後編

第11話 小さな提案


「あれ、今日はお庭に出ないんですか?」

「うん、いいの。それより、もう少しだけ付き合ってもらえる?」

「は、はい」


 なんだろう……最近のネリーお嬢様は少し大人しい。

 今日から友達と言われて数日間は、元傭兵としての意地を試されるほど激しい攻防戦が繰り広げられていたけれど、最近はこうして日課をスキップする日も増えてきたし、以前ほど気を張らなくても逃げ切れるようになってきている。なにか原因があるんだろうか?


「ひょっとして……体調が悪かったりします?」

「えっ!? い、いや、そんなことないわ! 今日も元気いっぱいよ!」

「そ、そうですか……」


 うーん、なにか隠されているような気もするけど、正直、私としても神経を研ぎ澄まさなくて済むので、気が楽ではある。

 というか、今なら剣を狙うのをやめてほしいと言えば受け入れてもらえるんじゃないだろうか。

 でもなぁ……今運動をやめたら、日課によって拡張された胃袋のせいで、すぐにだらしない身体になってしまいそうな気もする。

 いやまあ、ちょっとくらいお肉もあった方がいいとは思うけど、正直、今の引き締まった身体は結構気に入ってしまっているのだ。


「…………」


 そんなことを考えながら勉強を延長していたけど……なんだろう、お嬢様が私の顔をじっと見てきている気がする。

 目線は合わせていないけど、視界の端に映ったお嬢様の手が動いていないからまるわかりだ。どうしよう、反応した方がいいかな……


「ねえ、キュージ」

「はい。なんですかネリー」


 ちなみに、お嬢様のことを呼び捨てにする約束はちゃんと守っている。

 セブラさんに怒られないかとヒヤヒヤするけど、お嬢様は名前を呼ぶたびに嬉しそうな顔をしてくれるのでまあ、悪くはない気持ちである。


 それはさておき、お嬢様がなにか言いたげだ。

 なんだろう。声が小さいし、重要な要件な気もする。


「私ね、騎士学校に戻ろうと思うの」

「それって……」


 騎士学校に戻る。学校でひどい目に合って、私が来るまで部屋に籠ってたお嬢様が。学校に戻ろうとしている。


「すごいじゃないですか! 応援しますよ!」


 実際すごい。あれから勉強の時間や、夕方のテラスで詳しい話も少しずつ聞かせてもらっていたけど、はっきり言って、お嬢様の境遇や学校で受けたストレスを考えると、並みの精神力でできる決断じゃないと思う。


「ううん。すごいのは私じゃなくて、キュージの方よ」

「えっ?」


 私がすごい? 何がだろう。

 私がしたことと言えば、お嬢様を勉強に誘ったくらいだし、確かに最近勉強は頑張っているけど、それもお嬢様が教えてくれるおかげなのに。


「私、今まで一人じゃ何もできなかった……ううん。一人じゃなかったわ。お母さまも屋敷のみんなも頑張ってくれてたのに……何もできなかった」

「…………」


 そんなことはない。私は知っている。

 私たちが今いるこの部屋。広々としたお嬢様の私室には、山積みになった騎士学校の教科書に、使い込まれた様子の木剣と、貴族の娘でいるだけなら、必要ないはずの物がいくつも揃っている。


「それが、キュージが来た瞬間、毎日が楽しくなったの。薄暗い灰色で、風の無い荒地みたいに静かで、お日様も月も傾かない、止まっていた時間の中に、あなたが踏み込んできてくれた。あなたの存在が時間を動かして、静かな屋敷を騒がしく変えて、私の毎日を暖かくて力に満ち溢れたものにしてくれた……それって、とっても凄いことなのよ」


 私はそんなにすごくない。

 私はそんな言葉をもらえる人間じゃない。

 私はただ、偶然ここに居るだけで、お嬢様の言ったことは全部、お嬢様自身の力だ。


「……すごいのは私じゃなくて、お嬢様ですよ。私はただ、衣食住付きの求人につられてここに来ただけです」

「……でも、キュージは強いじゃない」


 ……まあ、肉体面ではそうだろう。体格の差はあるし、実戦経験の差もある。でも、私はそんな言葉をもらっていい人間じゃない。


「私なんかより、お嬢様はもっと強いですよ」


 私はただ、この家に拾われただけだ。

 仲間を見捨てて、傭兵団から逃げ出して、野垂れ死ぬべきだったところを、拾われただけだ。

 私を拾ってくれた団長も、それから受け入れてくれた仲間も……私は見捨てた。


「恩人を見捨てた人間が、誰かの恩人になっちゃいけないんです」


 思考は、そのまま口に出てしまっていた。


「……ねえ、キュージ」


 ああ、そういえば、お嬢様には話していなかったっけ。

 私が……本当なら飢え死にするだけだった私が、傭兵団にどんな恩を受けて、どんな仇で返したか……


「ネリーって呼んで」

「えっ?」

「お嬢様じゃなくて、ネリー」


 ……あっ! 忘れてた!


「すっすいません!」

「いいのよ。そういうこともあるわ」


 なんてことだ。主人の話をひねくれた方法で否定して、約束も忘れて、挙句の果てには自分語りを始めようとするなんて……


「それにしても……キュージも頑固なところがあるのね」

「本当にすいません……」

「言ったでしょ? 気にしなくていいのよ」


 お嬢様は苦笑いしながら許してくれたけど本当に申し訳ないし恥ずかしい。穴があったら入りたい。

 今回もそうだけど、関われば関わるほど、お嬢様がしっかりしていることがわかる。

 第一印象でちっちゃいだとか、子供っぽいだとか思ってしまったのがウソみたいだ。


「ねえ、キュージ」

「はい、なんでしょう」


 よし、今度こそはちゃんと話を聞こう。姿勢を伸ばして、お嬢様の目を見るのだ……いや、座高が違うせいで上から目線みたいになっちゃうし、背中は丸めたほうがいいかな……?


「もしよかったらでいいのだけど……もしよかったらでいいのよ?」

「……はい」


 しかも、何やら大事な話のようだ。心して聞かなければ……


「もしよかったら……私と一緒に、騎士学校に行ってみない?」

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