平民街の猫事情(8)
「ソマリさんがこの子たちを迎えてくれるのですか!? それはありがたい! あなたならきっとこの子たちを大切にしてくれるでしょうし」
すでに肉屋の男性はソマリの猫好き加減を存じているようだ。ソマリの申し出を、快く受け入れてくれた。
「ええ。これからもあなたのお店にお肉を飼いに来るから、逐一子猫たちの様子を報告するわね!」
「よろしくお願いしますっ」
そういうわけで、子猫たちを早速離宮へと連れて行く運びになった。
ふたりは早速肉屋の男性から茹でた鶏ささみ肉を購入したようで、大きな布袋をコラットが抱えている。結構な重みがあるらしく、両手を使って持っていた。
一方でソマリは子猫が入った布袋を持っている。生き物が入っているため慎重に扱わなければならないので、コラットを手伝うのは難しそうだ。
「肉が入っている袋は俺が運んでやろう」
重い物を運んでいる女性を目にして、そのまま立ち去るなんて男がすたる。スクーカムはそう提案した。すると。
「あら本当? すごく助かるわっ。ね、コラット」
ニコニコと笑みを浮かべて、スクーカムに乗っかるソマリだったが。
「ソ、ソマリ様。大丈夫なのですか? このお方に運ぶのを手伝っていただいたら、正体を悟られてしまいますが……」
慎重なコラットがソマリに釘をさす。
(そうか。俺はソマリが王太子の婚約者だと知っていたらおかしいのだな)
ソマリたちが住まう離宮は王国が所持する建物だと一目で分かる。よほどの馬鹿でもない限り、ソマリが王家の関係者だと悟るだろう。
しかし、ソマリは。
「あ、そういえばそうね。でも猫好きに悪い人はいないから、きっと大丈夫よ」
「そうですか……?」
「大丈夫大丈夫! ……というわけで旅のお方。私実は王太子スクーカム様の婚約者、ソマリなの。あ、でもかしこまらなくて結構よ。猫ちゃんに魅了された人間に身分の差なんてないから」
満面の笑みを浮かべて、あっさりと自身の身分を明かすソマリ。
(なんて能天気な。俺じゃなかったらどうする気なのだこの人は)
危機感のないソマリにスクーカムは呆れてしまう。ソマリは聡明な令嬢だと聞き及んでいるが、どうやら猫が関わると極端に知能指数が低下するらしい。
「あら。なんだかあなたあまり驚きませんね……? ソマリ様は将来この国の王妃となるお方ですよ?」
スクーカムの反応の薄さに違和感を覚えたのか、コラットが眉をひそめている。
(そ、そうだった。驚いたふりをしなくては)
「えーそうなのかー。それはびっくりだなー」
「なんだか棒読みですね」
半眼で追及してくるコラット。当然、剣士のスクーカムに演技の経験なんてない。不自然極まりなかったのだろう。
「そ、そんなことはない。驚きすぎてうまく言葉が出なかっただけだ」
それでも自分が王太子だと気取られるわけにはいかないので、必死にスクーカムは誤魔化した。
コラットはまだ不審そうにスクーカムを眺めていたが、ソマリがまったく気にしていない様子なので、それ以上は突っ込んでこない。
(この侍女は要注意人物だな。まあ優秀とも言えるし、彼女がソマリのそばにいてくれれば安心ではあるが。俺自身の言動には注意しなくては)
そんな会話を繰り広げた後、スクーカムが肉袋を、ソマリが二匹の子猫が入った袋を抱え、三人は離宮へと向かった。
離宮に到着すると、ソマリはチャトランを自分の寝室に入れてドアをしっかりと閉めてから、広間に子猫二匹を放った。
ソマリの話では、チャトランと子猫たちをいきなり対面させるのはご法度らしい。特に環境の変化に弱い大人猫であるチャトランが驚いて、怯えたり子猫に攻撃したりする可能性があるのだとか。
「子猫たちがこの家に慣れてきたら、少しずつチャトランと過ごす時間を増やしていくつもりよ。まあ、チャトランは人懐っこくて大らかだからきっと仲良くしてくれると思うけれど」
ソマリは広間をうろうろする子猫を眺めながらそう説明した。子猫たちは、初めて訪れた場所に警戒心を抱いているのか、瞳孔を開き鼻をクンクンさせながらうろついている。
(ソマリは本当に猫の生態に詳しいな。悪魔の使いとされている猫についての研究はあまり進んでいないはずだが……。どこでその情報を得ているのだろう)
ソマリの猫に関する豊富な知識には驚かされるばかりだ。だが、そんなことよりも。
(この子猫たち、かわいすぎないか? もちろん大きくなったチャトランも至高のかわいさではある。しかしこのたどたどしい歩き方、ふわふわの柔らかい毛、横に垂れた耳……。くっ、とてつもない庇護欲をそそられてしまう。本当に、悪魔が俺の心を奪うために猫を遣わせたのではないか。まあもうそれでもいい。ああかわいいかわいいかわいいかわい)
「あの……。大丈夫ですか?」
スクーカムの脳内が「かわいい」で埋め尽くされていると、コラットが不審げにこちらを見ながら尋ねてきた。はっと、スクーカムは我に返る。
「……すまん。子猫が想像以上にかわいくて。つい心を奪われてしまった」
またもや素直に猫に対しての思いを吐露してしまった。やはり鉄仮面を外していると、心の武装も解けるのだろう。
するとソマリが「うんうん」と満足げに大きく頷いた。
「あなたやっぱり見込みがあるわね! 今日はお肉を運んでくれてとても助かったわ。もしよければ、これからも遊びに来てね!」
なんと、見ず知らずの旅人の男を無警戒に誘ってくるソマリ。
(王太子の婚約者が自分の住居に男を遊びに来させるなよ……)
スクーカムは呆れるも、ソマリの中にはきっと人間は二種類しか存在しない。猫好きか、そうでないか。となると、男も女の貴族も平民もきっと関係ないのだろう。
ここまで突き抜けていると、ソマリの存在が面白く思えてきた。猫を目当てで婚約を申し込んだが、案外自分に合った女性を選べたのかもしれない。
「ああ、機会があれば」
「ところであなた、お名前はなんておっしゃるの? そういえばまだ聞いていなかったわよね」
曇りなき眼を向けソマリが訪ねてくる。予想していなかった質問に、スクーカムは内心焦ってしまった。
(しまった。名前名前……スクーカムと名乗るわけにはいかないし。ええっと……)
適当に偽名を考えていると、不意にチャトランの縞模様がスクーカムの脳内に浮かんだ。
「俺は……タビーという」
「タビー! 縞模様という意味よねっ。とってもいい名前だわ。タビー、これからもよろしくね!」
満面の笑みを浮かべてソマリが握手を求めてきたので、スクーカムは「よろしく」と答えながら、彼女の手を握り返した。
(――よし。今後も兜を外して、タビーとして離宮を訪れよう)
そうすれば王太子としての威厳など気にせずに、素直にチャトランや子猫たちをかわいがれる。
しかしそう目論むスクーカムの傍らでは。
「タビー、ねえ……」
コラットがどこか意味深にスクーカムの偽名を呟いていた。
やはり、自分の正体を怪しんでいるこの侍女には注意しなければならなそうだ。
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