第8話 浮気

 その変化は、本当に突然のことだった。


 さらに数ヶ月が経ち、いつもと変わらない日常。無事に王妃教育を終えた私は公務をこなしながら、国内外の来客たちとの謁見を繰り返し、王妃としてそれなりに多忙な日々を送っていた。


「…ジェラルド様はどこへ?」


 その日、共に来客の対応をするはずだったジェラルド様の姿が見えず、私は一人で謁見をした。そして部屋に戻ってきても姿の見当たらない彼のことが気になり、そこにいた侍従にそう尋ねてみた。


「は…、陛下は急遽別件の来客が入ったとかで…」

「そう?…どちらで?」

「は、詳しくは聞いておりませんで…」


(……?)

 

 何だか歯切れの悪い侍従の様子が少し気にはなったけれど、まぁそういうこともあるのかしら、と私は思った。側近のカイル様の姿も見当たらないし、きっと一緒にいるのだろう。彼とはいまだに打ち解けられずにいる。




 私は自室に戻ると、兄から届いていた手紙に目を通した。当たり障りのない内容だけれど、懐かしい筆跡はいつも私の心を和ませてくれる。こちらは家族皆元気にしている、先日俺の誕生日にセシリーとロレッタが刺繍入りのシャツを贈ってくれた、先日の夜会で母が何々夫人と話したようだが、無事にご令息の結婚が決まったそうだ、最近こんな詩や歌が若い娘たちの間で流行っているそうで……


 自然と笑みを浮かべながら手紙を読み終わると、私も最近の出来事や自分の近況を知らせる内容をしたためた。


「ね、この手紙を出しておいてくれる?」

「承知いたしました、アリア様」


 書き終わった手紙を侍女の一人に渡すと、手持ち無沙汰になった私は中庭へ行ってみることにした。


「…お出になりますか?アリア様」


 私が部屋を出ようとしているのを察したエルドが早速声をかけてきてくれる。


「ええ。少し気分転換に中庭へ。…一緒に来てくれる?エルド」

「承知いたしました」


 エルドは真顔でそう返事をすると、静かに私のそばを歩きはじめた。リネットもススス…と当然のようにそばにやって来る。







 部屋を出て長い廊下を歩き、階段を降り、角をいくつか曲がって見慣れた中庭へ向かう。


 その時だった。


「……あら?」

「?…いかがされました?アリア様」

「…ええ…、今、向こう側にジェラルド様が…」


 建物の外をジェラルド様が歩いていくのが見えた気がした。…見間違えるはずがない。あの艷やかな黒髪と高い身長で、彼はどこにいても目立つから。


(…あんなところで、一体何をなさっているのかしら)


 思えば今日はまだ一度も言葉を交わしていない。昨夜はお忙しかったようで寝室には戻ってきていないし、今朝の朝食の席にもいらっしゃらなかった。その上共に迎えるはずだった来客も私一人で対応して…。


 どこで寝泊まりされたのだろうか。


「…ご挨拶しておくわ」


 お気に入りの中庭に向かうのとは反対方向に私は足を進めた。


 リネットとエルドは黙って私の後をついてくる。私は王宮の建物沿いに外を歩き、ジェラルド様の姿を探した。

 



 そして、角を曲がって彼の姿を見つけた、その時だった。




(……?……誰……?)


 遠目に見えたのはたしかにジェラルド様の後ろ姿だったけれど、その隣には見慣れぬ女性の姿があった。横顔さえよく見えないけれど…、オレンジ色に輝く髪を風になびかせた、綺麗な若い女性のようだった。

 あの人が別件の来客かしら、などと考えていると、


(…………っ?!)


 突然、ジェラルド様がその女性の腰に手を回して顔を近づけた。

 まるで親しい人に何かを耳打ちするように。


「……っ、」


 ドクン、ドクン、と、心臓が嫌な音を立てはじめた。足が動かず、ただ立ち尽くすしかない。


 そのまま呆然と見守っていると、ジェラルド様は女性の手を引き、そばにあったベンチに腰かけた。


 そして、当然のように女性を膝の上に乗せる。


 その姿を見た瞬間、ぐらりと目まいがした。


 私は今、何を見ているんだろう。なぜ、私の夫である国王陛下が、……知らない女性を膝の上に……?


 すると。


 信じられないことに、ジェラルド様は女性の頬を撫で、その人にそっと唇を重ねたのだった。


(──────っ!!)


 目の前が真っ暗になる。

 それはまるで、日夜私に繰り返していた彼の手慣れた愛撫そのままで。

 何が起こっているのか、すぐには理解することができず頭が真っ白になった。手足がガクガクと震えてくる。


 その時、奥の方から彼の側近のカイル様がふいに姿を現し、ジェラルド様の元へ近づきはじめた。


(っ!!)


 私は咄嗟に建物の陰になるように身を翻して隠れた。

 すると、


「……ア……アリア、さま……」

「……っ、」


 その瞬間、そこにリネットとエルドの姿があることに気付いた私は驚いてヒュッと喉が鳴った。あまりの衝撃に二人の存在をすっかり忘れてしまっていた。

 二人はこの上なく気遣わしげな瞳で私のことを見ていた。エルドはそのまま気まずそうに目を伏せる。


「……見ちゃいけないものを見てしまったわね。二人とも、このことは誰にも秘密よ」

「…アリア様…」

「しっ。…さ、今日はもう戻りましょう。中庭はまた今度ね」


 唇を微笑みの形に引き上げ、掠れた声で無理矢理言葉を紡ぐと、私はスタスタと歩きだした。二人は黙って後ろをついてくる。


 何事もないようなふりをして、顔を上げて前だけを見て歩きながら、心がどうしようもなく震えるのを抑えることができなかった。





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