第6話 歪な愛の可燃物
急いで外で待っていた若い警察二名も後から駆け付け、現状を大まかに説明し、すぐに救援と増援を回すように、「あと麻薬取締官も」と、付け足しておいた。
本当は杜若の知り合いで、信頼できる麻薬取締官の
増援が来るのは、早くても数十分後だろう。
その間に杜若は取り急ぎで本庁に電話し、近場の県庁にて特殊事件捜査係の設立の許可を求めた。早くても許可が下りるのは翌日以降だが、自分の立場的と影塚の無実は証明出来る。保険は取っておいて損は無い。
特に、唯一の一般人である影塚を擁護するためには、自分の立場を強く確保しておかないといけないだろう。
「さて……。後から来る鑑識の為にも、何もせず現場を保存しておかないとな……って、おい!」
杜若がそう言った矢先に、一ノ瀬刑事の遺体を跨いで奥へ赴こうとする影塚の上着を引っ張って止める。
「何するつもりだよ、現場を荒らすな!」
しかし、影塚はその歩みを止めずに上着を掴んだ杜若の手を振り解き、一瞬振り向く。その形相は、今まで見たこともない憤怒の様な、悲しみのような、言い表しがたい感情が剥き出しにされていた。
「あ、足跡も重要な参考になる。お前がそれ以上歩いたら、現場検証が面倒くさい事になるんだよ! 理解しろ!」
友人の見たこともない表情と振り解かれた勢いで思わず一瞬呆気に取られてしまったが、もう一度上着を掴もうと腕を伸ばすが、またも振り払われてしまう。
「現場維持も大事かもしらんが、あの絵が無くなったら、もっと意味があらへんやろ!」
「はあ?」
そう言ってズカズカと美術館裏――倉庫備品室へと続く方へ向かってしまう。かといってこれ以上、揉め事のような痕跡を残すわけにもいかない。「ああ、クソ」と小声で零して影塚の後を追う。
美術館裏――の、外側には大型ごみ箱が陳列されており、その周りは世辞でも整理されているとは言い難い環境だった。そのごみ箱の手前に、この美術館の倉庫及び保管室へと続いているはずだ。館内の案内地図の通りであれば、だが。
しかし、影塚は辺りを急ぎでキョロキョロと見渡すばかりで、館内には入ろうとしない。
「……何してんだよ?」
そう問うと、影塚は大きな溜め息をして振り向き、遺体を指差した。遺体の顔面は、こちらに向いている。
「コイツがその仲介役なんやろ? やったら、もう吉野さんの絵は館内にはあらへんはずや。けど、持ち出されてもない」
「……どういうことだ?」
何かこいつなりの根拠があるのだろう。増援が来る前に、影塚の推理を聞いておきたい。
澤野刑事の方は流石に何か言いたそうだが、先輩である杜若が一任しているのであれば、自分が出る幕はないのだろうと、遠慮がちの姿勢で門扉の前で立ったままだ。
「ブツの仲介っちゅう事は、大元はコイツが運んできたわけや。そんでそれをバレない様に、あの姉妹を
そこまで言われて、今この絵描きが考えている事が半分ほど理解した。
「そうか……一ノ瀬刑事はそもそも、この計画が瓦解することを予想してなかったんだ。現場検証はとっくに済んで、容疑は俺達に向けられていた。そのまま濡れ衣を着せる予定が全て潰れたって事は、どちらかを抹消するしかない」
「どういうことです、杜若さん。どちらかを抹消って……」
澤野は遺体を見てからというもの、すっかり蒼ざめた新米の警官みたいな顔をしている。刑事課と言っても警官の拳銃自殺など、そう滅多にあるものではない。
「澤野は知らないか。刑事が裏で麻薬密売をするパターンは割と多い。偶然、取り締まった麻薬をそのまま懐に忍ばせて、売るだけじゃなく、自らも使用してしまう。そうやって消えて行った輩も、揉み消されて務所行きはザラだ。それが嫌だった場合には商品を燃やすか、或いは……」
そう言ってまだ青いな、と感じる刑事に目配せをする。
「そんな……」と澤野は、先程の吉野と同じほどの掠れ声で零した。
「じゃあ、一ノ瀬さんは……」
「元警察官で刑務所に入った。そんな経歴で雇ってくれる場所なんて、たかが知れてる。水商売だとか、汚れ仕事に向かうしかなくなるわけだ。一ノ瀬刑事はもう五十歳以上でキャリアも奪われた汚職警官の烙印よりは、マシな選択をしたつもりなんだろう」
話し相手は澤野だったが、ごそごそと物を動かしたり、指紋をべたべたつけたりしないかを心配して、杜若の新線の先には周りを忙しなく見渡す絵描きへと注がれていた。
「澤野さん」
物色し終えたのか、影塚が急にこちらを振り向いて警官二人を交互に見つめる。澤野は、ハッと気が付いたように「はい?」と答える。
「ここに到着した時は、自分が先でした? それとも、彼?」
と、寒空のせいか、早くももうその肌色は生気が感じられない、映画のゾンビのような状態となった遺体を指差す影塚。
「……彼でした。ですが、ほぼ数分の違いで僕が着いた時にはまだ館内にすら入れていませんでしたよ」
「せやったら処分も回収も、絶対ではなくとも不可能に近いですよね? でも、夜中の内にもう検証は済んでて、盗まれた絵画は見つからんかった……」
そこで、杜若は最初、この美術館に入る前の絵描きとしての推理会話を思い出した。
あの絵は、言ってしまえばパッケージやねん。
画のキャンバスも張り過ぎて突っ張てる印象やったんですわ。
「新品の……パッケージ」
グレーの服装を着て、爪に残っていた黒のインクを隠すようにネイル。
今思えば、その全てがわざとらし過ぎるのではないか? わざわざ、盗まれた絵画を彷彿とさせるような、そんなの服装を選んだ理由は?
大崎が言った証言が、嘘だった場合は……?
「なあ……澤野」
冷静に務めたつもりだが、もしかしたら少し声が震えていたかもしれない。澤野から、返事はない。
「俺は、基本管轄はこちらじゃないから、覚えていないんだが……。なあ、一ノ瀬刑事は、本当に……この顔だったか?」
二人の警官は、床に無惨に転がったままの遺体を見つめる。瞳孔が開いたままの遺体の横には、刑事課に支給される小型拳銃が転がっていた。
特殊事件捜査係所属の杜若とは違う、刑事課が身に着ける小型リボルバーだ。杜若の所属している課は比較的最新の銃を持たされているため、殺人の線でも杜若は容疑者にはならない。
だが、ここには澤野がいる。
「俺達の次は、澤野に濡れ衣を……。これは、用意周到過ぎるだろ」
「土壇場の判断かもしれんな」
影塚は遺体の傍にしゃがみ込んで、血溜まりになっていない、コンクリートの床部分――丁度、一ノ瀬刑事だと思しき遺体の腰辺り――を指差した。
「白い粉と、薄っすらある黒目の塗料。多分、こいつが持ってたんやろうけど、持っていかれとる」
そう言って上着をめくると、薄青いシャツにびっしり、白い粉末が付着していた。
「胴体に巻いとったんやろな。じゃないと丸めた筒状では持ち運びが不可能やし、すぐにバレるやろ」
「影塚……お前、知ってたのか?」
「阿呆、そこまで分かってたらこの人死なせへんかったわ! ここまで冷酷な人間やと、思わんかったんや……」
澤野はすぐに異変に気付いたのか、急いで駐車場へと戻る。杜若も、警戒態勢に入った。自分の身の保守の為なら、人を殺せる奴という事だからだ。
このまま順当で行くなら、もし人を殺すなら杜若と影塚の二人の筈である。そのことを分かっている影塚も、急いで杜若の背中の方へ向かう。
「おい、影塚。ここからは本当に、下手に動くな。無論五体満足で無傷が一番だが、万が一がある。俺の後ろにいろよ」
この場で才能を開花させた探偵は「ああ」と返事をし、駐車場まで向かう。
澤野の単独行動を許したのは、彼が信頼できる人間であり、また犯人にとっては容疑を着せる為に生かさなければいけない重要人物だからだ。
「動くな!」
澤野の怒声が聞こえ、一気に駐車場まで走り抜けた。
澤野は拳銃を構えて腰を据えている。その先には、一ノ瀬刑事が乗ってきていたのであろう四駆の扉に手を掛けて硬直している、警備員大崎敏信の姿があった。
そして、反対の手には大きな筒状にされた大きな布のような物を手にしている。
「あんたが、この盗難事件の黒幕ってわけだ」
「盗難? 違うなあ。これは大きなビジネスなんですよ、杜若さん」
大崎に一歩、すり足でゆっくりと近づく。澤野と影塚は動かない。
「これ一枚に、相当の大金が掛かっとるんですよ? 商売相手を怒らせるわけにもいかないんです。それに国にも貢献してること。それを邪魔するのは、警察として腐ってますわ」
「何が……何がビジネスや」
キレたのは、影塚である。
「人の作品弄んで、蔑ろにして、挙句には人さえ殺す必要もあった? それがお国の為です? ボケるんも大概にせえや! 笑えもせんわ!」
「一介の絵描き風情が、何をほざくのやら。作品もこうして貢献出来てるってこと、理解したらどうなん?」
「お前……あの姉ちゃんが泣いてたのをもう忘れた言うんか? あの涙はあの姉妹さんだけの涙やない、お前っちゅう犯罪に利用された悔しい涙や! 絵をしっかり見たか? 他の染料でも問題あらへんのに、なんで灰色なのか? なんで戦地なのか? 理由まで考えたんか!」
影塚は熱くなって、杜若よりも先に一歩出ようとしたが、それをなんとか右手で制する。流石に警部補の手が見えない程は血が上っていないようで助かった。
「それには俺にも同意見だ。なぜ一ノ瀬刑事を殺す必要があった?」
「……殺してない。自殺だ」
一歩、二歩、少し進む。
「ってことは……タッグか」
「そうや。俺は選ばせただけに過ぎない。どちらの地獄がいいかをな」
三歩、四歩。間合いを詰めても、向こうは車に乗る手間があるため、動けない。
「そうか。……なら、簡単だな」
「はあ?」と、大崎が口を開いた時、電話の着信音が鳴り響く。
杜若のものだった。
「影塚。俺のポケットからスマホ、取り出して名前を読み上げてくれ」
杜若はある程度予想はついていた。
「ええっと……今野、みもり?」
そう言った瞬間だった。
杜若は四十代とは思えぬ速度で走り、そのままの勢いで四駆の扉に大崎を叩きつけた。大崎は冷や汗をかきながら全力で振り解こうとするが、鍛え方が違う警部補を跳ねのけることさえ叶わない。
「オイ、美術家探偵、読み間違えるなよ! そいつは司法警察、麻薬取締官の
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