薔薇百合トランスフォーメーション

沖田ねてる

そんな搾られたレモンみたいな顔されても


【薔薇百合トランスフォーメーション】


 遠くに影となって見える天を貫く世界樹、秦皮トネリコの枝を斜陽の陽が照らす夕暮れ時。人の行き来がある往来にて、わしはおもむろに衣服を脱いだ。

 今年で六十歳。すっかり色が抜け落ちた白髪のオールバックはそのままに、皺が刻まれた肌が徐々に露わになっていく。


 道々の木柱上部に設置された白いトレニアの花が輝き始め、薄暗い街並みと共に全盛期から衰え始めたわしの肢体も淡く輝いた。見慣れたものとはいえ、花灯はなあかりはいつ見ても優雅じゃな。


「ふう」


 息を吐きつつ、灰色の浴衣、下着を脱いで丁寧に畳み、白い浴衣の帯でまとめる。身に纏っておるのは白い鼻緒の黒い下駄と、股間にぶら下がるわしのビッグボーイのみ。まとめた衣服を肩にかけ、わしは目の前の目的地を見た。

 湯浴み、憩いの里。露天風呂までついているこの街、アマテラス国の首都、彩花崎さいかざきの小さな人気スポット。わしは日々の疲れを癒しに、ここにやって来たのじゃ。少々気が逸って入る前に脱いでしもうたが、まあ誤差の範囲。中に入れば、笑って許されるであろう。


「今日も、荒れるじゃろうな……女神アマテラスよ。わしを祝福したまえ」


 オレンジ色の積乱雲が陣取る夏の夕焼け空を見上げ、無意識のうちに実在する国の神へと祈っていた。視線が雲の下にそびえる山の中腹にある、大理石でできた神殿を捉える。

 外から来た神様だけあって、木造りや瓦屋根の街並みからはだいぶ浮いておるのう。神による開国で島が真っ二つに割れ、戦争の後にようやく訪れたつかの間の平穏じゃが、まだ文化の融合は途中じゃな。


 同性愛を異常に嫌ってこそいるものの、それ以外は慈愛に満ちた女神様。そんな存在に童貞を捨てたいと祈り続けて何十年、未だに効果はない。とは言え、人事を尽くして天命を待つのが世の常。やることやったら、あとは神頼み以外に手段がないのも事実じゃからの。

 同時に今後に待ち受けるておるであろう荒れ模様を思い描いて、わしの口からため息が漏れる。本当は風呂くらい静かに過ごしたいものじゃが、エネルギーの有り余っている若人達相手では、そうもいかぬ。全く、最近の若い者は。


 伸びたあごの髭を撫でつつ、わしは女湯と書かれている扉を開けた。


「きゃぁぁぁッ!」

「カナメの変態ジジイよぉぉぉッ!」

「また来やがったわぁぁぁッ!」

「痛ッ、痛ァァァッ!? お、お前ら刃物は投げるな、せめて桶にしてかんかァァァッ!?」


 中にいた女子から声が上がる。クソァッ、今日はお気にのボーイッシュ短髪巨乳のあの子の姿がない、ハズレじゃあッ!

 少しして。わしは潰れたカエルのようなポーズのまま、憩いの里の前で倒れ伏していた。全身ズタボロ、尻の穴には飛来した包丁が刺さっておる。なんでまだ生きてんの、わし。


「か弱いご老人になんて仕打ちじゃッ! 若い女子の素肌くらい見ても良いではないか、こんのドケチ共がァァァッ!」

「うわー。また女湯覗きに行って返り討ちに遭ったんですかー? ザコせんせー」


 顔を上げて吠えたわしの背後から、人を小馬鹿にしたような高音イケボが飛んでくる。わしのことをザコせんせーと呼ぶのは、ただ一人。


「アオイ貴様こんのイケメンがゴルァァァッ!」

「それ褒めてんの、貶してんの?」


 振り返ってみれば、群青色のショートボブに細く黒い瞳を持ったイケメンが、こちらを見て笑ってやがる。半袖の白いブラウスに髪の毛と同じ群青色のベスト。黒いズボンと黒いブーツと最近流行りの洋服を着こなしておるこいつは、わしが師事しておる瞳場どうじょうの唯一の弟子じゃ。


「番台のお婆ちゃんも飽きれてましたよー、愚痴られるオレの身にもなってくださいよー。ま、そのお年でまだ童貞とかー、哀れみしか湧いてきませんけどー」

「攻、射、創。燃え咲け。参華ぎょっこう……」

「ちょっとー、こんなところで月華瞳法げっかどうほう使わないでくださいよー。力なき人々の為に華を咲かそう、じゃないんですかー?」


 月華瞳法げっかどうほう。世界樹の上に生きるわしらが瞳に華を咲かせ、世界を構成するエネルギーである命脈を用いて現象を起こす魔道技術。その使い手は咲者さくしゃと呼ばれており、わしの唯一の取り得でもある。

 敬老精神に根性焼きをかましている馬鹿弟子にお灸を据えてやろうと思ったが、格言を出されたこと、ここが天下の往来だったことがあり断念した。


「って言うか、さっさとオレに肆華いざよい教えてくださいよー」


 肆華いざよいとは、月華瞳法げっかどうほうの四段階目。三段階目である参華ぎょっこうで得た固有能力を更に強化した、上位の力。


「……たわけが。いくらお前が天才だろうが、まだ早い。もっと鍛錬を積んでだな」


 昔を思い出し、無意識の内に視線が下がった。肆華いざよいは、得た力に振り回されることも多い危険な領域。濁流のような力を御し切れる強い精神力を得ておらん限り、手放しには勧められんわい。


「そんな通り一辺倒な話してー。まさかオレに卒業されたら月謝が得られないからとか、そーゆーつもりじゃないでしょうねー?」

「ギックシッ!? そ、そそそそーんな訳ないぞーぉ」

「目が魚並みに泳いでるんですけどー?」


 それはそれとして飯の種を失うなんてとんでもない。貯蓄もほとんどないし、金づるは大事にせにゃならんじゃないか、全く。

 結果として、親代わりをしている筈のコイツのアルバイト代で食わせてもらっているような形じゃ。わし自身も余所で師事したりして糊口をしのいでおるが、ほとんどその日暮らしのような有様。昔はもっと人がおったのに、なんでわしの瞳場どうじょうはこんなに人気がなくなったの。


「ま、いーですけどー。そうだ、渡すもんがあったんだった」

「わしに渡すもの? なんじゃ?」


 アオイがごそごそとポケットを漁っている。


「はいこれ」

「手紙? 誰からじゃ?」

「オレの遠縁の親戚からですー。同い年で名前も似てる女の子なんですけどー、月華瞳法げっかどうほうに目覚めてー。物好きにもザコせんせーの元で習いたいんだってー」

「ウホッ! 新規入門者、しかも女の子ッ!? でかしたぞアオイッ!」


 こいつに遠縁の親戚がいたなんて聞いたこともなかったが、そんなことはどうでも良い。これで月々の会費収入は二倍じゃ。おまけに女の子とは、ハッピーがうれぴーじゃな。


「じゃ、オレはこれでー。これから行くとこあるんでー」

「なんじゃ、晩飯はいらんのか? って言うかわしも連れてって。たまにはビフテキとか食べたい」

「駄目ですー、先約があるんで」


 街の特産品であるレモンの効いたビフテキが大好物なんじゃが、もう何年食ってないことか。にしても、こいつが飯時に約束とは珍しいのう。普段から男よりも、女の子とばかり遊んでいるアオイじゃが。


「先約? まさかわしを差し置いて、遂に彼女でも作ったんか? ま、肆華いざよい同様、お前にはまだ早い」

「あー、そーなんですよー。バレちゃいました」


 おい待て、バレたって何?

 お前は女の子と遊んでても、どっちかと言うと同性の友達と遊んでるみたいな付き合い方をしてて。そういうことはしない奴だと思ってたのに。


「ザコせんせーが傷つくと思ったから言わないでいたのにー、自分から聞いてくるなんて予想外ですよー。あーあ、非モテが泣いちゃうなー」

「~~~~ッ!」

「そんな搾られたレモンみたいな顔されても」


 限界までしかめたわしの顔って、そんな感じなんかい。初めて知ったわ。


「んじゃ、そーゆーことで。あっ、ザコせんせー。彼女と遊ぶ約束あるんで、オレしばらく瞳場どうじょう休みまーす。あと親戚の子は来週に来るらしいんでー」


 そこまで言った時に、不意にアオイは言葉を切った。


「来週、楽しみにしててくださいねー」


 念押しのように言って、さっさといなくなったアオイ。わしは心ここにあらずと言った調子のまま、手を振っていた。冷たい風が吹き込んできて、股間のビッグボーイ揺れる。


「どうして世界はこんなにわしに厳しいんじゃァァァッ!?」


 膝から崩れ落ちたわし。あんなクソ生意気な馬鹿弟子に彼女ができたというのに、わしは往来でケツに包丁が刺さっているという、このザマ。わしが六十年間、一度もビッグボーイを抜かなかったというのに、馬鹿弟子はあの年でチェリー卒業じゃと?


「いや、そんなこと絶対に許さん。こうなったら徹底的に邪魔しブッ!?」


 心の中で邪悪な決意を固め始めたその時、わしの顔に一枚の紙が当たった。何かと思って取ってみると、そこにはこんな記載がある。


「あなたの今を反転させる、反転屋?」


 白黒印刷してある内容に目を通してみれば、貧乏なあなたを、お金持ちに反転。背が低いあなたを、高身長に反転。華の力であなたの人生を逆転させませんかという、どうにも胡散臭いチラシだった。字も手書きじゃし。


「どっかの馬鹿が、月華瞳法げっかどうほうで金儲けでも始めたか? じゃが性質の反転なんて力、もしかして肆華いざよい以上の」


 その時、わしの瞳に飛び込んでくる一文があった。モテないあなたを、モテモテに反転。


「こ、れ、じゃッ!」


 わしに電流走る。人生六十年。風俗に行っても女性からNGを出されるというわしでも、反転させてしまえば。


「そうじゃ。わしはいち瞳場どうじょうの先生として、こういう野良の咲者さくしゃを導かねばならん。上手く反転すれば良し。問題児であれば、連れ帰って鍛え直せば良いしな。門下生も増えて、一石二鳥。決して非モテを反転させて、モテ男になる為だけではないぞ?」


 うんうん、行く理由もできた。これで後顧の憂いはないな。と言うか、来週にはアオイの親戚の女の子も来るんじゃった。人心掌握の秘訣は第一印象にあり、故に出会いが肝要じゃ。ここらで一発、イメージチェンジをしておかねばならんな。

 その時、わしの肩をガシッと掴む手があった。


「往来に全裸の変態ジジイがいると通報が入ったが、またお前か」

「    」


 鍛えてある身体を白い軍服で包んだ、角刈り頭の中年男性。街の治安維持を担当しておるアマテラス軍の彼、平たく言えば警察のグッドマンさんが来ていた。わしは顔を限界までしかめながら、何も言わないままに口を大きく開けた。


「来いクソジジイ。今日と言う今日は、その性根を叩き直してやる」

「待ってわしには行かねばならぬ所がーッ!」


 連行されたわしは日付が変わるまでこってりと絞られ、軽い禁固刑まで受けてしまった。こんなの絶対おかしいわ。

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