわかると、急いでポケットからハンカチを取り出して涙を拭った。

 フフランが、頬に柔らかい体を擦り寄せてくる。するとまた涙がこぼれてきて、ロティアは何度もハンカチでそれをぬぐわなければならなかった。


「ご、ごめんなさい……」

「いや、大丈夫だ。寂しいと思うくらい充実していたのだろう。送り出した方としては、喜ばしいよ」


 社長は優しい声でそう答え、運ばれてきた紅茶をカップに注いでロティアの前に置いた。


「砂糖とミルク、レモンはどうだい?」


 ロティアは首を振って断り、鼻をすすりながらお茶を一口飲んだ。


「魔法の上達もあったんだろう?」

「……はい。今後は、細かい文字や絵も、かなり早く処理できると思います」

「素晴らしい。私のワガママに付き合ってくれた上に、自身の成長まで。ありがとう、ロティア」

「いえ。……わたしこそ、良い時間を用意していただき、ありがとうございました」


 そう答えながら、ロティアはリジンとの日々を思い描いた。



 緑に囲まれた真っ白い家で、リジンとフフランとロティアの、ふたりと一羽。

 穏やかに、静かに、時ににぎやかに過ごした。かけがえのない日々だ。

 あの日々の記憶を糧に、生きていくこともできるかもしれない。

 しかしロティアは、目の前にリジンがいて、一緒に笑うことができる時間を、もう一度過ごしたいと強く思った。


 そのためには、今はやるべきことをやりながら、リジンのために魔法について調べるのみだ。



 ロティアはグイッとお茶を飲み干して、ソファから立ち上がった。


「あの、わたしそろそろ仕事に向かってよろしいですか。お褒めいただいたように、魔法がより一層上達したので、早くお客様のお役に立ちたいんです」

「素晴らしい心がけだが、あと少しだけ付き合ってもらえるかな」


 ロティアは「……わかりました」としぶしぶ答え、ソファに座りなおした。

 はやる気持ちを察しているのか、社長は少し困ったような顔で笑った。


「熱心な社員になってくれたことは、とてもうれしいよ。ただ、聞きたいことが二つあるから、あと少しだけ待ってくれ」


 社長は紅茶にミルクと角砂糖を二つ入れてスプーンでくるくると混ぜた。


「聞きたいことの一つ目は、リジン・キューレ様の依頼についてだ。試用期間として一か月を過ごしたが、その後については何か話があったかい?」

「いえ。一時絵画制作をお休みするようなので、仕事の依頼はまた追って連絡してくださると」

「そうかあ。それじゃあ展覧会もないということか。残念だ」


 社長はがっくりと肩を落とし、自分を慰めるように甘い紅茶を飲んだ。

 本当にリジンの絵が好きなんだ。

 そう思うと、ロティアは自分のことのように誇らしい気持ちになった。


「では君も、連絡があるまではここでの仕事に励んでくれ。それからもう一つ。……昨日、ヴォーナレンという男と話をしていたね」


 ロティアとフフランは、ハトが豆鉄砲を食ったような顔で社長を見た。

 まさか見られていたなんて。社内でのことか、それともカフェでのことか。

 どちらにしても何と答えたらよいのかわからず、口を開くことができない。

 すると社長はクスッと笑い、「別に咎めたりはしないさ」と言った。


「どんな話をしたのか、少し聞きたいんだ」

「そ、それは……」

「できねえな。ヴォーナの許可なしには」


 ロティアの肩の上で大人しくしていたフフランが、ロティアの代わりに答えた。

 フフランはふわっと飛び上がり、社長側のテーブルの縁にとまった。


「いくら自分の子どもとは言え、詮索のし過ぎは良くないと思うぞ。それに、ヴォーナとはオイラが知り合いだから、声をかけられて、せっかくだからってロティアも一緒にお茶をしただけだ。ロティアは関係ない」


 初めて聞く深く響くような声に、フフランは怒っているのだと、ロティアにはわかった。 

 社長はフフランをまっすぐに見つめている。その目に怒りは感じられない。

 社長は髭を剃ったばかりでツヤツヤしたあごを、指輪の付いた手でサリサリと触った。


「……性急すぎて、礼を欠いたことは謝る。すまなかった。……ただ、その、ヴォーナレンは、私とはろくに話をしてくれなかったんだ。健康なのかどうかも、生活が苦しいのかどうかも、わからなかった。だから、そういうことを君たちから聞きたいと思ったんだ」

「どうして話してもらえなかったのか、その理由はわかってるのか?」


 フフランの言葉に、社長は眉間にしわを寄せてうつむいた。そして、押し殺すような声で答えた。


「……私が過去に、アイツを傷つけたからだ。だからこそ、謝りたかったんだ。私が間違っていたと」


 社長は一度黙って、ため息をついた。


「アイツは、私には話す隙を与えなかった。一言、『ここを継ぐ気はない』と言って、出て行ってしまったんだ。しかし私は、そんなことを聞くために、アイツを呼んだわけじゃなかった。死に物狂いで探し回って、ようやく、『人を探索する』魔法を使える者に会い、ヴォーナレンの居場所を突き止めた。だから、言伝を頼んで、顔を見せてほしいと言っただけなんだ。もう私や家族から離れたいために、危険を冒して旅を続けなくても良いと、言いたかったんだ」

「……それなら、なんで必死に追いかけて、伝えようとしなかったんだ?」

「……仕事が、あったんだ」


 社長はそう言って、チラッと時計を見た。最初に「少し長く時間が欲しい」と言ったが、時間が迫っているのだろう。


 確かに社長は、社員の間で「ハチドリ」と呼ばれるほど、会うのが難しい存在だ。

 ハチドリとはとても素早く飛ぶ鳥のことで、蜜を吸う瞬間しかその姿を捉えることができない。

 なぜ社長がハチドリに例えられるほど忙しいのか。その理由は、社長自身もいまだに依頼をこなしてるからだ。

 社長の「土を自由に操る」という魔法は、特に工事現場や土砂災害現場などの際に各地で重宝されている。社長は自らその現場に向かい、人々の役に立っている。その上、社長としての仕事もあるため、滅多に会うことができないのだ。

 その忙しさは知っているが、まさか久しぶりに会うことができた実の息子を追いかける時間もないだなんて。

 ロティアは、今やソファの上に小さくなって座り、眉をハの字にしている社長を、かわいそうだと思った。

 フフランを見ると、フフランももう怒っているようには見えない。むしろ、社長を心配するように、うつむいた顔をのぞきこもうとしている。


「……わたし、ヴォーナさんに、手紙を送るならここにって、住所を教えてもらったんです」


 ロティアの言葉に、社長が勢いよく顔を上げた。ワックスで固められた髪が少し崩れ、瞳はロウソクの火のように震えている。



 昨日、カフェを出ると、ヴォーナはまた旅に出ると言った。


『街は性に合わないし、ここにいると会いたくない人に会う可能性もあるからな』

『そうですか。気を付けてくださいね。まだ暑い日が続きますし』

『ちゃんと飯も食うんだぞ』

『ありがとう、フフラン、ロティアさん。あっ、そうだ』


 ヴォーナはカバンをドサッと道に下ろし、手帳を破いて何かをサラサラと書いた。差し出された紙には、リジンが住む国にある村の住所が書かれている。ヴォーナは、今、拠点として使っている小さな家の住所だと教えてくれた。


『時々近況を送ってくれないか? ふたりと話してとても楽しかったんだ。返事は、すぐにできないけど、誰かとの繋がりが欲しいと思ってしまって』

『もちろんです! フフランの話はわたしが書きますね』

『頼むよ。楽しみにしてる』


 この時に見せたヴォーナの笑顔は、それまでの中で一番嬉しそうに見えた。



 ロティアは一息おいてから、口を開いた。


「……申し訳ないですが、教えることは、できないです。ヴォーナさんの、個人情報なので」


 社長は何も答えずに、またうつむいた。


「でも、わたしの手紙に、書いておきます。『お父さまが、また会いたがってる』って」


 今度はゆっくりと顔を上げた社長は、へたくそな笑顔で「頼むよ」と答えた。






 時間が迫った依頼のために社長が出発すると、残されたロティアは秘書の男性と共にお茶の入ったカップやポットを片付けた。


「……社長は、ご子息であるヴォーナレン様や、似たような境遇のような子どものために、ここをお作りになったと話していました」


 ロティアとフフランは同時に「えっ」と声を上げた。


「社長の奥様は、事業に一切関与していませんから、お考えはわかりませんが。少なくとも社長は、ヴォーナレン様を助けるために、ここをお作りになったんです。一見役に立たないように見える特殊な魔法も、何かや誰かの力になれる可能性を秘めている。その可能性を広げられる場所を作りたいと仰っていました」

「……確かに、わたしもここがあって、より一層、自分の魔法が好きになれました」

「それはよかった。でも、組織に縛られたくない者も、特殊な魔法と向き合いたくない者もいることもわかっているので、所属を強要する気はないと仰っていました。……せめて、社長の愛情だけでも、ヴォーナレン様に伝わると良いのですが」


 秘書は「突然すみません」と言って、形の良い目をキュッと歪ませて笑った。


「い、いえ」

「……住所、教えた方が良いか?」


 フフランがすねたような口調でそう言うと、秘書はクスッと笑って首を横に振った。


「それではヴォーナレン様をますます怒らせるだけですよ。それに、フフランとロティアとヴォーナレン様の関係が悪くなる可能性もあります。それは社長も望んでいないでしょう」

「……でも、それじゃあ、どうするんですか?」


 秘書はテーブルを布巾でなでつけながら答えた。


「わかりません。すれ違ったままかもしれませんし、奇跡が起こるかもしれませんし。それは、神のみぞ知るところです。あとは、社長のがんばり次第です」


『すれ違ったまま』


 その言葉は、今のロティアには他人事ではない。

 リジンとロティア達がすれ違っているわけではない。

 むしろ今は、もう一度交わることができる関係性なのかもわからない。

 しかしそれは、ロティアの行動次第で変わるかもしれないのだ。

 ロティアはギュッとこぶしを握り締めた。


「社長に伝えてもらえますか? 『お互いがんばりましょう』って」


 秘書は首をかしげてから、「承知しました」と答えた。

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