父上と祖父上と猫(2)

「はい! 猫に会うために素早く任務を終わらせてやってきました! あ、でも適当にこなしたわけではございませんのでご安心を!」

「最近はこのために生きているような気がします。ちなみに俺の推しはアルテミスちゃんです!」


 兵士たちがゴロゴロ喉を鳴らすチャトランを撫でたり、相変わらず眠っている子猫二匹を眺めたりして楽しそうに言う。


「ここも随分賑やかになりましたねえ」


 スクーカムと兵士たちのために紅茶を持ってきたコラットが、しみじみとした様子で言った。


(本当にコラットの言う通りだわ。最初は私とコラットふたりで、静かにやっていたものね)


 ソマリのよき理解者であるコラットとふたりきりの時も穏やかで心地よい時間を過ごせたが、スクーカムや兵士たちの憩いの場となった今の方が、猫のかわいさをみんなで共有できてより楽しくなった。


「さ、皆さんお茶が入りましたよ」

「ありがとう、コラット」

「ありがとうございます! コラットさん」


 スクーカムと兵士たちが、そろって同じテーブルにつく。


 王太子と一介の兵士がそうやって一緒に茶を楽しむなんて、本来ならありえない。


 しかし猫好きという共通点で集まるこの空間だけは、身分の差など関係がない。


 最初は「俺たちごときがスクーカム様と一緒に茶など……」と遠慮していた兵士に、スクーカムが「面倒だ。ここでそういう気遣いはいらん」とたしなめたくらいだ。


 軍の統率時には規律に厳しいらしいスクーカムだが、それ以外の場では何事に対してもとても寛容だ。


 そんな彼の心の広さも、ソマリはとても好ましく思ってる。


「あ! チャトランがお鍋の中に!?」


 兵士のひとりが驚きの声を上げる。


 それまでいつものように窓際に寝そべり日光浴をしていたチャトランが、床に置いていた鍋の中にするりと体を丸めて入ったのだ。


 その鍋は底に小さな穴が開いてしまい、本来は捨てる予定の物だった。


 しかしコラットがとりあえずキッチンの隅に置いていたところ、今のようにチャトランが入っては心地よさそうに眠るため、取っておくことにしたのだ。


「ああ。チャトラン、お鍋の中に入るのが好きみたいで。猫ちゃんは狭かったり、体がすっぽりと入れられたりする場所が好むものですから。あのお鍋はチャトランにちょうどいいサイズだったみたいなのです」


 スクーカムや兵士と一緒のテーブルについたソマリは、そう説明する。


 しかし男たちはそんなソマリの言葉を聞いているのかいないのか、鍋に入ったチャトランを感動の眼差しで眺めていた。


「猫と鍋……。なんという素晴らしい組み合わせだ。ただでさえかわいい猫が、鍋に入ることでかわいさが倍増……いや数百倍になっている……!」

「スクーカム様のおっしゃる通りです……! なんという殺人的なかわいさ! 心臓の鼓動が収まりませんっ」

「くっ……。かわいすぎる……! 呼吸が、苦しい……」


 中には苦しがる兵士すら出てきた。


 スクーカムもたまに……いやよくそんな状況に陥っている。


(サイベリアン王国の軍人の方々は、やっぱりかわいいものに慣れていないんだわ。それでかわいすぎる猫を見ると、体や精神に影響が……)


「あの、大丈夫ですか……? 苦しいのなら、猫ちゃんと触れ合うのは控えては……」


 見慣れてきているとはいえ、いちいち苦悶の表情を浮かべられると心配になってしまう。


 しかし息を荒げていた兵は、勢いよく首を横に振る。


「ソマリ様のお優しい言葉は嬉しいですが、猫との触れ合いを控えるのなんてとんでもありません! もはや今の俺は、猫と戯れるために生きているのですからっ」

「そ、そうですか」

「はいっ。もうむしろ猫が与えてくれる苦しみなんて幸せしか感じられせん! この息苦しさ、胸の痛み……癖になる……!」

「はあ……」


 危ない発言をする兵士にソマリは引きつった笑みを浮かべる。コラットも同じような面持ちをしていた。


 しかしスクーカムは頷いているし、他の兵士たちも「分かる分かる」とか、「同じ同じ」なんて同調している。


(なんか思った以上に過激な感じではあるけれど。サイベリアン王国のみんなが猫ちゃんを好きになってくれたのは、嬉しいことよね。それに……)


「……あ、そうだ。ソマリ。王家が贔屓にしている菓子職人から、新作の焼き菓子が届いたのだ。後で離宮にも届けさせる。俺もひとつ食べたが、とてもおいしかったぞ」


 スクーカムが穏やかな声で言う。口元はわずかに笑みの形になっているように見えた。


 鉄仮面を脱いでも、猫と触れ合う時以外は冷静沈着であまり表情豊かではないスクーカム。


 しかしソマリは、ふとした瞬間に親愛の情を感じることがあった。


 さらさらとした漆黒の髪に同色の瞳、通った鼻筋に形の良い唇。


 少し前までソマリは、スクーカムの容姿にまったく興味はなかった。


 しかし彼に想いを寄せてからというもの、その整った顔立ちが親し気な笑みを浮かべる度に、ソマリの胸は高なるのだった。


「スクーカム様、ありがとうございます! 焼き菓子楽しみですわ……!」

「そうか、よかった。焼き菓子を食べた瞬間、君の顔が思い浮かんだのだ。君がよくコラットとお菓子をつまんでいたからかな」

「え……! お菓子を食べた瞬間に私の顔が!? う、嬉しいです」


 言葉を発している間に、なんだか恥ずかしくなってソマリは頬を染める。


 スクーカムの発言は、彼の心の中に自分が確かに存在している証のように思えたから。


 するとスクーカムの自分の言ったことに照れくささを覚えたのか、顔を赤らめた。


「え!? ……あ、いや、その……。ま、まあ君は俺の婚約者なわけだし。いつだって俺は君のこと……」


 それ以上は言葉を続けられないのか、赤面したまま黙ってしまうスクーカム。ソマリも無言で彼を見つめ返すことしかできない。


「時期国王とその婚約者が、これだけ仲が良ければサイベリアン王国も安泰ですね」

「もうおふたりは早く結婚しちゃえばいいのに」


 兵士たちがからかうような発言をする。


 スクーカムは「あ、あまり茶化すんじゃない!」と彼らを窘めるが、いまだに顔が真っ赤なのでまったく説得力が無かった。


 そんな掛け合いが面白くて、ソマリはクスクスと笑い声を漏らしてしまう。コラットも一緒になって笑っていた。


(ああ、なんて素敵で穏やかで、楽しい時間なの)


 大好きな猫と、大好きな男性と、猫に理解のある従者たち。


 チャトランがくれたこの出会いに、ソマリは心からの幸福を覚えるのだった。

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