血が苦手な吸血鬼が化け物扱いから英雄扱いされるまで

桐山じゃろ

プロローグ~第1話

 深く暗い森の夜道を、一人の少女が歩いている。

 少女の身なりは、薄手でぼろぼろの色褪せたワンピースに、底が薄く指先の部分には穴の開いた靴を履いているのみ。

 薄ら寒い森では心許ない姿は、町や村にいたら物乞いだと思われても仕方のない格好だ。

 しかし、淡い水色のボサボサの髪は梳いて整えれば美しく輝くだろうし、汚れた顔の中でも大きな蒼い瞳は凛と煌めいている。


 灯りも持たないというのに、少女は正確に大勢の人間が足で踏み固めた道を進んでいる。

 このあたりの森は、少女にとって庭も同然だった。

 家では継母に酷く虐げられ、食事を抜かれることがしょっちゅうだったので、飢え死にしないように、森へ入っては自力で食べ物を取っていた。


 少女の足は、太い道を逸れてしばらくしてから、止まる。

 今夜は、これより先に――普段の食料採取の時や、獣を狩って生計を立てている猟師よりも、森の奥深くへ行かねばならない。


 少女が行かなければ、幼い妹が代わりにここへ来ることになる。

 実の母が亡くなってから、妹だけを心の拠り所にしていた少女にとって、妹の命は自分の命よりも大事なものだ。

 性根の腐った継母はそれを知っていたからこそ、先に妹の名を挙げ、少女が自ら名乗りを上げるよう仕向けた。

 あの家に一人残すことになってしまった妹のことを思うと心がねじ切れそうになるが、死なせるよりはマシだ。


 少女が目を閉じて思考したのはほんのひととき。

 すぐに、藪の中に足を踏み入れた。


 ――数十分ほど経って、少女はそこに突然現れたかのような、巨大な、しかしすっかり朽ち果てた屋敷の前にいた。

 恐ろしいことに、少女の目的地はここだ。

 今にも崩れそうで、大の大人でも入るのを躊躇うような屋敷の中に、用事がある。


 屋敷の両開きの扉は片方だけがかろうじて残っていたものの、長期間に渡って風雨に晒されたエントランスホールには草木や土が入り込み、屋外と変わらない状態になっていた。

 一歩、また一歩と屋敷へ足を踏み入れ、周囲をきょろきょろと見渡してみるが、目的のものは見当たらなかった。


 ホールの中ほどまできて、ふと足元を見てみると、土や埃で汚れた床の上に、真新しい足跡がある。

 大きさからして成人男性だろうか。

 こんな場所に自分以外の人間が一体何の用事がと考え、まだ森に疎い新米の猟師でも迷い込んだのではないかと推理する。

 なんとなく足跡を辿ると、足跡は屋敷中の部屋を確認するかのように、あちらへふらふら、こちらへふらふらと放浪していた。

 やはり迷い込んだ猟師だろう。

 自分と同じ理由だとは考え難かった。


 何故なら少女は、ここに住む化け物に身を捧げに来たのだから。


 化け物に会う前に、何も事情を知らない大人と最後の会話をするのも一興だろうか。

 そんな事を考えながら、少女は尚も足跡を辿る。


 やがて、誰かの声が聞こえてきた。

 声の調子からして、やはり成人男性だ。

 声は「参ったな」等と言っている。

 猟師確定、と自分の推理力を自分で褒め称えつつ、ついに見つけた足跡の主の、その背中に声をかける。


「あのう……」


 ガタン、ばたん、ガシャン、バキバキ、どん、ごとん。


 足跡の主が慌てて立ち上がり、あちこちに身体をぶつけ、放置されていた物品を壊しながら床に腰を落とした音である。


「び、びっくりした……。えっと、どちら様?」


 少女に声を掛けてきたのは――輝く金髪に血のように赤い瞳をした、幼い頃に読んだ絵本の中にもいなかったほど、整った顔立ちの男だった。







 車に跳ね飛ばされて全身が宙に浮いたと思ったら、真っ暗かつ狭い場所にいた。


 僕の名前は野久斗のくと礼也《れいや》。18歳の高校三年生。

 ……と、自分の記憶を掘り起こしてみる。

 両親、三年前に死んだ双子の妹、仲の良かった友人、通っていた高校の教師……全部思い出せる。

 次に自分の状態を確認しようとしてなんとなく手を伸ばしたら、自分がものすごく狭いところにいて、何故か胸の上で腕をクロスに組んで横になっていることと、上に板か何かがあって、軽く簡単に持ち上がりそうなことがわかった。

 こんな狭くて暗くて、ついでに寝心地の悪い場所、出られるならすぐにでも出たい。

 僕は腕を伸ばして板を持ち上げて横にずらし、身体を起こした。

 立ち上がり、外へ出て、改めて自分が入っていたものを眺めてみる。

 僕が入っていたのは木製の箱で、取り除いたものは埃が数ミリも積もった蓋だった。

 箱の方は、ちょうど僕一人が横になれるほどの大きさしかない。

 ていうかこれ……。

「棺桶じゃん……」

 十字マークこそ付いていないが、全体は青みがかった黒で白い縁取りが施されており、細長い六角形みたいな、映画や漫画で吸血鬼とかが入っているやつと同じ形をしている。

 実は僕、やっぱり死んだのか?

 それとも新手のいじめか?

 いじめにしては手が込みすぎて……まあ、いじめてくるヤツってそんな暇あったらもっと別のことに労力使えよっていうことばっかりしてくるから、なくはないかな。

 木製に見えるけど実はダンボールを上手く加工しただけのハリボテかもしれないし。

 と、不吉な棺桶のことは一旦おいておこう。

 自分の家ではない場所にいることや、制服や洋服ではない、あまり馴染みのない格好をしていることも、今は些細な問題だ。

 もっと重要かつ困った現象が、僕に起こっている。


「お腹すいたな」

 口に出すと、腹が「くうう」と鳴って応えた。応えなくていいのに。


 僕は朝に弱くて、朝食は殆ど食べないタイプだ。朝じゃなくても寝起きからもりもり食べられる人が信じられない。

 そんな僕が起きた瞬間から空腹でどうにかなりそうなくらい、何か食べたくて仕方がない。

 あたりを見回すと、石レンガの壁と床という馴染みのない造りの室内だった。

 造り以前に、家具はほぼ全て倒れるか壊れるかしていて、そこらじゅう埃と蜘蛛の巣だらけで、明らかに廃墟の一室のような異様さだ。

 広さだけは、この一室で僕の家の全てが入りそうなくらいある。

 扉があったであろう場所の向こうには石造りの階段があったので、そこを上った。


 上ったところで、室内の惨状は更にひどいものになっていた。

 窓という窓が枠ごと外れているため埃だけではなく砂や土も入り込んでいて、床の一部には草まで蔓延っている。

 一部屋一部屋が無駄に思えるほど広い屋敷を探索して、厨房らしい場所を見つけたが、そこらじゅうカビだらけで、異臭が籠もっていた。

 何かしら食料が残っていたとしても、口にはしたくない。

 この有様では、ここには何もなさそうだ。

 でも腹は減っている。

 なんでもいい、水だけでもないかとあちこち彷徨ったが、結局何一つ見つけられなかった。


「参ったな、どうしよう……」


 空腹を抱えて立ち尽くしていたときだった。


「あのう……」


 ガタン、ばたん、ガシャン、バキバキ、どん、ごとん。


 今のは、突然背後から女の子の声がしたのに吃驚して飛び上がり、その拍子に傍にあった元机のようなものに肘をぶつけ、衝撃で机の上の原型を留めていたコップが割れてしまい、その事に更に驚いた僕が後退って剥がれていた床板に躓き、尻餅をついた上に別の場所の棚の上から何かが落ちた音だ。


「び、びっくりした……。えっと、どちら様?」


 ひとりピタゴラスイッチをやらかした恥ずかしさをこらえて振り返ると、そこには絶世の美少女がいた。

 僕の妹も可愛かったが、この少女は別次元だ。

 ボサボサの淡い水色の髪は、ちゃんと梳けば綺麗だろうし、大きな蒼い瞳は凛としていて、見つめていると吸い込まれそうな心地がする。

 着ているものはどういうわけか全身ボロボロだけど、剥き出しの手足は白くなめらかで、儚げだ。


 美少女は僕の問いかけに、妙な応えをよこしてくれた。


「私は、このお屋敷のあるじ様への、生贄です」



 まず僕は「この屋敷の主」ではないことと、気がついたらここにいたことを説明した。

「はあ、そうなのですか。ではお屋敷の主様はどちらに?」

「わからないし、知らない。ちょっとこの家探索したけど、誰もいなかったよ」

 僕と少女は、埃と砂まみれの床を軽く払ってから座り込んで、情報交換した。

「でも貴方がここにいるということは、あなたが主様では?」

「こんな壊れた家に住んでた覚えはないよ」

「ではどちらからここへ?」

「埼玉県の……」

「サイタマケンノ?」

 僕がダメ元で住所を言おうとし、少女が首を傾げた時、僕のお腹が盛大に鳴った。

「あっ。……その、こんなこと頼んでいいかわからないんだけど……何か食べ物、持ってないかな」

 鳴った腹を擦りつつ、少女から目を背ける。うう、恥ずかしい。さっきからこの子には情けない姿ばかり見られている。

「いいえ、私は主様の生贄になるために参りましたから、昨日から飲食はしておりませんし、持っておりません」

 少女の口から飛び出した衝撃の事実に、僕は思わず少女に向かって身を乗り出した。

「昨日から何も食べてないのっ!? いま夜だよ!? 育ち盛りっぽいのにそれはよくないよ! て、ていうか、生贄ってどうしてそんな物騒……」

 また鳴る腹。空気読んでくれよ……。

 と思いきや、腹は僕よりも遥かに空気を読んでいた。

 それまで無表情だった少女が、くすりと笑ったのだ。

「ふふ……お屋敷はこの有様で、貴方は主様では無いと言いますし……。私が何かとってまいりましょう」

「とる? 家の中ざっと見たけど、食べられそうなもの無かったよ」

 僕が首を傾げると、少女はまた小さく笑った。笑うと、余計に可愛いな。

「家の中は探しません。ここは森ですから、木の実や茸……私もお腹が空いておりますので、野兎か何か獣も狩りましょう」

「そんなことできるのっ!?」

 茸採りは知識のある人間でも難しいと聞いているのに、この少女はなんでもないことのように話している。

 獣を狩るのだって、僕には想像がつかない。

「はい。家でもそうしてましたので」

 こんな小さな女の子が自分で食べ物を採ったり狩ったりしなきゃいけないなんて。

 生活に困窮しているからこそ、生贄になんかにされたのかな。

 だとしたら気の毒だ。

 ……僕はいま、そんな子に食べ物をねだってしまったのか。

「何か手伝えるかな。兎はちょっと、いや絶対無理だけど」

 僕の弱点その一、血が苦手。

 見ただけで失神してしまうレベルで苦手。

 肉料理は好きだけど、解体作業を手伝うのは不可能だ。

「では獣は私がとってまいりますので」

「その、茸も見分けつかなくて、木の実もどこにあるか……えっと、ごめん。手伝えることなさそうだ」

 自分で言っておいて、情けない。

 だけど少女はそんな僕を責めたりしなかった。

「では器になりそうなものを探していただいても構いませんか? この屋敷を出て左へ少し進むと川がありますので、そこで洗っておいてください」

 外に出れば川があったのか。これで水くらいは飲めるかもしれない。

 皿洗いなら、家でよくやっていたから朝飯前だ。

「わかった」



 改めて屋敷を探索すると、厨房らしい場所の戸棚の中は割と無事で、汁物でなければ盛れそうな器がいくつか見つかった。

 それを持って外へ出て左へ進むと、澄んだ水の流れる小さな川があった。

 器を地面に置き、両手で水を掬って、飲む。

「んぐ、んぐ……ぷは、生き返った……」

 匂いや味を確認する前に飲んでしまったが、問題ないレベルで綺麗な水だ。

 二度、三度と繰り返して、ようやく人心地ついた。

 空腹は空腹だが、胃に何か入ったという気分があるだけまだマシだ。

 次に持ってきた器を、スポンジや洗剤なんてものはないから手で洗う。

 流されないよう器に大きめの石を乗せて川に沈め、暫く経ってから手で擦る。こうすると頑固な汚れも落ちやすくなるのだ。

「んー……。よし、カビの匂いもしないな」

 ピカピカになった皿を重ねて持ち上げ、ふと川を見下ろすと、魚が数匹泳いでいるのが見えた。

「魚なら……いやでも……そもそも……」

 捕る手段が無いし、あったとしても僕に魚を捕る技術はない。

 そのはずなのに、僕は器を再び地面において、魚をじっと見つめ、川に手を突っ込んだ。


 水中から引き抜いた手は、大ぶりの魚を掴んでいた。


「……えええ、できた」

 魚はビチビチと跳ねているが、問題なく掴んでいられる。

 意外な結果に自分で驚きつつも、嬉しい。

 その嬉しさは、再び川面を見て、あることに気づいた途端に萎んでしまったが。


「あれ?」


 今は夜だけど、川の周りには木が少なく、月と星明りで結構明るい。

 水面にも月と星や、周りの風景が写っている。


 僕が手にした魚は、空に浮いたように水面に映っていた。

 僕の手や、僕自身は、映っていない。


 夜だから、月光だから何か変なふうに反射して僕が映っていないように見えるだけだ。

 自分にそう言い聞かせ、片手に魚、もう片手に器を持ち、いそいそと家へ戻った。


 魚でも包丁を使えば血が流れる。

 僕は獲ってきた魚を深めの器に放置して、しばらくして帰ってきた少女に見せた。

「凄いですね! 早速捌いて焼きましょう」

「よろしくお願いします」

 少女の方は、木の実や茸の他に、野兎を一匹狩ってきていた。一体どうやって捕まえたのか、機会があったら聞いてみよう。


 で、まあ料理も少女がやってくれたのだが……。


「すみません、調味料のことを失念しておりました」

「いや、これはこれで素材の味がして美味しいよ」

 僕たちには塩がなかったのだ。


 でもひとまず食事をして、ようやく空腹が……満たされなかった。


「ところであの、お名前を伺っても宜しいでしょうか。私はリリィと申します」

 そういえばお互いに名乗っていなかった。

 まあ、少女ことリリィの方は生贄になるつもりでこの屋敷にきたのだから、屋敷から出てきた人間に名乗ることもないだろうし。

 僕は僕でどうしてこの状況なのか未だによくわかってないし。

 どちらも名乗るどころではなかった。

「僕は野久斗礼也。礼也が名前」

「レイヤ様ですね」

 ここで、またしても鳴る僕の腹。

「お食事、足りなかったですか?」

「そんなこと無いはずなんだけど……」

 味はともかく、量は十分だった。

「あの、レイヤ様はやはりこの家の主様なのでは。何らかの理由で記憶を失っておられるだけかと」

 腹を擦る僕に、リリィが妙なことを訊いてくる。

「どういうこと?」

 リリィは僕を見上げてはっきり言った。


「このお屋敷の主様は、吸血鬼だと聞いております」

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