第43話 熱情(※sideエルド)

「…では、くれぐれも今日は一日頼んだぞ」

「はいっ。お任せください」

「承知しましたエルドさん」


 クラークら他の王妃専属護衛たちに離宮の守りとアリア様の警護を強く念押しし、俺は騎士団詰め所に戻った。


 今日はほぼ終日アリア様のおそばに付くことができない。新人護衛騎士たちの入団試験が行われる日だからだ。王国騎士団長である父や他の責任者たちと共に、俺も入団希望者たちの試験を監督し、実技の採点をしていかなければならない。


 ほんの一日離れるだけでも心が落ち着かない。

 別に周囲で不穏な動きがあるとか、彼女に害をなすつもりのある人物がいるなどの噂があるわけじゃない。

 だが俺はもうあの方から片時も目を離したくはなかった。

 何度も辛い目に遭って苦しみながらも、あのか細い体で懸命に踏ん張って前を向こうとしているお姿に、どうしようもなく心を揺さぶられていた。痛ましくて、いじらしくて…、そんな彼女を誰よりもそばで支えていたかった。


 身の程知らずの恋心はいつしか俺自身を完全に覆いつくし、生まれて初めて経験するその熱情に、俺はただひたすら翻弄されていた。







「…王妃陛下のご様子はいかがだ」


 実技試験の中盤、次の受験者たちの準備が整うのを待っている時に、俺の父であるブラッド・ファウラー騎士団長がそう尋ねてきた。


「…どうにか持ちこたえておいでです」


 周囲の人間たちに聞こえない程度の声量で俺は答えた。


「そうか。…アドラム公爵だが、今のところ特に妙な動きはない。淡々と自分の持ち場で仕事をこなし、陛下の素行については見て見ぬふりを続けておられる。…何を考えていることやら、だ」


 アリア様が側妃の出自に疑問を持たれ、何か分かるようであれば教えてほしいと俺に相談してくださった時、俺は内密にこの父にアリア様の疑念を伝えていた。…正直、あの時アリア様が他ならぬ俺を頼ってくれたことはものすごく嬉しかった。…まぁ、他に頃合いの人間がいなかったから致し方なく、かもしれないが。

 その時以来、父もあの宰相の動きを気にかけている。


「まさか自分の親類縁者の養女にした娘を、陛下の側妃として輿入れさせていたとはな…。しかも誰にも打ち明けることなく。なかなかの狸爺だ。何を企んでいることやら」

「…その側妃がまた曲者なんですよ。自分の主催する茶会の場で妃陛下を愚弄し、傷付け…」


 思い出すとまた腸が煮えくり返ってくる。あの下品な小娘め…。何度頭の中で切り刻んでやったことか。まだまだ足りない。俺はもう一度あの女狐の首を頭の中で切り落とした。


「側妃殿は浪費も相当激しいらしい。それに引き換え、妃陛下は随分慎ましく暮らしていらっしゃるそうだな。…あのようなか細くたおやかな見た目とは裏腹に、随分気丈なお方だ。離宮に追いやられた段階でもう打ちのめされて出てこられないのではないかと思ったが…。日々王宮に通い執務室で黙々と公務をこなしておられる上に、積極的に近隣諸国を回り外交にも精を出しておられる。…ご立派なことだ」


 体格にも恵まれた手練れの騎士である父は、厳しい顔つきを崩さぬままにそう呟いた。その言葉の響きにはアリア様を揶揄するような意図は一切含まれていない。本心からあの方を労っているのだろう。


 分かる人間には、ちゃんと分かるのだ。あの方のひたむきな姿勢は。

 だが心無い愚か者たちが、彼女を軽んじ無遠慮に傷付けていく。それがどうしても許せない。


「…まだ目を覚まされないのでしょうか、あの方は」


 俺は国王陛下のことをそう濁して言った。あんな低能な側妃に夢中になってアリア様をないがしろにしている今の状況がどれほど異常であるのか、まだ気付かないのか。

 父はさらに声を潜めて答えた。


「今のところその気配もないようだな、残念なことに。ご公務に戻られる様子もないらしい。妃陛下があれほどご立派な方であられるから尚更、何もかも任せっきりであぐらをかいておられるのだろう」


 淡々とそう話した父が、その後呟くように言った。


「…そろそろ側妃殿の無駄遣いをどうにかせねば、このままではいずれ王家の資金が圧迫されていく事態になりかねんと思うがな…」







 入団試験に関する諸々の雑務を終えると、あっという間に夜になっていた。今日は結局アリア様のお顔を見ることができなかったな…。少し落胆しながら、俺は湯浴みを済ませると詰め所の部屋でラフな格好に着替えた。


「……。」


 ベッドに横になってみるが、落ち着かない。アリア様はもうお休みになっただろうか。せめて一目だけでもお顔を見たかった。

 今日はどう過ごされたのだろう。食事はちゃんと取られただろうか。無理をしていなければいいのだが…。


(…俺がいないことに気付いて、少しは何か思ってくれただろうか、などと…。我ながら随分幼稚な感情だな)


 自分自身のあまりの未熟さに呆れ、乾いた笑いが漏れる。

 …そういえば、今夜の月はやけに明るかった。滅多に見ることのない青みを帯びた輝きを放っていて、不思議な感じがしたな。

 …アリア様も、ご覧になっただろうか。


「……はぁ。ダメだ…」


 休息の時間ができると彼女のことばかり考えてしまい、じっとしていられなくなる。いっそのこと早く朝になればいいのに。日が昇れば朝の挨拶に行ける。


(…せめてあの方の休んでいる部屋を、ほんの一目…)


 離宮の周りに不審な人間がいないか確認もできるしな。他にも護衛騎士は何人もいるというのに、そんな取ってつけたような言い訳を自分にしながら、俺は詰め所を後にして中庭の方へ向かった。

 せめて少しの間だけでも、あの方の寝室を外から見守りたかった。




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