学校は好きじゃない。何処に行っても、僕らの存在は歓迎されないから。

 家にもいたくない。学校よりも逃げ場所が少ないから。


 お父さんのお母さんと一緒に住むことになったんだ。僕らにとってはお祖母ちゃん、という人らしい。

 僕とフユキは嫌われ者。そして僕ら以外は全て人だ。お父さんという人、お祖母ちゃんという人、先生という人、クラスメートという人。


 そう、みんな色人しきびとだ。


 最初は分からなかった。だって初めから見えていたから。誰でも見えているものだと思っていた。

 人の中には色がある、そしてだんだんと理解した。楽しんでいる時の色、苦しんでいる時の色、痛い時の色。そして……少し先に起きる出来事の色。



 お父さんと一緒にいたあの女の人は、お腹のあたりが赤黒かった。それは渦を巻いて毎日濃くなっていく。最後は女の人の全身を覆い、鬼のような姿へと変わっていった。


 何処を見ても色が見える。学校でも、道路でも、家の中でも。みんなお腹の中に、小さな黒い渦を持っている――。






 学校の帰り道、僕は下校の列から外れた。僕はこちらの学校でも馴染めなかった。

 僕に出来ることはとても少ない。家に閉じ込められるか、外に出されるかしかなかった僕は、みんなが当たり前に出来ることが出来なかった。

 鉛筆の持ち方が分からない、のりの使い方を知らない、平仮名さえまともに書けない。異質な僕は、クラスメートたちから認められなかった。



 その日の下校のとき、列の最後を歩く僕は足を止めた。ふざけあいながら揺れるランドセルたちが遠ざかっていく。何人かは歩くのをやめた僕を振り返ったけれど、それは大きな笑い声に変わるだけだった。子どものお腹にも黒い渦はある。いつかそれが大きく変わったらと思うと、僕は怖くなるんだ。



「これで二人だけになったよフユキ」


「今日は何して帰る、ハルキ?」


「んー、大きな道に行こう。車がたくさん走っている所」


「よし、行こう」



 通学路を外れた僕らは、大通りへと歩き出した。



「人がいないといいな」


「車だけがいいね」



 通学路には子どもも大人も大勢がいる。見守りのお年寄りもいて、僕らは同じ道を歩くのが辛いんだ。優しく「お帰り」と言ってくれるおばさん、旗を持って道の角に立っているおじいさん、みんなみんな……お腹に渦がある。



「ハルキ、やっぱりちょっと人いるな」


「うん。でもあっちの道よりずっといい」



 たくさんの車が走っている。だけど背の低い僕らからは、乗っている人のお腹は見えない。子どもには危ない大きな道は、僕らには渦を見なくていい安全な道なんだ。



 フユキとお喋りしながら歩いた。一番大きな交差点に近づいたとき、あるものが見えた。




「フユキ、あれ」


「うん。たぶん」




 何度か同じものを見たことがあった。どうにもならないことも知っていた。だけど体が勝手に動いてしまった。



「だめだハルキ!」


「でもフユキ」



 分かっていながら、反射的に僕らの体は道路に飛び出ていた。


 間に合わない、分かっている。どうにもできない、知っている。でも、だけど。





「危ないっ!」


「あっ」

 



 その瞬間、僕らの体は強い力に引っ張られた。同時に、数メートル先で重たい衝撃音が響く。




「おいっ、危ないだろ」


「……」




 走っていた車が何台も止まり、次々と人が降りてくる。衝撃音のあった場所へと急ぐ人、何かを叫んで指示する人、辺りは一気に騒がしくなった。




「おい、ガキ、聞いてんのか。危ないだろって」


「あ、ああ……はい」



 さっき道路に走り出した僕らの体は、いま聞こえるこの声の人につかまれていた。



「あのまま飛び出していたら、あんなふうになるんだぞ」



 制服を着た、僕らよりうんと年上のお兄さんが怒っている。



「あんなふうになるって、分かっていたから……」


「何て?」


「黒く包まれていたし」



 僕らには分かっていた。走ってくる一台の車と、横断歩道を渡りきれなかったおじいさんがぶつかることが。

 車には渦が巻き付いていた。そしておじいさんはお腹ではなく胸が黒くなっていた。それは命が終わる人だということだ。




「とにかく、気をつけろよ。いいか、道路は飛び出すな。渡るのは青信号の横断歩道だ、それも左右を見ながらだからな!」


「……」


「分かったら返事」


「あ……はい」




 僕らをつかんでいたお兄さんの手は、僕らが返事をするまで離れなかった。立ち去るお兄さんの後ろ姿を、僕らはずっと見つめていた。



「ねえフユキ」


「驚いたなハルキ」


「うん、初めて会ったよ」




 ……お腹に渦を持たない人。




 渦を見るのは怖い。大きくなっていく渦に気づくことはもっと怖い。いつか鬼に変わるのかと思うと、誰のそばにもいたくなくて。



 お兄さんの後ろ姿はもう見えなくなったのに、僕らはその道をずっと眺めていた――。

 


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