星空色の絵を、君に ~インクを取り出す魔法使いは、辺境訳アリ画家に絵を描かせたい~

唄川音

第1章

1.魔法特殊技術社のロティア

「チッツェルダイマーさあん! 助けてくださいー!」


 レースのようにきれいな模様を描く鉄格子のドアがガシャンッと開け放たれ、紙の束を抱えた女性が飛び込んできた。ドアの隣に置かれた木製のハンガーポールから、白いハトがパタタッと飛び上がる。


「わっ! あ、驚かせてごめんなさい、ハトさん!」

 女性が会釈をすると、ハトは答えるように、クルルッとのどを鳴らした。

 ドアの正面の茶色い書き物机に座ったロティアは「フフッ」と笑い、青いベルベッドが張られた椅子から立ち上がった。


「フフランなら驚いただけで、怒ってないので、大丈夫ですよ。文字消しの依頼ですか?」

「あ、はい。この書類なんですけど、全部室長の名前を間違えて書いちゃったんです。室長が変わったばかりだから、全然名前が覚えられなくて……」


 女性は涙目になりながら、ロティアの机の上に紙の束をドサドサと下ろした。ざっと数えても三百枚以上はありそうだ。ロティアの肩にとまったフフランは「結構あるな」とつぶやく。


「一か所だけなんですけど、枚数は、三百七十枚あって……。お金はいくらかかってもいいので、直してもらえますか? ……できれば、今日中に」

「飛び入りで、今日中ですか……」


 ロティアは書類を一枚手に取ってから、チラッと女性の方を見た。うるんだ瞳で上目遣いをされたら、ロティアが断ることができるはずがない。それをよく知っているフフランは、何も言うまい、とくちばしを閉じた。


「……飛び入りはあまり受け付けてないんですが、今日は他の依頼もないのでやります! 今日の何時までですか?」

「本当ですか! ありがとうございます! 今日の夜の七時までにお願いします!」


 女性はロティアの開いている方の手をつかみ、その場でピョンピョン飛び跳ねて何度もお礼を言ってきた。


「七時ですね。それではさっそく取りかからせていただきます」

「お願いします。わたしは別の仕事もあるので、また取りに来ます」




 女性が必要な書類を記入して部屋を出ていくと、ロティアは椅子に座りなおして杖を取り出した。

 ロティアは少し変わった魔法が使える。

 それは、「木でできた魔法の杖の先端で、文字や絵をなぞると、そのインクを紙から取り出せる」という魔法だ。

 例えば、真っ白い紙に、黒いインクでガチョウを描いたとしよう。その線を、杖の先でゆっくりとなぞる。すると、金魚のフンのようなふよふよしたインクが、宙に浮かび上がってくるのだ。

 そうすると、紙はまっさらに戻り、取り出したインクは杖を使ってビンの中に移せば、またインクとして使うことができるのだ。

 とても珍しい魔法だが、はっきり言って、役には立たない。

 ロティアはずっとそう思っていた。


「お客さん喜んでたな」


 ロティアの肩に飛び移って来たフフランがそう言うと、ロティアは微笑みながら「うんっ」と答えた。


「さあ、がんばるぞ!」


 ロティアは杖を手に、タイプライターで打ち込まれた無機質な文字をなぞり始めた。






 夜の七時、魔法特殊技術社の門が閉門すると、ロティアは机の上にグデッと倒れた。


「ま、間に合ってよかったあ」


 室長の名前を間違えた書類のインクの取り出しは、昼の四時から始めて、七時の五分前にすべて終わった。取り出したインク自体はインク瓶二つ分だけだったが、重要書類だと聞かされて緊張してしまい、いつもよりも時間がかかってしまった。


「お疲れさん、ロティア。今日も大活躍だったな」


 フフランは机の上に降り立ち、ふわふわした羽根でロティアの頭をなでてくれた。


「ありがとう、フフラン。なんとかなって本当によかったあ」

「お客さん泣いて喜んでたな。きっとロティアの良い評判を広げてくれるぞ」

「そうだといいな。わたしの魔法で、誰かの役に立てるなら、幸せだもん」


 ロティアは机に放ってあった杖に手を伸ばし、ギュッと胸に抱きしめた。


「フフランが、気づかせてくれた、大切な魔法だからね」

「それを持って生まれたのは、ロティア自身だろう。いつまでもオイラに感謝しなくて良いのに」


 フフランは照れくさそうに羽根で顔をかくした。ロティアはフフッと笑い、フフランを抱き寄せた。


「ううん。一生感謝するわ! フフラン、大好き!」

「……まったく! 十六になってもロティアはロティアだなあ!」


 フフランは降参したように羽根をバサッと広げて、ロティアに抱き着き返してきた。



 「紙に書かれた文字や絵のインクを取り出せる」という魔法は、珍しいが役に立たないため、長くロティアの劣等感の原因だった。しかし十歳の時にフフランと出会い、ある出来事をきっかけに、ロティアはこの魔法を心から愛せるようになった。

 家族からも褒められ、すくすくと成長したロティアは、十五になった昨年から魔法特殊技術社で働くようになった。

 「魔法特殊技術社」とは、ロティアのような特殊な魔法を使うことができる魔法使いが、その魔法を売り物にし、仕事としての依頼を受けるという少し変わった会社だ。依頼の受付時間は朝の十時から夕方の五時までで、依頼の受け渡し時間は夜の七時までと決まっている。



「――さて、急いで帰るぞう。うまいものを食べて、しっかり休んで、体調を崩さずに過ごすのが、ロジーアたちとの約束だろ」

「そうだね。疲れたし、どこかで食べて帰ろうか」


 ロティアは机の上のものを引き出しにしまうと、引き出しと窓のカギをしっかりと締め、明かりを消して仕事場から出た。

 鉄格子でできたドアを閉めた時、後ろから「おっ。ロティア、フフラン」と明るい声が聞こえてきた。ふり返ると、同じ時期に社員になったハルセルが手をふりながら歩いてきた。


「あ、ハルセル。お疲れさま」

「お疲れさん。最後まで仕事だったんだな」

「ハルセルこそ」


 フフランはロティアの肩から、ハルセルのたくましい肩に飛び移った。

 社員たちは依頼がなければ、依頼の受付時間終了と共に帰ることができるが、飛び入りの依頼が来たり、仕事が片付かないと閉門の七時までは社にいることになってしまう。


「受付終了五分前に、大事な遺言書を破られたって依頼人が来て、今日中に直してほしいって言うから、今まで直してたんだ。一ピースおよそ一センチ以下。大変だったよ」

「うわあ、それは大変だったね。本当にお疲れさま」

「あはは。ありがとな、ロティア」


 ロティアはハルセルの後ろに回って、自分の頭の高さにある肩をもんでやり、フフランは羽根をパタパタ動かして、ハルセルに風を送ってやった。

 ハルセルの魔法特殊技術は「破れた紙をもとに戻す」という魔法だ。元の状態を知らない上、接着剤もなしに魔法だけの力で紙を直すのだ。その要領についてハルセルは「元は繋がれていた紙同士を共鳴させることで、独りでに紙が動き出す」と説明してくれたが、ロティアには完璧に理解することができなかった。「それって本当に魔法ね」というのがロティアの精一杯の感想だった。


「ロティアもフフランも疲れてるだろ。俺ばっか労ってもらっちゃ悪いよ」


 ハルセルはそう言って、ロティアの手を肩から下ろした。


「だからこそ、ふたりに提案なんだが。この後、ケイリーも一緒に飯を食う予定なんだ。ふたりもどうだ? ガラス張りのパイの店なんだけど」

「あの人気のお店! 行く行く! 良いよね、フフラン?」

「もちろん! オイラもあそこ気になってたんだ」

「よっしゃ! それじゃあ行こうぜ。たぶんケイリーが席は取ってくれてるぞ」


 夏の生温かい夜風を浴びながら、ロティアたちは魔法特殊技術社をあとにした。

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