6.母との約束

「ロティア!」

「か、母さま!」


 ほとんどの部屋の灯りが消えた社員寮にたどり着くと、寮母から連絡を受けたロジーア母さんが部屋の前で待っていた。

 ロティアとフフランにケガがないかを聞いてから、何があったかを話すように言われ、ふたりはロジーアを部屋に入れて、リジン・キューレの依頼をかいつまんで話した。例え家族でも依頼内容を詳しく話すことは許されていないのだ。


「まあ、リジン・キューレ! それはすごいことだけど……。本当に引き受けるの? あなた、ここでの仕事にすごく精を出してるじゃない。評判もよくて、わたしたちもお褒めの言葉をいただくのよ」

「そうなの!」


 ロティアが目を輝かせると、ロジーアはロティアの頭を優しくなでた。


「そうよ。わたしたちの鼻がどんどん高くなって、空に届いちゃうくらいにはね」

「ロティアの努力の結果だな」


 フフランはロティアの肩に飛び乗り、柔らかい頭をほほにすり寄せていた。


「ふふ、うれしいな。……でも、それなら、ここでの仕事が今まで通りできないのは、正直悔しいね」

「そうよね。リジン・キューレがこちらに出向いてくるのは難しいの?」

「うん。今後どうするかを考えるために、とりあえず試用期間の一か月滞在してもらって考えるって言ってた」


 ロジーアはほほを膨らませて「わがままな人!」とプリプリした。


「それじゃ、一か月は一緒に食事する機会は持てないわね」

「うん、ごめんなさい、母さま。父さまたちにもごめんなさいって伝えておいて」


 ロジーアはロティアをジッと見て、ため息をついた。その顔は落胆しているというよりは、安心しているように見える。


「謝ることじゃないわ。むしろあなたが仕事を頑張ってるから、隣国まで評判が渡って、頼りにされたんでしょう。褒めるべきことだわ」


 ロティアは少し照れくさくなって、「そうかな」ともじもじ答える。


「一か月はリジン・キューレのところで頑張ってみなさい。今のロティアにはうまくできるかもしれないわ。でも、なにか困ったことがあったら、わたしたちに頼るのよ」

「ありがとう、母さま。それじゃあ、困ったら助けてね」


 ロティアが甘えたような顔で上目遣いをすると、ロジーアは「もちろん!」と答え、椅子から立ち上がってロティアを抱きしめた。


「今日だって、寮母さんからまだ帰ってないって聞いて、卒倒しそうになったのよ。くれぐれも気を付けて!」

「ふふふっ。わかったわ、母さま」

「オイラもついてるから、心配するなよ」

「ええ。任せたわ、フフラン」


 ロジーアは片手を離してフフランのことも引き寄せ、優しく胸に抱きしめた。






 翌日は朝から霧雨が降っていた。まだ日が昇りきらない上に雨雲で覆われた空は、重い灰色をしている。

 ロティアは、大きなカバンの中には二週間分の衣類、フフランの食料、お気に入りの本一冊、同僚たちからの餞別のお菓子、それから家族写真を入れ、仕事用のカバンには空のインク瓶をたっぷり入れた。


「よしっ、準備万端ね。フフラン、出られそう?」

「……雨の日に外に出るのはいやだけど、準備はできてるぞ」

「あはは、わたしの肩が一番濡れないよ。特等席にどうぞっ」


 ロティアが手を伸ばすと、出窓に座って憂うつそうな顔をしていたフフランはふわっとロティアの肩に飛び移って来た。


「サンキュー、ロティア。それじゃあ、出発するか?」

「うん。今出れば、朝一番の汽車に乗れるからね」


 ロティアは両手にカバンと、右手に傘、左手にカンテラを持って、社員寮の部屋を出た。



 朝一番の汽車に乗るのは初めてだ。乗客はほとんどおらず、汽車の中はひんやりとしているような気がした。

 ロティアは窓際の席に座り、曇った窓ガラスを袖でこすって外を見た。空へ伸びる高い建物が立ち並ぶ街は、雨雲のベールで灰色に見える。

 この町を離れるのはさみしいと思っていたが、今こうして汽車の窓ガラス越しに見ると、とてもつまらない街に見えた。まるでそのあたりに転がった石を積み上げて作ったようだ。


「……天気が悪いからかな?」


 ロティアがつぶやくと、「憂うつになるよな」とフフランが答えた。



 灰色の景色を見つめながらに揺られていると、少しずつ少しずつ景色の色が変わっていった、灰色から緑色に。

 持ってきたサンドイッチで朝食を食べて、少しだけ眠ると、汽車が停まり、目的の駅に着いた。同じ四時間でも、初めて来た時よりも、移動時間は短く感じられた。

 汽車を降りて、改札を通り過ぎ、煉瓦造りの駅に降り立つ。この辺りは雨が強まっていて、野草だらけの地面はぐっしょりと濡れている。フフランはロティアの肩でいっそう小さく丸まった。

 雨に混じって土のにおいが運ばれてくる。どんよりした雨雲の下、雨粒を受け止める木の葉や野草はみずみずしく揺れている。

 その光景に、ロティアはなぜか深い安心を覚えた。


「……そういえば、フフランに出会ったのもこんな景色だったね」

「ああ、そういやそうだなあ」


 ロティアはカンテラに火を灯し、傘をさして暗い街の中を歩き出した。



 リジン・キューレの家が見えてくると、白い家の窓からオレンジ色の光が漏れているのが見えた。門のベルを鳴らすとひとりでに門が開き、ドアもひとりでに開いた。


「おはようございますっ。ロティア・ツッチェルダイマーとフフランですっ」


 中に入ってそう叫ぶと、二階につながる階段からリジン・キューレがひょこっと顔を出した。今日も昨日と同じ真っ白いシャツに濃紺のズボンという装いだ。


「おはよう。早かったね」

「お昼前には到着していたかったので、間に合ってよかったです」


 ロティアは傘を玄関の外に干し、荷物の上の置いておいたカンテラの火を消した。


「こちら、貸してくださってありがとうございました。昨日の夜も、今朝も助かりました」


 リジン・キューレは「うん」と答え、カンテラを受け取った。


「さっそくですが、ご依頼はありますか?」

「今のところは無いかな。自室で荷解きをして待ってて。こっちだよ」


 そう言うと、リジン・キューレはロティアのカバンのうち、大きい方を持って歩き出した。


「あ、大丈夫ですよ。ここまでも自分で運んだので」


 リジン・キューレは何も答えず、どんどん階段を上っていく。ロティアとフフランは顔を見合わせてからその背中を追いかけた。「やっぱり不思議な人」とつぶやきながら。



 ロティアに用意された部屋は、仕事部屋よりも少し広かった。一人で寝るには少し大きいベッドはレースのシーツがかかり、手ごろな大きさの書き物机、それから大き目の衣装ダンスとハンガーポールがあった。南向きの窓は大きく、灰色のカーテンがかかっている。


「素敵なお部屋をありがとうございます」

「他に足りないものがあったら、遠慮なく言って」


 リジン・キューレはロティアのカバンを部屋の隅にそっと置いた。


「依頼ができたら呼ぶから」

「はい。荷物ありがとうございました」


 リジン・キューレが部屋を出ていくと、フフランはロティアの肩から飛び立ち、部屋の中をぐるぐると飛び回った。


「うーん。良い部屋だな! 天井も高いし、止まり木もある!」


 フフランは白い木でできたハンガーポールのてっぺんにチョンッと座った。


「窓も大きくて良いな! 朝日がたっぷり浴びられそうだ!」

「あ、フフラン。窓を開けてくれる?」

「おうっ、任せろ!」


 フフランがくちばしで器用に鍵を外して窓を開けると、ロティアはカバンを開けて、衣類を衣装ダンスの中にかけていった。毎日の仕事着と寝間着、普段着のワンピースをかけても、大きな衣装ダンスの三分の一にも満たなかった。


「ここを埋め尽くすくらい洋服を持ってる人は、きっとお姫様くらいだよね」

「そうだなあ。ロティアは一か月過ごすなら、それくらいで十分なんだろう?」

「洗濯するから、三十日分はいらないからね」

「そう思うと、人間のほとんどが物を持ちすぎてるよなあ」


 フフランは「オイラは服着ないから、新しい服がほしいって気持ちがわからん」と言って、不思議そうに衣装ダンスを眺めた。


「あとは何を片付けるんだ?」

「持ってきたのはほとんどは服だから、荷解きはこれで終わりかな。あとは呼ばれるまでの間、仕事部屋の方で依頼受け付け書を新しく作り直そうと思ってる」

「ほう、どんなふうに?」


 ロティアが書き物机の上に書類を取り出すと、フフランはふわっと机の上に飛び移って来た。


「カイン達受付の人がお客様に伝えてくれるとは思うけど。『一か月間不在でご迷惑をおかけしますが、転送可能な書類ならお受けするので、ご遠慮なくお申し付けください』って書き足そうと思って」

「なるほど。良い気づかいだな」


 ロティアはにっこりと笑ってうなずくと、書類の束を持って仕事部屋へ移動した。

 魔法灯の灯りをつけ、作業台の椅子に座る。

 依頼受け付け書の注意事項の欄を囲う線を取り出して、今の文言をペンで書き添え、欄を作り直した。これを約五百枚。気が遠くなる作業だが、幸い時間はたっぷりある。

 ロティアは鼻歌を歌いながら手を動かした。

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