鉄仮面の下(4)
*
(な、ソマリ!? なんでこんなところに)
盗賊のひとりが悪あがきを始め、「どうせ捕らえられるのに無駄なことを」と、スクーカムが面倒に思っていた時だった。
あろうことか、その盗賊が橋の上にいた猫を突き落とし、川の中へと逃亡した。
それまで盗賊たちに意識が集中していてそこに猫がいることにスクーカムは気づいていなかったのだ。
(猫を川へと落としただと!? こいつ、なんという凶行を……!)
かわいすぎる猫を崇めているスクーカムは、逃亡を試みた盗賊に並々ならぬ殺意を抱く。
それと同時に、猫の存在に気づかなかった自身の愚かさをひどく恥じた。
猫に気づいてさえいれば、盗賊に口上を述べる前に安全なところに逃がしたのに。ひょっとしたら盗賊など部下に任せて離宮へと猫を連れて行ったかもしれない。
そんな風に、スクーカムが自身の行いを悔いて川へ落ちた盗賊を追おうとしていたら、なんとソマリがどこからともなく現われたのだ。
まったく予期していなかった婚約者の出現に、スクーカムは思わず固まってしまった。
するとスクーカムが声をかける間もなく、彼女は橋の手すりによじ登り、川へと飛び込んだのだった。
(そうだった! ここはマンクスとかいう男が開いている肉屋の近くだ……!)
恐らくソマリは、いつものように彼から鶏のささ身肉を受け取りに来ていたのだろう。そしてたたまたスクーカム達が盗賊を追い立てていた現場を目にし、盗賊に落とされた猫を救出するために川へと身を投げたのだ。
ソマリほど猫を愛しているのなら、猫を助けるために身の危険など省みないはず。――しかし。
(まったく何をしているんだ! 君はサイベリアン王国の王太子の……俺の婚約者なのだぞ!)
「くそっ!」
スクーカムは迷わずに橋の手すりに登り、飛び込もうとした。しかし鉄仮面の重さに頭がぐらつく。
(泳ぐためにはこれは脱いだ方が良さそうだな……)
王に即位するまで、公衆の面前で王太子は鉄仮面を脱いではいけないのがサイベリアン王国の伝統だが、婚約者と猫の命には代えられない。
スクーカムは迷わずに仮面を取り、その場に投げ捨てた。
着用していた革製の軽鎧は着脱に時間がかかるため、脱がずに川へと飛び込む。
流れはなかなか急だった上に、足が付かないほどの水深だった。しかし日ごろから鍛錬を積んでいる強靭なスクーカムの肉体の前では、恐れるに足りない。
皮鎧の重みを感じながらもスクーカムはすいすいと泳ぎ、猫を抱えたまま流されているソマリへとすぐに追いついた。
そしてソマリを抱きかかえ、スクーカムは川の岸へと泳ぎ着く。
「おい! しっかりしろっ。ソマリ!」
意識を失っていたソマリの頬を、ぺちぺちと叩き声をかける。
するとソマリは閉じていた瞼をゆっくりと開け、虚ろな瞳をスクーカムに向けてきた。
まだソマリの意識は混濁しているようだが、目覚めたことに安堵するスクーカム。
ソマリが流されてから救出までの時間が早かったからだろう。もし自分の行動が遅れていたらと思うと、ぞっとする。
ソマリが抱えていた猫は、もぞもぞと彼女の腕の中で動いている。猫もどうやら無事なようだ。
するとようやく意識がはっきりしてきたようで、ソマリはスクーカムを見つめながら掠れた声でこう呟いた。
「え……。タビー……?」
偽名で呼ばれ、スクーカムはハッとする。
そうだった。今は鉄仮面を脱ぎ捨てた状態だったのだ。そしてソマリは、スクーカムの素顔をタビーだと信じ込んでいるのである。
「えっと……。あの、俺は」
「スクーカム様! ご無事ですか!? 川へ飛び込んだ盗賊は、すでに捕らえています!」
なんとか誤魔化そうと口を開いたスクーカムだったが、本名を叫びながら部下の兵士が駆け寄ってきてしまった。
この状況で、自分の正体をうやむやにするのは厳しそうだ。諦めたスクーカムは、深くため息をつく。
「え……? スクーカムって……? タビーってスクーカム様、だったの?」
「……ソマリ。とりあえずその話は後だ」
察したソマリにそれだけ告げると、スクーカムは部下のひとりにソマリと猫の介抱を任せる。
そして、捕らえた盗賊の対応へと向かった。
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